名張陣屋 : 藤堂高虎の養子 高吉を祖とする名張藤堂家の屋敷跡。

名張陣屋は、丹羽長秀の三男で、藤堂高虎の養子となった藤堂高吉を祖とする”名張藤堂家” 二万石の屋敷跡。高吉が建てた初代屋敷は江戸中期の大火で焼失、その後に再建された屋敷も殆どが明治4年に取り壊された。現在はその一部(正門および中奥・祝之間・茶室など)のみが現存しており「名張藤堂家邸跡」として公開されている。

<基本データ>
●名称:名張陣屋 (Wikipedia)
●所在:三重県名張市 (地図)
●築主:藤堂高吉
●築城:寛永十三年(1636)
●遺構:陣屋建屋の一部

訪問時期:2016年7月


<訪問記>

nabari_jinya_01-3570名張陣屋跡は「名張藤堂家邸跡」として現存公開されている。JR名張駅より徒歩10分ほど。緩やかな坂をあがると、石垣と白壁の一角へ。

nabari_jinya_02-3572こちらが入口。名張藤堂家邸跡。入場料200円。

nabari_jinya_03-3574名張藤堂家邸跡 説明板。現存するのは屋敷跡の極一部で、正門(神社前に移築)と、奥向きの部分。つまり、屋敷の一番前と、一番奥だけが残ることになる。

nabari_jinya_04-3577入口から中へ。こちらは元々の屋敷の一番奥で、ここから入るのが本来の姿ではなく、この手前にずっと建物が連なった先にあった正門(太鼓門)より入る形だった。屋根の形が複雑なのは、増築に増築を重ねて建物がつながれていった証拠とも言える。

nabari_jinya_05-3576現在の名張藤堂家邸跡の入口。当時は廊下が接続していた。

nabari_jinya_06-3631屋敷跡の中へ。「次の間」「中奥」「祝間」の大きく分けて3つの部屋と、それに連なる茶室や湯殿(風呂場)などが残っている。最初の部屋が「次の間」。現在は受付とパネル展示。

nabari_jinya_07-3618続いて正面奥の「中奥」へ。床の間などがあり、藩主が私的に過ごした部屋だろうか。

nabari_jinya_08-3583中奥の奥の間。

nabari_jinya_09-3582名張藤堂家の家系図。1636年、高虎の死後に実子 高次の命で名張に移った藤堂高吉 (高虎の養子) が構えた新居は、1710年の名張大火で類焼し失われてしまう。その後 再建された屋敷跡の一部が、現在残る名張藤堂家邸跡。

nabari_jinya_11-3603東側の「祝之間」へ。ここは名張藤堂家ゆかりの品々の展示コーナーとなっている。

nabari_jinya_12-3590秀吉からの朱印状。慶長二年(1597) 7月10日付の朱印状で、内容は高虎に従って出陣した高吉への秀吉からの慰問文。激励とともに、帷子などが贈られている。

nabari_jinya_13-3597パネル展示 忘れ去られた名張城と初期藤堂家邸。現在の名張藤堂家邸の地下には、かつてこの地にあった名張城 (筒井定次の一族 松倉氏が天正13年に築城、一国一城令で廃城) と、大火で失われた初期藤堂家邸の跡が残るという内容。発掘調査で名張城の石垣などが出てきたという。

nabari_jinya_14-3599名張藤堂家邸の巨大な瓦。藤堂家の家紋と言えば「藤堂蔦」が有名だが、名張藤堂家は「桔梗紋」。

nabari_jinya_15-3595発掘調査で出土した、松倉氏時代の名張城の軒丸瓦の一部。古い特徴として、巴の足が長いことが挙げられるとか。たしかにビョーンと延びて、長い!

nabari_jinya_16-3615茶室の方を見に行ってみよう。庭側の窓は大きく切り抜かれ、また角が丸めてある、実にオシャレな印象。

nabari_jinya_10-3587茶室 内部。茶室にしては広い。奥に茶室特有の「正方形のミニ畳」が見える。お茶を点てる「炉」だ。

nabari_jinya_17-3610茶室 内部 その2。出入り口も角が切ってあり、とてもオシャレ。

nabari_jinya_18-3611茶室の奥にあった、湯殿(ゆどの)。当時の入浴場。当時のお風呂は、湯を張った桶に浸かるのではなく、手桶に入れたお湯をこの部屋で体に掛け、中央の溝から屋外へ排出される仕組みだった。

nabari_jinya_19-3612便所。なんと畳敷き。

nabari_jinya_20-3586茶室から見える庭。当時の図面にも同じ位置に庭があるので、当時の武家屋敷庭園だろう。

nabari_jinya_21-3632屋敷の瓦。軒丸瓦も、左奥に見える鬼板も、桔梗紋が彫られている。

nabari_jinya_22-3639屋敷を出て、壁に沿って裏側へ。庭を区切る壁の一角に勝手口のような小さな門が設けられている。当時からあったのか等は不明。

nabari_jinya_23-3672更に奥へ進むと、神社の境内へとつながり、その手前に巨大な木造建築物がある。こちらが、かつての名張陣屋の正門だった「太鼓門」で、明治になって寿栄神社に移築保存された。

nabari_jinya_24-3649太鼓門。かなり大きく立派な長屋門だ。

nabari_jinya_25-3642太鼓門を正面から。神社の境内、参道から拝殿へ向かう途中に設置されているので、かなり異様な印象。

nabari_jinya_26-3647太鼓門を内側から。参道は坂道になっているので、門の内側から向こうを見ると、空になる。右側の木戸は見張りのための長屋部分へ入る扉だが、施錠されていた。

nabari_jinya_27-3648太鼓門の扉の脇にある、監視のための番所。格子窓の奥にはビリビリに破れた障子が見える。

nabari_jinya_28-3651参道の坂道から、太鼓門を見上げる。一見神社には見えない。

nabari_jinya_29-3652坂道を降りきると、寿栄神社の社号標と、真新しい石鳥居。その奥には巨大な太鼓門。

nabari_jinya_30-3657城下町をぶらり。西の方にはかつての大手門跡には「大手門跡」の碑だけが建っていた。外濠の役目を果たした城下川。

nabari_jinya_31-3661s屋敷跡の西側、名張街道(鳥居の奥)と初瀬街道(右奥)が交わるこの交差点には、巨大な松と古い石鳥居が建つ。

nabari_jinya_32-3666石鳥居には「宇流冨志禰神社」。うるふしね と読む。天正伊賀の乱で焼失し古い記録が失われたそうだが、現在の社殿には元和二年(1616)の棟札があるという。藤堂高吉により寄進された記録があるとか。この名張街道を南東へ下った先、名張川の手前に鎮座する。

nabari_jinya_33-3663石鳥居の脇に立っている巨大な松の木。樹齢300年とも言われ「神シの松」(シは木へんに耆) と呼ばれて親しまれているとか。

nabari_jinya_34-3671s古くより名張の街や人を見守ってきた、街道沿いの石鳥居と巨木。

訪問時期:2016年7月
撮影機器:FUJIFILM X-M1 + XF14mm
– – – – – – – –
ブログ人気投票参加中. いつも投票アリガトウ(^-^)

投票するのも、順位を見るのも、上↑のアイコンを押してね!
ページの一番上に戻る

広告

コメントを残す

以下に詳細を記入するか、アイコンをクリックしてログインしてください。

WordPress.com ロゴ

WordPress.com アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

Twitter 画像

Twitter アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

Facebook の写真

Facebook アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

Google+ フォト

Google+ アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

%s と連携中