国吉城 [2/2] 尾根上に段々に築かれた連郭曲輪群を散策。

国吉城 訪問記 其の二。

[前回までの訪問記 概要]
山麓の資料館前より登城開始。約20分の登山を経て主郭部へ。途中 二ノ丸の高土塁と食い違い虎口は見どころ。主郭下あたりまで来ると石積み跡が多く見られる。其の二では主郭虎口と連郭曲輪群、そして山麓の城主居館跡を見ます。

訪問時期:2015年10月
国吉城 訪問記 − 其の一


<訪問記>

kuniyoshi-map-5978国吉城 縄張図 再掲。現在は右下の本丸(主郭)に居る。其の二では、残る本丸の北東虎口を見てから、左上(北西)尾根上に伸びる連郭曲輪群を散策する。

kuniyoshi-5809主郭の奥へ。いかにも発掘調査中という感じの場所に、かつての城の地面と、石垣跡が露出している。北東虎口。

kuniyoshi-5815s主郭 北東虎口を下から。どういう形で道が構成されていたのか、よく分からない。

kuniyoshi-5817s細い溝と、それとは斜めに交わる石積みの列。どうなってるのかよく分からない。

kuniyoshi-5821主郭に落ちていた石仏類。五輪塔が表面に掘ってあるタイプは珍しい、と何処かで聞いたが、結構あちこちで見る。

kuniyoshi-5828主郭の周囲(外周)を注意深く見ると、石垣跡らしき石積みも見られる。果たして。

kuniyoshi-5830a-5810国吉城本丸からの眺望。説明板には「本丸からの眺望は大変良く」なんて書かれていたが、少なくとも訪問時は高木が茂っていて眺望はあまり楽しめなかった。

kuniyoshi-5831別の方向の眺望。少し開けている場所もあったが、山しか見えない方向だった。海側が見たかった。

kuniyoshi-5838眺望は諦めて主郭を降りた。連郭曲輪群へ行ってみよう。ちなみに「連郭曲輪群」という国吉城でよく見る言葉、連郭とは文字通り「曲輪が連なっている」意なので、その後に続く「曲輪群」と結局同じことを二回繰り返しているだけのようにも思える。連郭という言葉には一列に曲輪が連なっているという意味合いも(お城用語的に)あるので、一概に変な言葉とは言えないかも。などと悩みながら連郭曲輪群へ行こう。眼下の石垣堀切は、右側に城内路を越えて竪堀に繋がっているようにも見える。

kuniyoshi-5839では連郭曲輪群へ。まずは最初の曲輪。ここから、階段状に巨大な曲輪が尾根に沿って構築されている。縄張図ではここが最初のII郭、以降 III、IV、V、VIまで続いているようだ。途中は土塁や石垣、切岸、虎口など見どころもありそう。

kuniyoshi-5843II郭からIII郭を見下ろす。なかなかの高低差。降り道はあるもののかなり急でロープが設置されているところもあるので気をつけて。

kuniyoshi-5848III郭へ。II郭の切岸を見る。この壁を降りてきた。山麓の城主屋敷跡から大手道であがってくるとこの辺りへは行く必要は無いが、城下町を突破しないといけないので、尾根沿いの他のルートから攻めようとした場合、こういった尾根沿いの防御設備を突破しなければならない。

kuniyoshi-5850III郭。ここは先端へ向かって左側にIV郭へ降りる道が作られており、そこに虎口や石垣がある、と資料に書いてあったが、虎口や石垣はこのとおり、非常に僅かなもの。

kuniyoshi-5856III郭虎口よりII郭切岸方面を見る。ここからでもII郭の切岸の高さに圧倒される。

kuniyoshi-5860IV郭へ。ここは小さいが周囲の木を伐採すれば眺望は良さそうだと思わせる高さがあった。

kuniyoshi-5861IV郭からIII郭切岸を見返す。先ほどよりは低め。

kuniyoshi-5868IV郭からV郭へは土塁と切岸を利用して虎口的な構造になっている。そしてV郭は草むらだ。

kuniyoshi-5880V郭は草むらなのでそのまま降りて先端のVI郭へ。VI郭は周囲に巨大な土塁が築いてあることが見どころ。土塁の上を通ってV郭方面へ向かう。

kuniyoshi-5913連郭曲輪群の各曲輪の外周には、わずかに石垣跡・石積みが見られる場所がある。いろいろ探した結果、いくつか見つけたのでご紹介。まずはこちら、土を掘ればもう少し出てきそうな感じ。

kuniyoshi-5918こちらは本当に僅かだが、かつては一直線につながっていたことが分かる位置関係。

kuniyoshi-5931山上の散策はこれぐらいにして、下山してきた。登り口は城主屋敷および江戸時代の佐柿奉行所(佐柿陣屋)跡となっているようだ。発掘調査がなされ、色々出ているようなので、それらを見て回ろう。

kuniyoshi-5939城主屋敷跡の石垣。

kuniyoshi-5941城主屋敷は石垣の壁で区画されていたようだ。

kuniyoshi-5946s敷地内にある石組溝。

kuniyoshi-5948低いところに降りて来ると、石垣の区画ではなく、土塁ベースになった。家臣の家が並んでいた場所か。

kuniyoshi-5954降り口らしき場所には石段跡もあった。階段があるところ以外は壁で囲われていたのだろうか。

kuniyoshi-5954a-5715難攻不落 国吉城のノボリ。横には城主居館跡の説明碑がある。

kuniyoshi-5954b-5716国吉城跡 城主居館跡 説明板。古くからこの地は国吉城主と家臣団の屋敷跡と伝えられ、発掘調査の結果、壮大な石垣や平石を配した礎石立建物跡が発見されている。

kuniyoshi-5955そして城主屋敷跡から更に降りた先には立派な屋敷が建っている。佐柿奉行所跡。

kuniyoshi-5956a-5985立派な石垣の土台の上に建つ屋敷。佐柿奉行所跡で、現在は若狭国吉城歴史資料館となっている。建物は江戸時代の庄屋だった旧 田辺半太夫邸を移築したもので、奉行所(陣屋)時代の建物は廃藩置県時に破却されている。石垣は現存とされているが、他との残り具合が大きく異なるので、かなり復元の手が入っているのだろう。

kuniyoshi-5961では資料館へ入ってみよう。入場料100円。

kuniyoshi-5963佐柿町奉行所(御茶屋屋敷)跡 説明板。奉行所の建物は破却され失われたが、門扉は残るようだ。

kuniyoshi-5968国吉城と佐柿の歴史。右上の謎のキャラクターは美浜町のゆるキャラ・へしこちゃん(!)。へしことは鯖の糠漬け。若狭・丹後あたりの郷土料理。

kuniyoshi-5974若狭国吉城歴史資料館 内部。巨大な山城ジオラマが目を引く。展示も豊富、これで100円は安い!

kuniyoshi-5975国吉城ジオラマ。谷間に城主居館などを作り、その背後の山を詰城とした作り。

kuniyoshi-5976山頂の国吉城部分をアップ。木が伐られた姿だと曲輪の構造が分かりやすい。当時の山城もやはりこれぐらいガッツリと伐採していたのだろうか?

kuniyoshi-pamph資料館で頂いたパンフレットとチラシ。フルカラーでよく出来ています。すばらしい!

訪問時期:2015年10月
撮影機器:FUJIFILM X-M1 + XF14mm
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国吉城 [2/2] 尾根上に段々に築かれた連郭曲輪群を散策。” への2件のフィードバック

  1. こんな城だったのですね。
    石垣が残っていると云うことを読んで、1971年頃の冬、麓の居館跡まで行きました。城下のヒトに聞いたら、ウチの山であのあたりから登れると云われたのですが、登城口が判らず、おまけに雪で断念しました。

  2. 1971年!ですとまだ発掘も整備もされておらず、登ってもよくわからなかったかもしれませんね。雪であれば尚更、危険も伴いますし、断念されても致し方なし、だったかもしれません。今は整備もこのとおり進み、麓の代官所跡にはキレイな資料館も建ち、駐車場や説明板なども準備され、素敵な山城跡だと思います。

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