関ヶ原古戦場 [2/5] 東軍を防ぐ堅固な竹矢来が再現された三成陣跡へ。

関ヶ原古戦場 訪問記 其の二。

[前回までの訪問記 概要]
JR関ヶ原駅より散策開始。まずは北上、資料館でレンタサイクルを借りて、徳川家康最後陣地跡 (床机場) を経て、岡山烽火場、三成本陣前に建つ決戦地へ。其の二では三成本陣から島津、小西といった西軍諸将の陣跡を見て回る。

訪問時期:2013年10月、2014年10月
関ヶ原古戦場 訪問記 − 其の一


<訪問記>

sekigahara041-0580決戦場から、その北にある西軍 石田三成の陣跡へ。正面の大量にノボリが建っている場所がそう。

sekigahara042-0584土塁と柵。竹矢来と呼ばれる

sekigahara043-0585中央に竹矢来の切れ目がある。ここから中へ。

sekigahara044-0586復元された竹矢来。

sekigahara045-0587竹矢来を内側から。前から突撃されてもそうそうカンタンには崩れない。ただ当時の状況としては、早朝に三成軍はここ笹尾山に着陣、濃い霧に囲まれていた現地で竹矢来を含めた陣を構築し、朝8時には戦闘開始。数時間でどこまで竹矢来群を築けるかといったところか。出陣前に居た大垣城より私財を運んできた可能性もあるか。

sekigahara046-0588頑強な竹矢来。

sekigahara047-0589竹矢来。戦闘時は伐ったばかりの木材であればこんな灰色ではなく、茶色い景色だっただろう。

sekigahara048-0596竹矢来の前には、三成の重臣だった島左近の陣跡も残る。

sekigahara049-0597島左近(島勝猛)陣跡 説明板。銃弾を受けて討ち死にしたともいいます、と書いてあるが、戦後 名や仕事を変え生き延びたという伝説や墓が全国各地に残る、謎多き人物。

sekigahara050-0598笹尾山 三成陣跡へは、丘の脇にあるこの登山道か、あるいは中央部にある。こちらの道がおそらく当時の登山道だろう。こちらから登る。

sekigahara051-0600竹矢来の具材で作った笹尾山の案内板。

sekigahara052-0601しばらく登ると、もう一重の竹矢来が築かれている。

sekigahara053-0602竹矢来 説明板。竹矢来と書かれていたものが、矢来 に書き換えられている。竹じゃないということだろうか。設楽原古戦場(長篠の戦い)では「馬防柵」と書かれていた。

sekigahara054-0603山腹に築かれた、二重目の竹矢来。

sekigahara055-031032013年に訪問したときの竹矢来 写真。木が新しい! ノボリも汚れていない。この頃に復元されたのかもしれない。

sekigahara056-0605では登山道をあがって、陣跡へ向かおう。

sekigahara057-0606しばらく登ると眺望の良い曲輪へ。こちらが石田三成陣跡だ。展望台などがある。

sekigahara058-0609s石田三成陣跡の展望台へ。眺望と当時の陣跡説明板。

sekigahara059-0611関ヶ原合戦陣系図。三成陣跡からは、向かって右側が西軍、左側に東軍が一望できる。そして左下のボタンを押すと、ド迫力のホラガイ音付きで合戦の様子を実況してくれる機能つき。是非聴いてほしい。

sekigahara060-0610展望台から見る関ヶ原一帯全景。

sekigahara061-0615先ほど其の一で通ってきた「決戦地」がすぐ下に見える。あそこで激戦があり、やがて押し込まれこの本陣下まで大軍が迫ってくるのを三成も見ていたことだろう。

sekigahara062-0613右奥の山上には、小早川秀秋が布陣した松尾山が見える(中央左のノボリ付近)。その手前右側の山は宇喜多秀家が布陣した天満山。

sekigahara063-03106展望台を下から。巨大なノボリが目立つ。

sekigahara064-0619展望台の奥へ行くと、史蹟碑や古址碑が建ち並ぶ。

sekigahara065-0617おなじみになってきた、巨大な史蹟碑。石田三成陣地。

sekigahara066-0618石田三成陣地 説明板。

sekigahara067-0620奥には休憩所がある。このまま奥に道が延び、下山するルートがあるようなので、そちらから降りよう。

sekigahara068-0621笹尾山 西側の登山道から下山。

sekigahara069-0622階段が設置されているので、ちゃんとした登山道。しかし西の住宅街へ出てしまうので、行きはこちらではなく正面から登るべきだろう。

sekigahara070-0624下山。住宅街の裏へ出た。このまま南下し、島津ら西軍諸将の陣跡へ向かおう。

sekigahara071-0626道路沿い(365号線)へ出ると、島津陣地 二丁 と書かれた古い標柱があった。案内に沿って奥へ。

sekigahara072-0627島津義弘陣跡、小西行長陣跡、開戦地、宇喜多秀家陣跡 へと続く道。島津義弘から大谷刑部まで一直線に陣地跡が配置されている。

sekigahara073-0628住宅街の中を右へ左へ。随所に案内板があるので、それを見逃さないようにしよう。

sekigahara074-0629住宅街から再度森のなかへ。

sekigahara075-0630神明神社。こちらが島津陣地跡のようだ。石碑などは奥にある。

sekigahara076-0631神社境内の奥へ。石碑などが建ち並ぶエリアへ。

sekigahara077-0632小池 島津義弘陣所跡。今までの陣跡にあった碑とは異なる巨大な石碑。こちらは島津家の子孫が築いた碑のようだ。東軍の中に孤立した島津軍は、諦めることなく、敵中突破を果たし、甥の豊久など犠牲は大きかったものの、大将 島津義弘は見事 薩摩まで帰り着き、また粘り強い交渉で所領安堵も勝ち取っている。まさに島津家の誇りだろう。小池とは地名のこと。

sekigahara078-0633おなじみの小さな陣所古址碑もある。

sekigahara079-0634島津義弘陣跡 説明板。敵中突破、捨て肝 (すてがまり)。

sekigahara080-0637薩摩島津の誇り。立派な石碑が立つ。

sekigahara081-03125島津義弘陣地跡。鹿児島県(旧薩摩国)からは、関ヶ原戦跡踏破隊と銘打って、ここ関ヶ原から大坂まで、島津隊が脱出した経路を踏破する (途中電車も使うとのことだが) 活動を続けているという。

其の三では、開戦地から宇喜多秀家陣跡、そして大谷吉継陣跡へと散策します。

>> 関ヶ原古戦場 [3/5] へ続く。<<

訪問時期:2013年10月/2014年10月
撮影機器:FUJIFILM X-M1 + XF14mm
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