丸岡藩砲台跡 : ペリー来日の前年に日本海に向けて築かれた台場跡。

丸岡藩砲台跡は、幕末の1852年 (ペリー来日の前年) に越前丸岡藩が日本海防衛のため築いた台場 (砲台群) 跡。柴田勝家の子 柴田勝豊が築いた丸岡城も、200年以上が経過し丸岡藩主は幕府老中 有馬氏が城主を務めていた。藩主 有馬道純は、あの品川台場を築いた砲術家 江川太郎左衛門に弟子入りしていたという。丸岡藩の本城 丸岡城の訪問記は別ページで。

<基本データ>
●名称:丸岡藩砲台跡 (Wikipedia)
●所在:福井県坂井市 (地図)
●築主:栗原源左衛門
●築城:嘉永五年(1852)
●遺構:石垣、土塁(胸墻)

訪問時期:2015年2月


<訪問記>

maruoka-daiba-9300a-9377丸岡藩砲台跡。駐車場や看板も完備されている。公共機関で来る場合は芦原温泉駅あるいは三国駅から1時間に1本ほどのバスで「梶浦」バス停へ。近くにある越前松島水族館から歩いて行く事も出来る。

maruoka-daiba-9307a-9376駐車場の奥に砲台跡への入口あり。

maruoka-daiba-9307b-9375まずは説明板で勉強して行こう。

maruoka-daiba-9308越前松島史跡探勝路 砲台跡を訪ねて。手書きのダイナミックな自体で良い感じの説明が書いてあるのだが、消えかかり過ぎていて読みづらいのが残念。いろいろ書いてあるが砲台跡については「幕末に外国船渡来の急を告げた時、丸岡藩がじ領内のこの地に築いた砲台跡があります」の一文のみ。

maruoka-daiba-9309では看板を越えて道に沿って海の方へ出よう。

maruoka-daiba-9311海が見えてきた。

maruoka-daiba-9312視界が開け、海に飛び出る形の場所に、砲眼らしき穴を持つ土塁が見える。

maruoka-daiba-9315先へ進む。砲台跡がある広場の右側は断崖絶壁だ。

maruoka-daiba-9316丸岡藩砲台公園。国定公園。

maruoka-daiba-9317ずらりと並ぶ、砲眼と(海からの敵弾を防ぐための)土塁。

maruoka-daiba-9342砲台を並べる砲眼部分と、その間の敵弾避けのための石垣。砲台の衝撃で崩れないよう土塁ではなく石垣でしっかり固定されている。

maruoka-daiba-9336砲眼と石垣を正面から。実際にこの砲台が使われたことは(記録上は)無かったそう。

maruoka-daiba-9341砲眼と石垣。砲眼部分には石段が築いてあり、固定するようになっているようだ。どのような砲台が、どのように置かれていたのだろうか。

maruoka-daiba-9321砲眼から外に出て、日本海を見る。眼下が岩場になっているためか、波しぶきが白い。右奥に少し見える陸地は、能登半島の西側。砲台跡がある越前松島は、日本海に少し飛び出た岬のような場所になっていて、福井〜金沢方面に現れる敵船を監視するにはとても良い位置だ。(地図)

maruoka-daiba-9325銃眼と石垣を外側から。石垣は内側にメインで作られていて、外側は大きな土塁のように見える。

maruoka-daiba-9327砲台跡の銃眼。

maruoka-daiba-9350砲台跡を外側から。海にすぐ面したところに設置されているのではなく、5mほど内側に築かれている。

maruoka-daiba-9319角度を変えて。海に向かってズラリと砲台が並ぶ様は威容だっただろう。

maruoka-daiba-9345見落としていたが、砲台跡の中央あたりに古い史跡碑が建っていた。丸岡藩砲臺跡、と書いてある。臺は台の旧字。

maruoka-daiba-9358銃眼と石垣と日本海。様々な角度で見るとまたそれぞれ印象が異なる。第三者目線。

maruoka-daiba-9359銃眼と石垣と日本海。丸岡藩目線。

maruoka-daiba-9361銃眼と石垣と日本海。奥に見える陸地は、越前松島。東尋坊から続く岩場の名所だ。後ほど行ってみよう。

maruoka-daiba-9346一列にズラリと並ぶ銃眼と石垣。良い場所に木が立っている。

maruoka-daiba-9364丸岡藩砲台跡 全景。殿目線。いや殿はここまで来ないか。

maruoka-daiba-9371砲台跡の少し内側には、土塁で囲まれた曲輪跡らしき場所もあった。砲兵たちの宿舎や、弾薬庫などがあったのかもしれないと妄想。

maruoka-daiba-9372自然地形ではなく、明らかに盛っている。

maruoka-daiba-9385おまけ:越前松島へ。東尋坊から続く岩場の名所だ。

maruoka-daiba-9386越前松島から見る日本海。太平洋とは全く異なる様相。

幕末の風雲急を告げる時代の象徴、丸岡藩砲台跡。ペリー等が来たのはアメリカからなので太平洋側なのだが、当時はそんなことは分からず(北にはロシア帝国もある)各藩が各々に防御態勢を築いていたのだろう。若狭方面には小浜藩が築いた砲台跡もあるという。各地の台場巡りも楽しい。

丸岡城 訪問記はコチラ→ 丸岡城 訪問記

訪問時期:2015年2月
撮影機器:FUJIFILM X-M1 + XF14mm
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