松倉城 [1/2] 堀切で各曲輪を分断する連郭式 中世山城跡。

松倉城は越中東部の守護代 椎名氏の居城で、標高413mの山頂に築かれていた連郭式の構造を持つ中世山城。近くにあった松倉金山のおかげで、当時城下は繁栄していたという。1570年に宗主の上杉氏から武田氏に寝返ったことで上杉軍に攻められ敗退、椎名氏の松倉支配は終わった。その後 松倉城は上杉氏による支配となり、佐々成政による越中平定で開城、その後 廃城となったという。周囲には支城(出城)・武家屋敷・城門跡など多くの関連史跡があり、まとめて「松倉城塁群」と呼ばれる。増山城・守山城とともに「越中三大山城」と呼ばれる。

<基本データ>
●名称:松倉城 (Wikipedia)
●所在:富山県魚津市 (地図)
●城主:椎名氏、上杉氏
●築城:14世紀頃?
●遺構:曲輪、堀切、虎口、磐座 等

訪問時期:2015年11月
松倉城 訪問記 − 其の一


<訪問記>

matsukura-7359大雨の中、越中三大山城の一つ 松倉城跡へ。山頂に位置する城跡だが、主郭跡のすぐ下まで車道が延びている。雨ということもあり、楽々主郭下まで車で直行。大きな石碑と看板が目印。目の前の階段を上がって右側が主郭、左側に二の曲輪〜四の曲輪 が続く。

matsukura-7361-1松倉城跡を囲むように点在する支城や砦跡等を総称して「松倉城塁群」と呼ぶ。その説明板。

matsukura-7361-2図面部分をアップで。現在は主郭と二の曲輪のすぐ下に居る。たいていの支城群は尾根続きの山々に配置しているが、城下の川を隔てた先にも③石の門、④升方城などが配置されている。後ほど、雨でも散策可能な⑦武隈屋敷、③石の門、④升方城跡 へ行ってみよう。

matsukura-7364主郭すぐ下にある、松倉城主之碑。巨石を積み上げた上に石碑が載っている。

matsukura-7365では城跡へ。石碑前の階段をあがると、すぐに道が左右に分かれる。右手が本丸(主郭)20m、左手が二の丸(二の曲輪)30m、以降 三の曲輪、四の曲輪と続く。中央の凹みには「空堀跡」という(壊れた)看板がある。まずは二の曲輪へ。

matsukura-7369s二の曲輪への道は三段ほどの段曲輪が形成されている。

matsukura-7373二の曲輪へ。奥に堀切等があるのだが、この悪天候のため眺望も無く堀切もよく見えなかった。

matsukura-7381では先に主郭へ。二の曲輪から、主郭方面とその間の空掘を見下ろす。霧が濃くなってきた。

matsukura-7382階段を上がって主郭へ。

matsukura-7383主郭。かなり細長い曲輪のようで、奥まで霧で見えないほど。

matsukura-7384主郭の様子。写真で見ると幻想的にも見えるが、現場は雨で滑るし見えないしで大変だった。

matsukura-7386主郭奥へ。説明板や石碑、小屋などが見える。その前には虎口らしき構造物。

matsukura-7387a-7408主郭奥の虎口跡。石段とその脇の巨石は当時のものか。

matsukura-7389松倉城跡 主郭跡。巨大な磐座(いわくら)と、その前に説明板など。

matsukura-7390脇にある小屋。中には休憩所というよりジオラマ置き場のようだ。

matsukura-7391松倉城跡地形模型。建物が一切なく山の地形だけの巨大ジオラマ。山全体なので主郭部などは小さく中央にポツンとある。曲輪部分だけアップにしたジオラマでも良かったのでは。

matsukura-7392a-7407松倉城 主郭の磐座。

matsukura-7395松倉城跡 説明板。ここ主郭の奥には八幡堂と呼ばれる場所もあるようだ。磐座もあるし、櫓台というよりは城の守護神のための場所だったのだろう。主郭から見渡す眺望は格別とある。

matsukura-7396松倉城に関する年表。室町幕府前夜、建武新政時代に初期の松倉城が築かれたようだ。城主 椎名氏が上杉謙信に叛いたことで上杉軍に攻められ落城。その後 織田軍の北陸方面軍に攻められる。本能寺の変後、佐々成政に攻められる。そして廃城。まさに戦いの歴史。

matsukura-7397a-7394松倉城とその支城群 説明板。

matsukura-7397b-7393松倉城 支城群等の写真つき解説。

matsukura-7398さて、抜群とあった主郭からの眺望。キリのため全く見えない。下の眺望説明パネルの青空写真との差! 富山湾見たかったなあ。

matsukura-7402主郭奥にある堀切を見に行く。堀切は見えたが、雨で足元の細い道が滑って滑ってかなり危ないので散策はここまで。この堀切の向こう側に八幡堂がある。

matsukura-7411主郭周囲の帯曲輪へ。主郭土塁。

matsukura-7416帯曲輪の先端には桝形虎口らしき土塁跡も残る。L字に曲がった土塁。

matsukura-7418枡形というにはちと厳しいか。L字の土塁跡はよく分かる。

matsukura-7419では二ノ丸へ戻り、三の丸、四の丸方面へ向かってみよう。各曲輪はこのような大きな堀切で分断されている。

matsukura-7420曲輪間を完全に分断する堀切。松倉城は城内の随所に残るこの堀切が見どころだ。案内板には「四の丸」とある。どうやら三の丸をすっ飛ばしてしまったようだ。雨と霧がひどく戻る気にならなかったのでこのまま。いずれ再訪したい。

>> 松倉城 [2/2] へ続く。<<

訪問時期:2015年11月
撮影機器:FUJIFILM X-M1 + XF14mm
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