関ヶ原古戦場 [4/5] 豊臣一族ながら家康に味方した小早川秀秋の陣跡・松尾山へ。

関ヶ原古戦場 訪問記 其の四。

[前回までの訪問記 概要]
関ヶ原古戦場跡に散在する東西陣営の陣跡めぐり。資料館でレンタサイクルを借り、徳川家康最後陣地から反時計回りに一帯を散策。黒田長政・竹中重門の岡山烽火場から、三成陣所、島津陣所、宇喜多陣所、そして大谷吉継陣所と墓へ。其の四では、15000もの大軍で合戦中に西軍を裏切り襲いかかった小早川秀秋の陣所が残る松尾山に登ります。

訪問時期:2013年10月・2014年10月
関ヶ原古戦場 訪問記 − 其の一


<訪問記>

sekigahara129-0464松尾山までは少し歩く。JR線路を越え、新幹線を越え、名神高速を越え、南へ。このような案内板が随所にあるので、見逃さないように行けば迷わない。

sekigahara130-0465松尾山方面へ。途中「脇坂安治陣跡 →」という看板を発見したので寄ってみる。脇坂安治は小早川秀秋と同じく、西軍裏切り五人組の一人。個人的には、彼らが行った「布陣して合戦が始まってから裏切って味方を横から攻撃した」行為は、裏切りというよりも背信に近い印象。皆生き残るために当時は必死だった苦肉の策だとは思うが。

sekigahara130a-126-03209松尾山山麓の平野部、何もない林みたいなところにひっそりと建つ陣跡の碑。

sekigahara130b-127-03211平野 脇坂安治陣所古址。ここにも明治時代の小さな碑のみ。

sekigahara130c-128-03210脇坂安治 陣跡 説明板。かつては賤ヶ岳七本槍の一人として持ち上げられ、合戦当時は淡路・洲本城主。小早川秀秋の裏切りでも持ち堪えている大谷隊を脇から攻め立て、大谷隊の崩壊そして西軍の壊滅へと繋がるキッカケとなった、脇坂ら鶴翼の右翼陣の裏切り。

sekigahara131-0469脇坂陣跡から松尾山方面へ。松尾山 小早川陣地十丁、という標柱。奥には小早川秀秋の旗印、違い鎌の幟が見える。

sekigahara132-0471登山口。小さな駐車場もある。自転車をここに置こう。ここから徒歩約40分で山頂、とある。時間を計ろう、現在は11:13。

sekigahara133-0474しばらくはこのような山麓の平坦な道が続く。石垣の見られるが後世のもの。

sekigahara134-0480途中 道が土塁上とに分かれ、土塁上に上がってしまいそうになるが、右の普通の凹部の道が正解、という案内板があって助かった。

sekigahara135-0481斜面を切り開いて切り通しあるいは堀切道にしたような中を進む。分かれ道の際はどちらに進むべきか都度教えてくれる。松尾山山頂へは右へ。

sekigahara136-0488山腹までやってきた。ずっと山の中だったが、尾根上に到達、少し向こうに行けば木々が無くなり眺望がありそうだ。

sekigahara137-0489木々が薄くなったところへ。山頂はまだ先だが、振り返って眺望を見てみる。

sekigahara138-0490松尾山 中腹あたりから見る眺望。ちょうど山の切れ目から関ヶ原の平野部が見通せる。

sekigahara139-0491ズームで。平野部のあたりは、ちょうど東軍の藤堂高虎や福島正則らの陣跡あたり。奥の山の手前に見える小山の上にノボリが立っている場所は、最初に行った黒田長政隊・竹中重門隊の岡山烽火場。

sekigahara140-0494では更に登って行こう。階段が現れ、やや角度も急になっていく。

sekigahara141-0496霧が出てきた。うーん。山頂からの眺望は期待できないかも。

sekigahara142-0497右側が大きく削れているエリアへ。

sekigahara143-0499巨大な堀切のようなV字をした谷。自然の谷に、少し手を加えているかもしれない。

sekigahara144-0502このあたりから、陣地跡なのか、その前の中世山城跡なのか、谷側に土塁跡が顕著に見られるようになってくる。土の城壁。

sekigahara145-0503虎口的に折れ曲がった土塁。

sekigahara146-0506そして山上へ。雲の中に入ったようで、一面真っ白い雰囲気。

sekigahara147-0508奥の山頂部にノボリが見える。あそこが陣跡だ。

sekigahara148-0509陣跡まであと少し。

sekigahara149-0511陣跡の広場に入る直前にあった説明板。松尾山城史。室町前期に小守護 富島氏が城を築いたのが史料初見とされる。戦国期になると、美濃と近江の境の城として浅井長政の手も入るが、信長が美濃も近江も治めると役目を終え廃城となったようだ。そして時は過ぎ、小早川秀秋の陣跡として歴史の表舞台に出てくる。

sekigahara150-0512山頂の小早川秀秋 陣跡へ。時刻は11:47。麓の駐車場から写真撮ったり眺望見たりしながら、34分の登山だった。

sekigahara151-0513中央部には松尾山 小早川秀秋陣所古址の古い石碑と、説明板。

sekigahara152-0514小早川秀秋陣跡 説明板。家康に催促鉄砲を打ち込まれ、西軍の大谷隊へ突撃した、とよく聞くが、両軍合わせて10万もの大軍同士の合戦中、山麓遥か向こうの徳川家康本陣から鉄砲をこちらに向けて発砲して、果たしてそれが家康隊から自軍への発砲と識別できるものだろうか? という疑問がいつも湧く。秀秋は東軍西軍両方から破格の条件で誘われていた記録が残っているが、最終的には家康を選んだ。

sekigahara153-0518松尾山の古い木の説明板。北西方面に伊吹山、南東方面に「養老の滝」で有名な養老山がある。

sekigahara154-0519では松尾山から関ヶ原古戦場を見下ろす眺望を、見たかったが、残念ながら雲の中。

sekigahara155-0516松尾山の上から見下ろした方向で描かれた、関ヶ原合戦陣形図。あのへんに誰隊が居て〜みたいな話を実際の地形を見ながらしたかった。家康の大軍の真後ろの山上には、毛利軍が配置しており、西軍本体と東軍を挟撃する形になっている。南宮山から攻撃されていたら、家康隊は崩壊したかもしれない。しかし実際は毛利軍含め南宮山一帯の西軍部隊は動かなかった(山麓の吉川隊が内通し道を塞いでいたという話もあり)。

sekigahara156-0517眺望。登山中に霧が発生し、山頂到着時には正面の山すら見えない状態に。残念。

sekigahara157-0536山頂に建つ、巨大な「小早川秀秋陣地」ノボリ。開戦地や三成陣地からも見える。

sekigahara158-0542見晴らしの良いこの場所は、周囲が土塁で囲まれていた。

sekigahara159-0533関ヶ原方面ではない方向も、ぐるっと一周土塁が囲む。中世山城時代の遺構だろう。

sekigahara160-0539主郭外周土塁。

sekigahara161-0522土塁の切れ目。中世山城時代の主郭虎口にあたるか。

sekigahara162-0532ではその主郭虎口跡を出て少し奥を散策してみる。これは主郭虎口外から、主郭方面を見返した図。奥の東屋は主郭にある休憩所。

sekigahara163-0523虎口を出ると尾根沿いにやや削られ凹んだ道が作られ、先には土橋と竪堀らしき場所も見える。

sekigahara164-0525トイレの奥には、なかなかの高さの土塁と虎口。木戸でもあったか。

sekigahara165-0527木戸虎口の外側。左右土塁の上には板塀か何かが建てられ、中央虎口には頑丈が木戸が作られれば、もう立派な城の入口、だ。

sekigahara166-0544小早川秀秋陣跡(主郭跡)へ戻ってきた。心を決めかねる若き金吾中納言(小早川秀秋)は、あの端っこに立って山麓の合戦の様子を見ながら、どうすべきか悩みぬいていたのかもしれない。その時 秀秋わずか19歳。物心ついた頃には既に秀吉は天下人、大事なことはすべて秀吉が決めてきた彼の中で、初めて自分で決めなければならない重大事項だったのかもしれない。そして秀秋は関ヶ原合戦のわずか2年後 死去。小早川家(岡山藩55万石)は無嗣断絶で改易処分となった。

其の五では、松尾山から下山し、残る東軍陣地跡を巡ります。

>> 関ヶ原古戦場 [5/5] へ続く。<<

訪問時期:2013年10月・2014年10月
撮影機器:FUJIFILM X-M1 + XF14mm
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