置塩城 [1/4] 播磨守護 赤松氏の本城、石垣が残る巨大山城へ。

置塩城 (おじおじょう) は、西播磨地区で室町期〜戦国時代に一大勢力を誇った戦国大名 赤松氏の居城で、標高370mの山頂部を大きく削平し、巨大な土塁と堀切そして石垣で防衛された屋敷群や櫓から構成される巨大山城だった。天正期の織田軍 (総大将は羽柴秀吉) による播磨侵攻で赤松氏は降伏、その後しばらくして城は廃棄処分 (城割) となり、置塩城の建物や石垣は姫路城へ持ち去られた。今は巨大な土塁と堀切、そして持ち去られずに残った石垣の壁が僅かに残る。近年の発掘調査で、礎石建物跡や庭園跡なども見つかり、巨大で優雅な屋敷を山上に構えていたと考えられる。史跡指定されている現在の正式な読み方は「おじおじょう」だが、資料によっては「おきしおじょう」と書かれることがある。

<基本データ>
●名称:置塩城 (Wikipedia)
●所在:兵庫県姫路市 (地図)
●築主:赤松政則
●築城:文明元年(1469)?
●遺構:土塁、堀切、竪堀、石垣、曲輪

訪問時期:2016年2月
置塩城 訪問記 − 其の一


<訪問記>

姫路城から北へ約10kmほど行ったあたり、夢前川沿いの山上に置塩城跡はある。山麓にある櫃蔵神社 (ひつくらじんじゃ) を目指して進めばOK。

ojio-8040a-8399夢前川沿い(東側)に走る街道沿いに登城口がある。石碑が見えてきた。

ojio-8041a-8398国指定史跡「赤松氏城跡」の1つ、置塩城跡 の立派な看板。奥には石碑と縄張図付きの説明板も建つ。ちなみに史跡指定された「赤松氏城跡」とは、ここ置塩城跡と、白旗城跡、感状山城跡の3つを指す。

ojio-8042a-8395史跡赤松氏城跡 置塩城跡 説明板。播磨地方最大の山城で、一般的には文明元年(1469)に赤松政則が築城したと言われるが、発掘の結果、現在残る城の形になったのは16世紀後半の戦国期だという。山頂までの所要時間は約40分。現在の時刻は10:30。資料によると比高は約310mとのこと。気合入れていこう。

ojio-8043a-8394獣避け鉄柵を開けて中へ。「自由に開けて通って下さい」。開けたら閉めよう。

ojio-8044a-8393登山道 置塩城跡江 十八丁。一丁は約110m。18*110=1980m。約2kmの登山ということか。(参考:ウィキペディア)。

ojio-8050しばらく進むと一気に坂道が始まる。地面には石がゴロゴロ。かつては石畳だった、というわけでもなさそうだ。岩が露出した山だったのだろう。

ojio-8053かつての登城路もこうだったのだろうか、道の左右には土塁の壁が残り、中央を掘り込んだ山道が続く。

ojio-8054時折このような大体の距離を示す石碑が建っている。合(割合)ではなく丁(距離)表記なのに注意。ゴールは最初に見たとおり「十八丁」。

ojio-8055十八丁まではそれ程見どころも無いので石碑をメインに。四丁。

ojio-8057六丁。

ojio-8061このあたりには眺望が良い場所があった。山の間を蛇行する夢前川が見える。

ojio-8064s十丁。あと半分弱。

ojio-8067炭焼窯跡。昭和初期。

ojio-8069十四丁。いよいよ坂道も急になってくる。

ojio-8071十六丁。

ojio-8072十七丁。あと少し!

ojio-8073a-8091この坂を上がると十八丁、ゴール(というか城跡の入口)なのだが、その手前に「南曲輪群」が残るので少し寄り道してみよう。真っ直ぐ斜面を上がると十八丁、右へ曲がると南曲輪群。

ojio-8074sこの右側の奥へ進む道へ。

ojio-8075曲輪が尾根に沿って段々に築かれているようだ。最初の曲輪へ。

ojio-8076なかなかの削平具合。ずっと登山道だったので、ここに来てお城らしい遺構が見られて元気が戻る。

ojio-8078下の曲輪を見下ろす。なかなかの高さがある。下からこの土塁を見上げると壮観だろう。後ほど降りてみる。

ojio-8083南曲輪群の曲輪の周囲にもかつて石垣が巻かれていたのだろう、ほんの一部だが、石積みらしき跡が残っていた。三四段程度の土留の石積み、か。

ojio-8084南曲輪群、下の曲輪へ。

ojio-8086かつて建物を支えていた礎石だろうか、平らな部分にも石がゴロゴロしている。

ojio-8088曲輪の先端部の斜面ギリギリあたりにも石がゴロゴロ。枯葉を撤去すると石積みが出てくるかもしれないなあと思いながら散策を続ける。

ojio-8090南曲輪群の下の曲輪から上の曲輪を見上げる。とても登れそうにない切岸。

ojio-8095sでは坂道に戻って上へ。あがるとすぐに十八丁の石碑。おつかれさまでした。ここが置塩城跡の主郭群の入口。只今の時刻は11:20。南曲輪群に立ち寄っていたこともあって、約50分の行程だった。真っ直ぐ登っていればほぼ登山口の説明板にあったとおり40分程度だっただろう。

ojio-8096a-8391置塩城跡の標柱と、その奥には縄張図の説明板も見える。まずは標柱のある向かって右側の曲輪へ入ってみよう。

ojio-8097かなり広い曲輪だ。石がゴロゴロしていて、周囲は土塁で囲まれている。登山道から上がってきて(尾根沿いの防衛拠点である南曲輪群は除き)最初の大きな曲輪にあたる。

ojio-8102盛り上げられた曲輪の周囲を散策すると、石垣跡がこのように点在している。かつては小振りながら6−7段の石垣が曲輪の周囲をぐるっと取り囲むように築かれていたのだろう。

ojio-8104置塩城 残存石垣。荒く割って表面を平にした石を積み上げた野面積みだ。

ojio-8106曲輪の周囲をグルっと回ると、あちこちに少しずつ石垣跡が残っていた。

ojio-8107a-8310では道の奥に見えた縄張図の説明板を見に行ってみよう。

ojio-8108a-8311置塩城跡 案内図。右下に伸びる曲輪群が最初に見た「南曲輪群」、現在地の奥にある「伝二ノ丸跡」を中心として三方向の尾根沿いに曲輪が広がる構造だ。まずは一番奥の伝本丸跡へ向かい、そこから戻ってきながら伝二の丸跡、伝三ノ丸跡、大石垣を見て、最後に左上に伸びる曲輪群の先端に残る大手門跡を見に行くルートを辿る。

>> 置塩城 [2/4] へ続く。<<

訪問時期:2016年2月
撮影機器:FUJIFILM X-M1 + XF14mm
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