増山城 [1/3] 上杉謙信と戦った越中守護代 神保氏の山城へ。

増山城は、越中守護代 神保(じんぼう)氏が戦国時代に拠点としていた山城で、越中攻めをしていた上杉謙信にも「嶮難之地」とその堅固さを認めていたほどの巨大山城だった。城内には巨大な堀切や土塁、竪堀、切岸などの大規模土木工事の跡が随所に見られ、一部石垣も残る。増山城の周囲には大小の山城や砦が取り囲み、増山城郭群を形成している。神保氏、一向一揆、上杉謙信、織田軍、そして佐々成政による戦いの舞台となった。松倉城・守山城とともに「越中三大山城」の一つとされる。ちなみに東京の神保町は、江戸時代に近くに旗本神保氏の屋敷があったことが由来。

<基本データ>
●名称:増山城 (Wikipedia)
●所在:富山県砺波市 (地図)
●城主:神保長職、上杉謙信、佐々成政
●築城:14−15世紀頃
●遺構:堀切、石垣、土塁、井戸、切岸 等

訪問時期:2015年11月
増山城 訪問記 − 其の一


<訪問記>

masuyama-7097訪問時はあいにくの雨。それでも頑張って山城に登ろう。登山口の近くにある「増山陣屋」。陣屋跡ではなく、増山城に関するパネル展示などがある駐車場兼休憩施設だ。まずはここで予習をしていこう。

masuyama-7097a-7355多くの説明パネルより、いくつかご紹介。増山城の歴史。古くは和田城と呼ばれた鎌倉期の山城に比定されているようだが、増山城として歴史に現れるのは越中守護代 神保氏の拠点として室町後期になってから。元は神保氏の支城であった。そして上杉氏と神保氏の対立から増山城は戦乱の舞台となる。ちなみに「信長の野望」全国版では1ターン目に滅亡することも多かった「じんぼ」氏だが、史実では守護畠山氏の守護代として下克上で戦国大名にのし上がった実力派。

masuyama-7097b-7356そして戦国時代。上杉謙信の越中侵攻、七尾攻め、そして織田軍(佐々成政)による越中平定により、幾度と無く攻城戦が行われた。

masuyama-7098a-7354では予習を済ませたところで早速城跡へ向かおう。巨大な看板の指し示す先にある石橋を渡る。

masuyama-7098b-7103s巨大な門が目印。こちらが登城口。脇に説明板が3つも建っている。

masuyama-7099-1詳細な縄張図が掲載されている「国史跡 増山城跡」説明板。縄張図を持参していない場合はこの画像をスマホで撮影して挑もう。

masuyama-7099-2縄張図 部分をアップで。現在は左上、ダム湖の橋を渡ったところ。

masuyama-7100国指定史跡 増山城跡 説明板。城内に残る遺構の主だったところは、天正時代に織田軍 佐々成政による整備と考えられているようだ。

masuyama-7104しばらくはなだかな道が続く。

masuyama-7105「大手口」標柱。このような細長い説明標柱が城内あちこちに建っている。結構詳しいが、小さいので見逃さないように。

masuyama-7106大手口をどんどんあがる。右手に竪堀らしき凹みを発見。

masuyama-7112しばらく進むと右側に少し開けた場所へ。

masuyama-7116山麓に向かって柵が復元され、雰囲気が出ている。斜面を削平した大手口防衛のための曲輪だろう。

masuyama-7117「F郭」説明板。古絵図にこの曲輪の名称が記載されていないため、研究者が付けた記号をそのまま説明板にも記載したとか。

masuyama-7121道は折れ曲がりながら山上へ。見通しが悪く、やや虎口風。

masuyama-7125曲輪の奥に巨大な土塁が巡らされている場所へ。土塁はL字型をしている。

masuyama-7126a-7123ここは「馬之背ゴ」という曲輪のようだ。うまのはいご、ではなく、うまのせご。

masuyama-7130馬之背ゴ 土塁。

masuyama-7133土塁の向こう側は急斜面、そのままダム湖へ一直線。木が無いと絶景だっただろうが、殆ど下は見えない。

masuyama-7138では城内路へ戻って先へ進もう。案内板がある。

masuyama-7139現在地を確認。中央下のダムに架かる橋のところから登城してきた。もう1つの登城路、七曲りルートとは、ここで合流するようだ。

masuyama-7140では主郭部へ向かおう。案内板に従い、急斜面を登る。

masuyama-7141斜面の上へ。

masuyama-7142a-7145階段をあがると、杉の木の植樹林と、かなり広い削平地が。

masuyama-7144ここは「一の丸」のようだ。古い石碑と、例の説明標柱が立つ。

masuyama-7146「一の丸」説明板。江戸時代の古絵図にはここに枡形と書かれているようだが、今はその地形は失われたようだ。北側の登城路から上がってきた際の最初の巨大曲輪。発掘の成果 の欄が「未発掘」なのは寂しい限り。

masuyama-7151s一の丸から先ほど通ってきた登城路を見下ろす。なかなかの高さかつ、2ルートの登城路がこの真下で合流しているのがよく分かる。この上から弓矢や鉄砲隊が構えていれば、下から攻めてきた敵はなかなかこの上へは辿りつけないだろう。

masuyama-7152a-7147一の丸からは、ダム湖方面もよく見えるようだ。へりへ行ってみよう。

masuyama-7153一の丸からの眺望。赤い橋(通らなかった方の七曲り登城路の先にある)の奥に見える土塁は、案内板で「増山城下町土塁跡」と書かれていたもの。写真では分かりづらい。

masuyama-7154では一の丸から更に奥へ向かおう。櫓台のように突出した部分(右側)の脇から奥へ。

masuyama-7155一の丸から二の丸へと通じる城内路。左側の木の上部の枝の分かれっぷりが何だかスゴイ。

>> 増山城 [2/3] へ続く。<<

訪問時期:2015年11月
撮影機器:FUJIFILM X-M1 + XF14mm
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