置塩城 [4/4] 城下町に威厳を見せる大石垣、シダの森と化した大手門跡へ。

置塩城 訪問記 其の四。

[前回までの訪問記 概要]
播磨守護 赤松氏の本城・置塩城へ。登城口より約50分の登山で主要部入口へ到達。伝本丸跡や伝二の丸跡などを巡りながら、巨大な土塁や掘割、切岸など土木工事の跡、そしてかつては全面を覆っていたであろう石垣の僅かな痕跡を辿る。其の四では城内随一の残存石垣「大石垣」と、その奥に眠るかつての大手門跡を散策する。

訪問時期:2016年2月
置塩城 訪問記 − 其の一


<訪問記>

案内板の前よりスタート。

ojio-8313案内板(縄張図)向かって左側の奥へ伸びる道へ。随所にこうした案内表示があるので迷わない。右上へ登ると伝二の丸を経て伝本丸へ行くルート、すでに其の二で訪問した。残るは西側山麓に残る大手門方面だ。案内表示には書いていないが、こちらには城内随一の「大石垣」が残る。

ojio-8315しばらく進むと広く削平された場所へ。発掘調査によりここにも屋敷が建っていた礎石列跡などが見つかっているという。縄張図によると、大手門跡へは向かって右奥、大石垣はこの曲輪の「下」にあるようだ。

ojio-8317曲輪の奥へ行くと、斜面の手前に「大石垣へ ▶」という看板があった。

ojio-8318看板の奥を覗き込むと斜面に沿って細い道が形成されていた。ここから下に伸びる段曲輪へ降りる事ができる。

ojio-8319斜面を降りていく。最初の曲輪はトラロープで立入禁止。大石垣はここではなく、もう一段下。

ojio-8320もう1段下の曲輪へ。かつてこの道は石段になっていたのだろうか、道すがら石がゴロゴロ埋まっていた。そして突端部へ。見張り台にぴったりなロケーションだ。

ojio-8321大石垣はこの曲輪の奥、つまり一段上の曲輪(立入禁止だったところ)の外周に築かれている。

ojio-8322曲輪の奥へ向かうと、大石垣という看板と、石垣の端っこが見えてきた。石垣の前はかなり狭いので、落ちないように気をつけて。

ojio-8325巨石を積み上げた、置塩城の大石垣。上の曲輪が立入禁止なのは、上端まで石垣が残っているがゆえに、上端の石材の上を人が歩くことで石垣が崩れてしまう恐れがあるからだろう。右端の石がかなり大きい。

ojio-8328置塩城 大石垣。これだけ残っているとかなり壮観だ。かつてはこれぐらいの規模(高さ)の石垣が城内いたるところに築かれていたのだろうか。

ojio-8330置塩城 大石垣。結構な大きさの石が積み上げられ、隙間に小さく砕いた石が埋め込まれている。野面積みだが時代的に織豊期以前の赤松氏独自技術だろう。大石垣の手前にはかなり土が積もっているので、ここを整備すると更に2−3段の石垣が出てくるかもしれない。ここは尾根の先端部にあたり、防御施設という意味合いよりも、山麓の城下町へ赤松氏の威厳を見せる目的で築かれた「魅せる石垣」だろう。

ojio-8333大石垣のある先端の曲輪から見下ろす、城下町の様子。

ojio-8342s大石垣のあった突端部から、坂道を降りていった曲輪へと戻ってきた。ここには前述のとおり発掘調査で屋敷の有った痕跡が見つかっているという。足元をよく見てみると、枯葉に覆われてはいるものの、かつて建物があった雰囲気がよくわかる整然と並ぶ礎石跡が見て取れた。

ojio-8344ここから奥へ進むと大手門跡があったという西曲輪群の先端へと到達するようだ。縄張図によると、曲輪群へ到達するまで結構な距離を「破線」で描かれているので、そこまでは山道を進む感じなのだろう。この巨石の奥に道がある。

ojio-8347途中までは完全に山道。僅かに平らにされた部分を通って奥へ。足元注意。

ojio-8349途中斜面を見ると岩盤が露出している部分もあった。置塩城の石垣はこういった山中の岩盤を削って調達していたのだろうか。別の山から運ばなくても良いのは便利。

ojio-8351登ったり降りたり、尾根筋のやや下の斜面を無理やり奥に進んでいる印象。ときおりこうした案内表示があるので助かる。

ojio-8355やがて広い場所へ。西曲輪群へ到達した。ちなみに西曲輪群はここから開始ではなく、伝三の丸のすぐ西側からスタートしているようだ。

ojio-8357曲輪群へは入らず(曲輪同士の連結が余り無く段々に形成されている)その脇をまっすぐ伸びる道を奥へ進む。

ojio-8360石垣なのか元々ある巨石なのか、気になる石積み跡も見られた。

ojio-8361結構降りてきた。まだかな、と思う頃に見かけた「大手門跡へ」の看板。まだまだ曲輪の左側を通る道を降りろ、という意味のようだ。

ojio-8364先端へ向かうほど、各曲輪が小さくなってきた。階段状に形成されているのがよく分かる。

ojio-8365ほぼ先端部にやってきた。先ほどまでキレイに整備されていた印象だったが、何故か先端部だけはこのようにシダの森状態。訪問時は2月、もっとも枯れている状態なので、夏場に来るとドエライことになっているのだろう。。。

ojio-8367シダに負けずにもっと奥へ。縄張図によると、このもう少し下あたりに大手門跡があるはずなのだが・・・枯れシダの一部が割れて道っぽくなっている場所を発見。ここから降りる。

ojio-8369シダの割れ目から尾根の先端部を覗き込む。下にやや広くなっている場所がある。看板が建っているので、ここが大手門跡ということなのだろう。

ojio-8370a-8376置塩城 大手門跡。どこがどう大手門だったのか、今となっては全くわからない。下から山道をあがってくると、ここの削平地で門番兵や番所などがあり、木戸があり、城内の入口という場所だったのだろう。整備も余りなされていない状態で、ここをキレイにするともう少しそれっぽい雰囲気が出てくるのかもしれない。

ojio-8371大手道跡も見ようと斜面の方へ行ってみたが、2月でもこの有様で全く分からず。「大手道 危険につき登山口に戻って下さい」という説明板のみが建っていた。ここから降りるのは無理そうだ。

ojio-8374大手門のあった西曲輪群の先端部から、城内方向を見る。シダの割れ目の部分が結構な高さになっていて、この切岸と番所などで、堅固な防衛ラインを築いていたのだろう。

これで置塩城の散策は終了。元来た道を戻り、登山口まで下山した。山麓には他に、城の守護神とされた神社が残るというので最後に訪れてみる。

ojio-8500a-8034こちらが城の守護神とされた「櫃蔵神社(ひつくらじんじゃ)」。登山口の少し奥に位置する。

ojio-8500b-8037櫃蔵神社 説明板。秀吉の播磨侵攻で赤松氏が城を明け渡した際、城の守護神は近隣の神社に分祀されたという。

ojio-8500c-8040櫃蔵神社 拝殿。

ojio-8500d-8041案内板にも言及があった、高さ30mの大イチョウ。2月だったのでこの状態だが、秋に来ると黄色に染まった美しい大木が見られることだろう。

ojio-8501a-8408置塩城跡 遠景。史跡置塩城跡、の巨大看板も発見。夢前川沿いを走る人にアピールしている。

ojio-gearth01おまけ:当日の散策状況をGPSで記録してみた。片道50分の登山道はやはりかなり距離があることが分かる。最後に訪問した櫃蔵神社は登山口の少し北にある。かつての大手道はほぼ城山の東側にあったのかもしれない。

ojio-gearth02おまけ2:山頂部のGPSマップを拡大。各曲輪などをプロットしてみた。今は伝二の丸とされているが、中央の山頂部に主郭(藩主屋敷など)があり、そこを中心にして各方向の尾根上に曲輪を配置する、典型的な山城構成なことが見て取れる。

室町時代から戦国中期にかけて一大勢力を誇った、播磨守護 赤松氏の本城「置塩城」。あがって散策して降りて来るまで約4時間の行程だった。見どころは多く満足度はかなり高いので、一日かけても登る価値のある山城跡といって良いかと思う。

訪問時期:2016年2月
撮影機器:FUJIFILM X-M1 + XF14mm
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