山口城は信長の家臣 山口秀康が築いた山城国(京都) 田原郷の平城で、天正十年(1582)の本能寺の変後に家康が滞在していた堺から岡崎へ戻る「神君伊賀越え」の最中に、ここ山口城で休憩を取ったと伝わる。明確な城の遺構はほぼ無く、城跡とされる場所に説明板が建つのみだが、山口氏の菩提寺である極楽寺の山門は城の裏門、城の北側を流れる川は「城の川」、寺周囲の水路は水堀跡と伝わるという。
<基本データ>
●名称:山口城 (山城国)
●所在:京都府綴喜郡宇治田原町 (地図)
●築主:山口甚助秀康
●築城:16世紀
●遺構:伝裏門、水堀跡
訪問時期:2016年9月
<訪問記>
宇治田原町の田園地帯に、山口城跡の案内板は建っている。
史跡 山口城址 説明板。神君伊賀越えで立ち寄ったことが最も有名なエピソード、という。城主の山口氏は関ヶ原の戦いで滅び、城も廃城になったとか。
こちらが説明板にあった山口氏一族の菩提寺「極楽寺」。
極楽寺 山門。説明板によると、かつての山口城の裏門という。しかしパット見て分かるとおり、瓦も柱も壁もかなり新しく、仮に裏門だったとしてもほぼ当時の具材は既に使われていなさそうな印象だ。
極楽寺 山門。かなり立派な薬医門だ。
寺の周囲を散策。水路が張り巡らされている。かつての城の水堀跡、とも。
お寺外周の水路。奥に見える山麓には大きな川も流れていて、そちらも「城の川」と言われたとか。
訪問時期:2016年9月
撮影機器:FUJIFILM X-M1 + XF14mm
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