洲本城 [5/6] 南の丸、馬屋、東の丸で様々な石垣を見る。

洲本城 訪問記 其の五。

[前回までの訪問記 概要]
山麓のバスターミナルから平城跡(現 史料館)を経由して徒歩で山上へ。途中で西登り石垣を堪能して、八王子木戸より入城、二の丸から本丸へ。本丸の周囲は高石垣で囲まれていた。山頂高石垣の上にそびえる日本最古の模擬天守は、何だか健気で可愛らしく見えてくる。その天守は西の丸残念石のところから見るのがポイントだ。其の五では城内南側の石垣をメインに散策する。

訪問時期:2016年1月
洲本城 訪問記 − 其の一


<訪問記>

sumotojo-6462-2本丸に設置されていた案内図を再掲。現在は本丸の南側、南の丸。このまま図の右、東方面へと向かい、馬屋跡、大手門跡(①)などを見る。

sumotojo-6595南ノ丸の石垣は積み直し・整備が進められている。前回は整備後の石垣を見たが、まだ整備中の石垣もあった。南ノ丸へ入る石段には、積み直しのための場所を示すシールが貼られたままだった。

sumotojo-6596シール。割れたりして再利用できなかった石は「新石」、無かったけど強度的に埋め込んだ石は「補充石」ということだろうか。石仏や五輪塔などの石を使いまわした「転用石」のシールも見られる。実におもしろい。しかしよく考えると、石は既にキレイになっているので積み直し後のようで、積み直しが終わったのにまだシールを貼ったままにしている意味は余り無い。ということは、こういう風にして1つ1つ位置や向きを確認しながら地道に積み直しているんですよ!という説明のための展示なのかもしれない。

sumotojo-6597南の丸の東側は大きく削られ、高い石垣が築かれていた。奥の見張台的な石垣の上へ上がるための石段も見える。

sumotojo-6599南の丸 東面石垣を城内路から見上げる。

sumotojo-6600南の丸 東側の城門跡。木戸等があったのだろうか。地面は舗装されてしまっていてよく分からない。

sumotojo-6601南の丸東側の城門跡を出て見返す。

sumotojo-6602南ノ丸の高石垣を見る。ここは南の丸 南東端に当たるところで、上部が一段高くなっており、南の丸 隅櫓跡と標柱があった。ここの見どころは何と言っても石垣を途中で継ぎ足した跡。左から数mのところに斜めに走る石垣の稜線、ここが最初の石垣の端で、何らかの理由で左側に数m石垣を継ぎ足していることが分かる。上を見るとちょうど隅櫓の位置に当たるので、隅櫓を追加してここの防衛や監視力を高めたかったのだろうか。

sumotojo-6603南の丸 南東端の石垣。南の丸の南側にも通行可能な場所があり、このまま真っ直ぐ石垣に沿って奥へ進んでいくと、地図上では先ほど見た梅園横の石垣までたどり着けるはずだ。

sumotojo-6605では東に向かい、大手門方面へ。この辺りは車でも入れるのだろうか、道が完全に舗装されてしまっており、当時の雰囲気はあまり楽しめない残念なエリア。

sumotojo-6606右奥の駐車場は「馬屋跡(月見台)」。ここまで車で入ってこられるようなので、地面が舗装され尽くしているのだろう。月見台へ。

sumotojo-6607駐車場の奥は、舗装されておらず展望台化していた。

sumotojo-6608月見台からの眺望。大阪湾の向こうに見える島(中央奥)は、戦時中の要塞跡で有名な「友ヶ島」、そして右側の淡路島の脇に少し見える細い島は、洲本城から一時 淡路の政庁を移していた由良城のある「由良島」だ。今は渡し船で渡る事もできるらしいが、遺構はほぼ無い(由良城の石垣を再利用して築かれた台場跡の石垣は島の南端に幾つか残るらしい)とのこと。

sumotojo-6609馬屋の外周石垣も高さからしてなかなか立派そうなので、少し車道を降りて見に行ってみよう。道がグルグル回っている。どこまでが当時の道の形なのか、もはや不明。

sumotojo-6611このあたりは「大手門」と地図には書かれているが、当時の絵図面にはここには門は描かれておらず、いつここに大手門が築かれたのかは不明と言う。そもそも本当にここに大手門があったのか。ただ石垣は確かに他の部分の石垣よりも結構新しいタイプであることは分かる。

sumotojo-6614車道を更に下へ。標柱には「腰曲輪」と書いてある。一番上は馬屋跡なので、その一段下の石垣の上のことだろう。

sumotojo-6615ここまで来てみたが、馬屋の先端までは見えず。途中から木が沢山生えていてこれ以上行っても石垣は見えなくなった。ここまでで引き返す。

sumotojo-6615a-6613このあたりにあった手書きの案内図。かつては馬屋ではなくその下に駐車場があった(今もあるが第二駐車場的位置づけ)ため、下の駐車場から階段で上がってくるとここにたどり着くので、ここに案内板があるようだ。そしてこの図にもここが「大手門」と書かれているが、この図ではどこがどう大手門なのかが非常に分かりづらい。

sumotojo-6616車道を大手門探しをしながら上へ。恐らくここが大手門跡?左側の石垣と、右側の高石垣、折れ曲げられた道。しかし右側に直接上へあがることができる階段があるのが解せない。この階段は後年 観光ルート用に新設されたものかもしれない。

sumotojo-6610大手門脇から上へあがる階段。完全に近年観光用に設置された石段だ。元々ここに大手門があったとすると、入城した人はまっすぐ進んで南の丸下の城門から本丸下へと通じるルートしかない。となると南の丸隅櫓を増設したのはこの大手門を作ったときかもしれない、などと妄想が膨らむ。

sumotojo-6617では新造階段をあがって、池のあるエリアへ。

sumotojo-6618一段低くなった城内の中央部に位置する場所に、大きな池がある。屋敷があり、ここに庭があったのだろうか。古絵図「須本 城絵図」(脇坂時代末期の慶長九年頃)を見ると、この場所には「泉」と書かれている。ちなみに洲本は元々は「須本」と呼ばれ、元和元年(1615年、大坂夏の陣後に改元)に「洲本」と改められたと伝わる。資料によると「日月の池」と呼ばれ、谷地の湧き水を石垣で囲って池にしたものという。山城といえば何より水の確保が最重要。今は整備によりこのとおり近代的に改変されてしまい当時の面影は皆無だが、資料によると当時は野面積みの石垣が見られ、池の中には島もあったという。

sumotojo-6619池の脇には、「日月の井戸」(じつげつのいど)と名付けられた井戸跡がある。覗き込むとかなりの石垣が築かれていた。この池と井戸のコンビが洲本城の生命線だ。

sumotojo-6623泉のある広場から坂道をあがって一段上へ。

sumotojo-6624泉のある広場の一段上、北側には「東の丸」と標柱がある。今居る場所ではなく、この奥の石垣の上も含めての東の丸のようだ。(このあたりは車道のため舗装エリアが多く、よく分からない)

sumotojo-6625舗装道路から外れて、東の丸へ入り込む道を発見。この奥は折れ曲がる道に左右の石垣からして、虎口(城門跡)があるのだろう。まずは左の斜面をあがり、東の丸を散策する。

sumotojo-6627東の丸石垣。最初に掲載した案内図を見ると、三段構造になっていて、一番高いところには櫓台的な場所も描かれている。ここはその二段目の石垣にあたる。

sumotojo-6628石垣に沿って斜めに造られたスロープ。

sumotojo-6629東の丸のスロープ。東の丸の石垣はとても古い印象で、よく見るとかなり細かい貝のような小さなぶつぶつが多く含まれた独特の石材(堆積岩)を利用していた。資料によるとこの東の丸の石垣は、仙石秀久時代のものとする情報もある。

sumotojo-6630東の丸 全景。なお東の丸の真下あたりに東登り石垣があると案内図には描かれているが、上から見下ろすと木々が多く登り石垣は分からなかった。

sumotojo-6633東の丸より降りてきて車道を東へ。見事にカギ状に折れ曲がる道。

sumotojo-6634この食い違い虎口は「東二の門」という。右側の高い石垣は東の丸の東面石垣。この石垣は北面までそのまま繋がっているので、後ほど見に行ってみよう。

>> 洲本城 [6/6] へ続く。<<

訪問時期:2016年1月
撮影機器:FUJIFILM X-M1 + XF14mm
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