高島城 [3/3] お堀沿いに歩いて石垣見学。新旧石垣が揃い踏み。

高島城 訪問記 其の三。

[前回までの訪問記 概要]
JR上諏訪駅から歩いて三之丸〜二之丸を経て、本丸跡へ。美しい水堀と石垣に囲まれた本丸内は、かつての御殿は無く庭園化しているものの、土塀や角櫓等が復興されている(史実通りではない)。再建天守内を見学。其の三では本丸外周の水堀沿いに回って外から石垣、水堀、そして再建天守を見ます。

訪問時期:2015年7月
高島城 訪問記 − 其の一


<訪問記>

takashimajo061-8683本丸中央部は回遊式庭園となっている。当時の遺構ではなく、明治の庭園化の際に新造されたもの。

takashimajo062-8682庭園の脇には「本丸御殿跡」の説明板がある。造園により遺構は失われてしまった、のだろうか。

takashimajo063-8684では本丸の外へ出てみよう。出口は三個所あり、最初に入ってきた北側の冠木門(櫓門)、西側・天守横にある御川渡御門(かつて諏訪湖に直結)、そしてこの南の土戸門。

takashimajo064-8685土戸門の脇には大きな土の盛り上がりがあり、富士見櫓跡と説明板が建っていた。かつて城内には中央の御殿を取り囲むように複数の櫓が建っていた。

takashimajo065-8686s土戸門跡から外へ。左は護国神社の建物。

takashimajo066-8687土戸門跡 説明板。正門である冠木門は当然 厳格な通行ルールが定められていたため、偉いさん以外はこちらの裏口から。

takashimajo067-8688では主郭の周りを囲んでいる(半分は埋め立てられている)水堀沿いに歩きながら、石垣を見ていこう。南東端から北へ。

takashimajo068-8689本丸南東端の石垣。結構小さめの丸い石が積み上げられている。かなり古そうだ。築城当時(1598年)のものかもしれない。

takashimajo069-8690内堀に沿って北へ。かつての水堀はもう少し幅広だったと思われる。道路建設等のために一部埋められるのはよくあること。

takashimajo070-8691まるで川原石のような丸みを帯びた石材による石垣。

takashimajo071-8692どんどん北へ。コケがスゴイ。

takashimajo072-8695本丸東側は一か所折れ曲がりが作られており、飛び出たところには見張りの櫓もあった。

takashimajo073-8696飛び出た部分の石垣はしっかり加工・算木積みの様相。18世紀に一度 石垣の積み直し工事があったと記録されていることから、その頃の修理あるいは飛び出し部の造成があったのかもしれない。

takashimajo074-8697本丸東側の折れ曲がり。横矢掛け(石垣の下にへばりついた敵を横から攻撃するための場所)。

takashimajo075-8699北東端までやってきた。角櫓が復興されている。櫓台の石垣は今までの丸みを帯びた石ではなくしっかりと角を合わせて積み上げている印象。

takashimajo076-8700北東端を少しずつ歩きながら。冠木門付近に巨大な木々が生い茂っていて天守が見えない。

takashimajo077-8705ここら辺りまで来ると、角櫓・冠木門・冠木橋・大天守が揃い踏み。

takashimajo078-8710冠木橋。冠木門のある場所は石垣が少し凸部になっていることもわかる。資料によると冠木門の詳細な姿は不明(写真も無い)で、礎石等の遺構から櫓門ではなく薬医門形式で、左右の石垣の上には武者溜があった、とされている。昭和の再建の際に改変された。

takashimajo079-8711そして再び天守前へ。ぐるっと天守の周りをまわりながら姿を見ていきたい。ちなみに残されている高島城天守の古写真(明治初期撮影)はこの角度からのもの。

takashimajo080-8712高島城天守 北面から。天守台より天守そのものの大きさがやや小さい。これは古写真でも同じなのだが、この作りの場合、石垣の天面が少し出ているのでここから水が染みて石垣の膨張破損につながるため、小さな屋根を付けて水が石垣内部に入るのを防ぐのが常套。当時の高島城天守もそのような構造になっていたとのことだが、何故か昭和の再建の際にはそれが省かれ、石垣の飛び出た部分はコンクリートで塞がれるという改変が行われている。これはいただけない。

takashimajo081-8715西側へ回り込む。水堀が残っているのはどうやらここまでのようだ。

takashimajo082-8716天守西面。完全に水堀が失われ、道路のコンクリートが石垣に接してしまっている。違法駐車されるだけのスペースのような気もする。溝程度でもいいから水堀を残せなかったのだろうか。

takashimajo083-8726天守台石垣、西面。下の方と上の方の石垣の雰囲気が異なる。

takashimajo084-8717南西側へ。天守台だけが本丸石垣から少し飛び出している構造。

takashimajo085-8725天守台 南西端の石垣。しっかりとした算木積み。

takashimajo086-8721大天守 南西端。絶妙な位置に車が停められていてガッカリ。水堀を埋めるからこんなことになる。

takashimajo087-8724大天守 南面。

takashimajo088-8723大天守すぐ脇には、埋門のような作りの場所もあった。この反対側にはちょうど駐車場があるので、車客の入口として石垣を破壊して作ったのだろう。それに当時はここは諏訪湖なのでこの位置に埋門は無い。江戸時代に既に埋め立てられていればあったかもしれないが、そうだとすると埋門を完全にコンクリートで覆ってしまったことになる。どちらにしろ、お城ファンとして残念な気持ちに成るスポット。早々に立ち去る。

takashimajo089-8727天守台北西端。水堀がギリギリまで埋め立てられているが、かろうじて残っている。この調子でいいので、ぐるっと一周残してほしかった。

takashimajo090-8729天守台北西端から、水堀全景を見る。広さが実感できる。

takashimajo091-8733高島城。明治および昭和の工事で施されたと思われる残念な遺構破壊が幾つか見られるも、総じて地元のお城の町への愛が感じられる場所だった。外観復元のお城って、いいね。

訪問時期:2015年7月
撮影機器:FUJIFILM X-M1 + XF14mm
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高島城 [3/3] お堀沿いに歩いて石垣見学。新旧石垣が揃い踏み。” への2件のフィードバック

    1. お堀の水深に関する情報はありません、が、埋め立てられて公園化されていること、諏訪湖自体もその立地上かなり水深が浅くなっていることから、かなり浅いものと思われます。

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