洲本城 [6/6] 仙石秀久が築いたと伝わる城内最古の東の丸高石垣へ。

洲本城 訪問記 其の六。

[前回までの訪問記 概要]
山麓のバスターミナルから平城跡(現 史料館)を経由して徒歩で山上へ。途中で西登り石垣を堪能して、八王子木戸より入城、二の丸から本丸へ。本丸の高石垣は圧巻。山頂にそびえる日本最古の模擬天守は、何だか健気で可愛らしく見えてくる。西の丸残念石からの眺望は洲本城一の絶景。南の丸、馬屋、東の丸を経て、其の六では城内東側を散策して下山する。

訪問時期:2016年1月
洲本城 訪問記 − 其の一


<訪問記>

東二の門前より。

sumotojo-6462-2本丸に設置の案内板を再掲。現在は中央やや右、東の丸と武者溜の間にある⑨東二の門。ここから武者溜にある石垣や門跡などを見て、図の右端「東一の門」より下山する。

sumotojo-6635武者溜。西側はこのとおり森の様相。木々の奥に見える建物は測候所だとか。道が右奥に伸びているので奥へ進みがちだが、その測候所の向かって左側、東の丸の石垣を見に行く。

sumotojo-6636a-6647巨石がゴロゴロ。埋めたのではなく築条前から埋まっていただろう、かなりの巨石は、表面がブツブツ貝や何やらで構成された、堆積岩。何万年も海の底で堆積して出来た岩が、隆起により現在はここにある。そしてその古い堆積岩で構成された東の丸の石垣。

sumotojo-6637東の丸の石垣。1月に見に来てもこの草ぼうぼうの有様。

sumotojo-6638負けずに奥まで行くと、多少見やすい場所へ。石材の間に詰石をはめこんでいる古いタイプの石垣。石垣に沿ってどんどん奥へ。

sumotojo-6639一番端っこまで来た。小さい石と大きな石が組み合わせられて出来た石垣。ある石材は全部使ったという感じだ。このあたりの石垣は城内で最も古い、天正時代の仙石秀久によるものと伝わる。

sumotojo-6640a-6645東の丸 石垣。

sumotojo-6643東の丸石垣 の隅石。算木積みにはなっていないが、角を揃えたしっかりとした積み方だ。このまま石垣は90度折れ曲がり、斜面の上にかなりの高さで築かれている。なおこの先に「東登り石垣」が連結していると案内図には書いてあったが、、、

sumotojo-6644東の丸石垣の下斜面を見下ろす。立入禁止の作画見えるあたりに、石垣らしきものも見えるが、降りるのはかなり危険だ。断念。

sumotojo-6649武者溜 中央部へ戻ってきた。

sumotojo-6650武者溜の東の端には「東一の門」がある。上から見ると石垣の壁などが無く、一見ただの凹みにも見えるが、そうではない。

sumotojo-6651東一の門。武者溜の外周石垣を利用して、下から見ると石垣と石段で構成された堅固な城門となっていた。

sumotojo-6653武者溜 東端から見る眺望。下山する前の一息に。

sumotojo-6656では東一の門より下山。下から城門を見上げるとこんな感じ。

sumotojo-6657下山して車道まで降りて来ると、三熊山競馬場跡という石碑が建っていた。大正時代にはここ洲本城跡下に競馬場があったという。石碑の横に説明あり(句読点がなく文章も長くて、非常に読みづらい文章)。それによると、大正元年に熊田謙一氏により産馬の改良増殖を目指して私財を投じて円形競馬場を建設し市に寄付、競馬は戦前まで続いていたという。洲本のドル箱、と書いてある。大戦が激化する昭和18年には中止となるも戦後再開、しかし昭和36年経済的理由により閉鎖された。当時は橋も無く本土の人は船で来るしか無い淡路島の競馬場、そんなに繁栄したというのは驚きだ。

sumotojo-6659車道にそってしばらく降りる。大浜公園へ、と書かれた案内板の指す道を進むと、城の北側を横断する道となる。東登り石垣が見えないか、行ってみよう。

sumotojo-6660この道沿いにもこのような石垣が随所に見られる。

sumotojo-6661西登り石垣のあたりで見られた石垣と似た構造の石垣。同時期に造られたものだろう。

sumotojo-6662折れ曲げもある。なんだか頼りない印象。東の丸などで見られた、力強い堅固な石垣とは大違い。

sumotojo-6663竪堀らしき跡と、その奥の山中に僅かに見える石垣らしきモノ。恐らくあれが東登り石垣だろうか。案内図でも、この道までは延びておらず、斜面の上の方で途切れた形で描かれていた。左側の石段の上は住宅。住宅を乗り越えて斜面を上がっていくと見られるかもしれないが、さすがにそこまではやめておこう。そしてこのまま下山。

sumotojo-6720a-6368最後に山麓に残る神社等の遺構をめぐろう。こちらは八幡神社。境内奥に洲本城時代の建物が移築現存するという。

sumotojo-6720b-6369s八幡神社 石鳥居。

sumotojo-6720c-6370八幡神社 山門。

sumotojo-6720d-6371八幡神社 拝殿。灯籠がズラリ。

sumotojo-6721a-6719振り返ると山頂にそびえる洲本城天守が見える。

sumotojo-6722八幡神社から見上げる洲本城天守、アップ。天守そばにある木々のため、葉が付く夏場はよく見えないだろう。枯れた冬場の特権。

sumotojo-6723a-6372そして八幡神社境内奥にある、この建物が、江戸時代から残る洲本城時代の遺構、「金天閣」。

sumotojo-6723c-6375金天閣 説明板。殆ど消えていて読みづらい。寛永十八年(1641)、淡路国を所領とした阿波藩主 蜂須賀氏が、山麓の政庁に建てた建物の玄関部のみが残る。黒漆塗りの折上げ格天井(豪華!)に金箔が貼られていることから金天閣と呼ばれるとか。有料でも良いから、それが見たかった!

sumotojo-6723b-6374金天閣 正面。何の建物跡かは分からないが、本丸御殿玄関部、と言われても遜色の無い印象。

sumotojo-6723d-6377金天閣。蜂須賀家家紋 左卍が鬼板など随所に見られる。

sumotojo-6807そしてウロウロしていると、足湯を発見。では洲本城天守を見ながら足湯で一服・・・といきたい所だったが、この位置関係では、足湯につかると天守は見えない。

sumotojo-6816足湯あたりから見上げる洲本城天守。ちょうど青空になった。ナイス。

sumotojo-6825国瑞彦護国神社。蜂須賀家の守護神だったという。

sumotojo-6828国瑞彦護国神社 説明板。境内の宝物殿には蜂須賀氏や家老稲田市の甲冑などが保管されているという。

sumotojo-6834厳島神社。阿波藩家老で洲本城代だった稲田氏の守護神、稲基神社などがある。かなり立派な神社だ。社殿の裏手は室町時代の将軍足利義稙(あしかがよしたね、10代将軍、)の亡命旧居「黒木御殿」跡と言われているとか。11歳で父と亡命→23歳で将軍就任→管領細川氏と対立→将軍を廃され幽閉→越前に逃亡→将軍復帰→管領細川氏と対立→出奔→淡路へ逃亡→そのまま死去。波乱万丈過ぎる。

sumotojo-6849山上の木々が刈ってあるので、天守遠景がキレイに望めるところがないかを求めてウロウロ。川沿いのイオンから、この眺め。このあたりには赤レンガ造りの明治時代の建物(旧鐘紡工場)が多くリノベーションされており良い感じ。

sumotojo-6858本丸、天守台の石垣がバッチリ見える角度。素晴らしい。

sumotojo-6863バスターミナルからもこの姿。街中どこからでもお城が見える洲本の街、いいね。また来よう。

訪問時期:2016年1月
撮影機器:FUJIFILM X-M1 + XF14mm
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