大和郡山城 [1/5] “大和大納言” 羽柴秀長 百万石の巨大城郭。

大和郡山城 (やまとこおりやまじょう) は、戦国大名 筒井順慶らが利用していた中世城郭を、豊臣政権化で大和・和泉・紀州百万石を所領した羽柴秀長 (秀吉の実弟) の手により現在の姿に大改修された近世城郭跡。秀長の死後は五奉行の一人 増田長盛が入城し惣構を持つ城郭へと更に改築。徳川政権下では多くの大名が入れ替わりで城主となるが、五代将軍綱吉期に柳沢氏が城主となり、以後 明治まで務め上げた。城は明治の廃城令により破却。遺構は天守台・石垣・堀および移築門等が残り、昭和になって追手門および櫓2棟が復元された。天守台石垣の大掛かりな積み直し工事が平成25年10月から行われている。

<基本データ>
●名称: 大和郡山城 (Wikipedia)
●所在: 奈良県大和郡山市 (地図)
●築城: 天正八年 (1580年)
●城主: 筒井順慶、羽柴秀長、増田長盛、柳沢氏
●遺構: 天守台、石垣、水濠、移築門、大納言塚
●情報: 続日本100名城 No.165 (一覧)

訪問時期:2016年5月 / 2013年10月
大和郡山城 訪問記 − 其の一工事前


<訪問記>

yamato_koriyama_001-1870近鉄郡山駅から西へ。大きな池に辿り着く。旧外濠だが、現在は「鷺池」と呼ばれる。池の向こう側 (写真で右側) は旧二ノ丸、現在は郡山高校の敷地になっている。草がすごくて石垣がほとんど見えない。東西には櫓台もあったと伝わるが、まったく判別できない。

yamato_koriyama_002-1899お濠の外側 (南側) をどんどん西へ進む。

yamato_koriyama_003-1904鷺池の西端へ。かなり幅広の外濠だ。

yamato_koriyama_004-1908鷺池付近には緑と水があることからか動物が多くやってきていた。鳩さん。

yamato_koriyama_005-1909鷺池内には大勢の亀さんと鯉さんがお住い。

yamato_koriyama_006-1912鷺池を越えると、土橋が堀を分断しているエリアへ。ここから城内へ入ろう。ここは旧 南御門跡。かつての門跡を思わせる石垣台が残る。

yamato_koriyama_007-1911土橋の上から鷺池を見下ろす。

yamato_koriyama_008-1915旧南御門跡の石垣台。左側 (西側) は鰻堀池。ここから城内へ。二ノ丸。

yamato_koriyama_008a-03705鰻堀池の外周も城側は当時の石垣と思われる状態で残っている。石垣の上は城趾公園。

yamato_koriyama_009-1916南御門跡を越えると左側は「城趾公園」、歌碑などがあるただの公園で、外周の石垣以外は特に遺構は何もなさげ。

yamato_koriyama_010-1918道の右側の石垣は途中までは近年のものだったが、途中からお城時代のものにつながる。高さはそれほどないが、かなりの巨石が積み上げられている。表面が整えられた打込ハギ、か。

yamato_koriyama_011-1919二ノ丸の石垣。石を切り出した際の矢穴の跡も見られる。

yamato_koriyama_012-1920しばらく進むと二ノ丸の北端部分の城道へ。この北側 (左側) が本丸となる。まだ見えないが本丸は内濠で囲まれている。如何にも巨大な城門があったと思わせる石垣台がズラリ。

yamato_koriyama_013-2091左右に石垣、ここは「松陰門跡」。右側の石垣の下に門跡を示す石碑がある。左奥は「新宅郭」と呼ばれた郭跡。

yamato_koriyama_014-2090松陰門跡を見返す。左右の石垣の上を櫓門が渡っていたのだろうか。

yamato_koriyama_015-2098松陰門跡前には細長い堀跡。松陰池。向こう側の石垣の上は新宅郭跡。

yamato_koriyama_016-1923では城道を東へ。右側の白壁は郡山高校のもの。旧二ノ丸がそのまま高校の敷地になっているようだ。二ノ丸には、鷺池側に坤櫓(ひつじさるやぐら)と砂子間前櫓という2つの櫓があり、それらの石垣なども残るようだが、高校内部から見るとどうなっているのだろうか。

yamato_koriyama_017-1925しばらく進むと真新しい白壁が見えてきた。本丸を取り囲む内濠の西端外側へと繋がる「中仕切門」跡。今は向かって左側に進むような門のように見えるが、当時は今居るこの道をカギ状に曲げた、道を塞ぐような位置にあった門という(道を仕切るような門なので仕切門)。中仕切門自体は右の右側に左向きに建っていた。

yamato_koriyama_018-1926仕切塀と書かれた石碑。この道を北へ進むと天守台の北側へ出る。帰りにここを通って戻ってくることとしよう。巨大な説明板が建っているのでそれだけ見ていく。

yamato_koriyama_019-1927郡山城天守台展望施設整備事業。平成25年10月から28年度末(2017年3月)まで、天守台の積み直し工事および展望施設の設置に伴い、一部のエリアが立入禁止になっていることを示している。訪問時は平成28年5月、立入禁止期間内だ。ちなみに閉鎖前にも訪問し、積み直し前の天守台を見てきているので、別ページでまとめて紹介したい。

yamato_koriyama_020-1928天守台付近の立入禁止エリアと、天守台のレーザースキャン測量図!天守台付近は完全に立入禁止だが、柳沢神社の本殿裏あたりまで行けば結構近くで見ることができそうだ。

yamato_koriyama_021-1936本丸外周の内濠。本丸の石垣の草ぼうぼう感が凄まじい。大和郡山城といえば、いつ行っても草ぼうぼうで見えない石垣で有名なイメージだが、天守台工事を経て改善されるか期待したい。

yamato_koriyama_021a-koriyama09-s中仕切門のやや東側には、裏門跡。

yamato_koriyama_021b-koriyama10-sそして郡山高校の正門は表門跡。これらは二ノ丸の門跡を示している。裏門あたりは藩主の私邸、表門あたりは藩庁の表向があったという。

yamato_koriyama_022-1940表門を過ぎると、内堀を越えて本丸へ入るための土橋前へと辿り着く。現在 本丸跡は柳沢神社の境内となっているため、巨大な鳥居と社号標が建つ。

yamato_koriyama_023-1938本丸の南側に架かる土橋は竹林橋。この先に竹林門があったことから。

yamato_koriyama_024-1941土橋を渡って本丸へ。入口の巨大石垣は「竹林門跡」。左右の石垣をまたがる立派な櫓門だったようだ。

yamato_koriyama_025-1944右側の石垣の上には「竹林門櫓跡」の石碑。櫓が建っていた模様。

yamato_koriyama_026-1945竹林門跡を越えて本丸内へ。現在は柳沢神社の境内。

yamato_koriyama_027-1946柳沢神社 御由緒。創建は廃城後の明治13年。御祭神は柳沢吉保公、五代将軍綱吉の御用人で、川越城主、甲府城主。その息子 柳沢吉里が大和へ国替えとなり、ここ大和郡山城主となった。

yamato_koriyama_028-1947より詳細な郡山城天守台 石垣整備工事の説明板。

yamato_koriyama_029-1948郡山城天守台石垣 3Dレーザースキャン測量図。小天守台と大天守台が丸裸だ。

yamato_koriyama_030-1963別角度のレーザースキャン測量図。小天守台、大天守台への石段が見えるが、これらは明治の廃城後に公園化するために大天守台の石垣上部を壊して(!)設置されたもの。そのため大天守台の上端が揃わずガタガタになっていることが分かる。天守があった頃は、写真左端に小天守台内部へ入るための階段が設置されていたという(発掘調査で発見された)。今もそれを埋め立てた跡がやや不自然な地形として残る(写真左端)。

yamato_koriyama_031-1964発掘調査で発見された金箔瓦片。そして数々の転用石。

>> 大和郡山城 [2/5] へ続く。<<

訪問時期:2016年5月 / 2013年10月
撮影機器:FUJIFILM X-M1 + XF14mm
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