三雲城 [1/2] 巨大石垣で築かれた枡形虎口を持つ甲賀武士の山城。

三雲城は、近江の戦国大名 六角氏(観音寺城)の宿老として名を馳せた三雲氏の山城。巨大な石垣を持つ枡形虎口と、山麓からも威容が見える巨石「八丈岩」が特徴。六角氏が近隣勢力等から居城の観音寺城を攻められた際に逃亡する城として度々史料に登場する。1570年の織田軍侵攻により落城、後に水口岡山城を建てる際に資材は持ち運ばれた、と伝わる。小説で出てくる架空の忍者・猿飛佐助(真田幸村に仕えた真田十勇士の筆頭)のモデルとなった人物は、城主 三雲成持の甥 三雲佐助だ、という説がある。

<基本データ>
●名称:三雲城 (Wikipedia)
●所在:滋賀県湖南市 (地図)
●城主:三雲氏 (三雲典膳・三雲成持)
●築城:1488年
●遺構:石垣、虎口、土塁、竪堀、井戸 等

訪問時期:2016年9月
三雲城 訪問記 − 其の一


<訪問記>

mikumo-01_4603いざ三雲城へ。道中 手作り看板を発見。この横に説明板がある。奥に見える山が三雲城。

mikumo-02_4604手作り看板の横に立つ説明板「三雲城跡と八丈岩」。安土の観音寺城主 佐々木六角高頼の逃げ込み用の本城、と書かれている。

mikumo-03_4602八丈岩、三雲城跡へ。この道をまっすぐ行くと登山道へ入る。

mikumo-04_4601正面に見える山が三雲城跡。厳密には、城跡部分は山の奥にあたる。わかりづらいが、山頂やや下に巨石「八丈岩」が見えている。

mikumo-05_4614登城口へ到着。山の上まで舗装された林道が延びていて、車で城跡すぐ近くまで到達できる。看板や石碑、ノボリなどが建っているのですぐ分かる。

ちなみに訪問時、近くの「青少年自然道場」という施設で三雲城展をやっていたので寄ってみたが、三雲城を紹介する個人のホームページをそのまま印刷した紙(当然クレジットなど無く無断使用と思われる)がパネル展示のように貼ってあるというヒドイ有様だった。紹介する価値なし。

mikumo-06_4777三雲城址碑。

mikumo-07_4615石碑脇のカラーの鳥瞰図付きの説明板。カラーの鳥瞰図わかりやすい。まずは主郭方面から奥の郭へと散策し、帰りに土塁沿いに八丈岩へ行くルートにしよう。ここにも猿飛佐助の故郷(という説がある)と紹介されている。確かに、六角氏や三雲氏よりも、猿飛佐助の方が(架空かもしれないけれど)ネームバリューはある。

mikumo-08_4617もう1つの古い説明板「三雲城遺跡について」。六角氏家紋が刻まれた岩、見逃さないようにしよう。

mikumo-09_4619登城口から上へ。受験生の皆さん向けに「落ちそうで絶対落ちない巨岩」が合格祈願の対象としてアピールされている。「落ちそうで」という段階なら、ここに来るよりもっと試験勉強したほうが良いような気がする。準備九割、本番一割。

mikumo-10_4776登城口を過ぎると、道が二手に。看板にあるように、左奥へ進めば城跡方面へ、右を上がれば八丈岩。まずは、左奥へ。

mikumo-11_4620道の左側には、低く積まれた石段が何度も現れる。史料には「近世の治山石垣」とある。

mikumo-12_4623右側は高い土塁とその上は削平地。左側は治山石垣。

mikumo-13_4625「近代の治山石垣」という看板まで建っていた。戦国時代の石垣(山上で見られる)に比べて、まったくもって迫力が無い、レンガ積みのような単調な石積み。

mikumo-14_4629右側の土塁の上は削平地になっており、城郭跡5(兵站地)となっていた。

mikumo-15_4631やがて城内で最も広い、主郭下の大郭へ。正面階段の上が巨大石垣の枡形虎口だ。右上に、その虎口を形成する巨大石垣の外側が見えている。

mikumo-16_4634巨大石垣をアップで。草に埋もれているが、その威容は下からでも十分分かる。

mikumo-17_4635では階段を上がって枡形虎口へ向かってみよう。左右には巨石がゴロゴロ。かつては石垣を多用した石垣造りの堅固な城だったのだろうか。なお三雲城の石垣などの資材は、廃城後に水口岡山城 築城のために持ち去られたと伝わる。ちなみにその水口岡山城の資材は廃城後に水口城に使われ、水口城の石垣も明治の廃城後に近江鉄道の線路敷設に再利用された。つまり、三雲城の石垣は、今は近江鉄道の線路敷に使われている、かもしれない。

mikumo-18_4637階段を上がる。急坂を一気に登る感じ。今は木組みの階段だが、当時は石段だったのだろうか? 道が右にカーブすると、いよいよ虎口へ。

mikumo-19_4641巨大な枡形虎口の入口。枡形が郭の中に形成されている「内枡形虎口」と呼ばれる形式。左側の石垣は失われているようだ。

mikumo-20_4643虎口入口あたりから。奥はまるまる巨石が残っている! 巨石すぎて水口岡山城へ運べなかったか。

mikumo-21_4647枡形虎口の石垣 説明板。矢穴で四角く割った石材もあれば、自然石のままと思われる石も見られる。

mikumo-22_4648石切り矢穴列痕 説明板。看板の裏の石には2個だけだが矢穴(石にクサビを打ち込んで2つに割るための人工的な穴)が見える。

mikumo-23_4650枡形虎口を郭内側から見下ろす。枡形虎口というと織豊系城郭(信長・秀吉時代に確立した城郭構造)の代表的なものだが、ここ三雲城はその前の六角氏時代の城。織田軍により落城し三雲氏が去った後に廃城となるまで織豊系の手が入っているのか、あるいは三雲氏が既にこの技術を持っていたか。石垣は六角氏も観音寺城で既に確立させていたので三雲氏時代からあったと思われるが、この枡形虎口は織豊系の技術が使われている可能性がある。

mikumo-24_4655枡形虎口を高台の上から見下ろす。

mikumo-25_4657高台の上から主郭跡を見てみる。虎口を渡ってあちらへ行ってみよう。

mikumo-26_4660城郭跡I(主郭)へ。最上部では無く二段目の高さにあたる。

mikumo-27_4664主郭に建てられている説明板など。三雲城址の説明板に掲載の図は、山麓で一番最初に見た説明板のものと同じ。

mikumo-28_4661巨大な井戸跡。深さ約6m、野面積みの石垣が残るという。覗いてみよう。

mikumo-29_4662井戸跡内部。シダが生えまくっているが、確かに石積みが見える。

mikumo-30_4663井戸跡あたりから見下ろす桝形虎口。虎口の手前が坂になっているので、坂を上がってきた敵はこの位置から狙い撃ちまくりなことがよく分かる。屋敷主体の観音寺城に比べ、防御力が高い この虎口を持つ三雲城は、六角氏にとっても心強い場所だったのだろう。

mikumo-32_4668主郭外周には土塁が築かれており、虎口ではなく斜面から直接入ろうとする敵を防いでいる。土塁の上には登れるようなので、登って土塁伝いに山頂部の郭を目指してみよう。

mikumo-33_4669土塁の上へ。一部木が切れていて山麓が見渡せる場所があったので眺望を。結構な高さがある。三雲城は標高340mの山腹に建てられているが、比高は資料によりマチマチで、150mぐらいから200mぐらいの間のようだ。次回訪問時は現地で測ってみたい(山麓と山頂とでGPSで標高を測って差分を見る)。

mikumo-34_4672土塁に沿って上へ。土塁の外側、斜面には竪堀群が築かれていた。

mikumo-35_4674竪堀群の一つ。草ぼうぼうで分かり辛いが、確かに縦の溝が見られる。

mikumo-31_4670土塁上から主郭を見下ろす。元々は山の斜面(削平前)だったのだろうか、結構な高さになっている土塁。

mikumo-36_4675更に土塁沿いに最上段の郭へ向かって登っていこう。

>> 三雲城 [2/2] へ続く。<<

訪問時期:2016年9月
撮影機器:FUJIFILM X-M1 + XF14mm
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