柏原陣屋 : 織田家が治めた陣屋跡には当時の御殿表玄関や長屋門が残る。

柏原陣屋 (かいばらじんや) は、江戸前期 (元禄時代) に織田信雄の子孫 信休 (のぶやす) が信雄以来の宇陀松山藩より2万石で移封し、織田家の邸宅として建てられた御殿跡。ここ柏原の地はかつて信長の弟 信包 (のぶかね) が慶長期に柏原藩を立ち上げた場所で、3代の後に断絶し幕府直轄領 (天領) となっていた。信休が入部後は明治まで9代、織田家が藩主を務めた。当時の建物は御殿表玄関と長屋門、太鼓櫓が現存しており、特に長屋門は1714年 信休により建てられた初期の建物である。周辺には織田神社や織田家廟所などゆかりの場所も多く残る。

<基本データ>
●名称:柏原陣屋 (Wikipedia)
●所在:丹波市柏原町 (地図)
●築主:織田信包 / 織田信休
●築城:1598年(慶長3年) / 1713年(正徳3年)
●遺構:御殿表玄関、長屋門、太鼓やぐら、織田家廟所

訪問時期:2016年6月


<訪問記>

kaibara-jinya-2480a-2501s柏原観光開始。まずは中心部にある観光案内所へ。マップなどを頂く。

kaibara-jinya-2480b-map全体の遺跡配置をGoogleMapで確認。左下にJR柏原駅。現在は中央部「木の根橋」の横にある観光案内所に居る。

kaibara-jinya-2481a-2492史跡名所ご案内。陣屋跡(表玄関)と長屋門、資料館、織田家廟所、太鼓やぐら、を巡る。観光案内所のすぐ前にある木の根橋と織田神社も参拝。

kaibara-jinya-2490こちらが木の根橋。川べりに生える大木が倒れないようにつっかえ棒やらで抑えられている。

kaibara-jinya-2491a-2489木の根橋とは、木の根が橋のように川をまたいでいることから。幹の向こうにびょーっと伸びる根。

kaibara-jinya-2496根側から。橋に沿って根が伸びたのだろうか?

kaibara-jinya-2500木の根橋の道を隔てて正面には「織田神社」。立派な木の鳥居。

kaibara-jinya-2501a-2499織田神社 説明板。前期柏原藩とは、信長の弟 信包(のぶかね)を藩祖とする流れで、慶長期に始まるも孫 信勝の時代に嗣子なく断絶、前期柏原藩は廃絶された。その後 柏原は天領となった。

kaibara-jinya-2502続いて、織田神社のやや南西にある太鼓櫓へ。大蔵神社の境内に移築されている。

kaibara-jinya-2504大蔵神社と太鼓やぐら。やぐら を平仮名で書くのが当地では正式らしい。

kaibara-jinya-2505太鼓やぐら 説明板。かつては大手門に隣接して建てられていた太鼓櫓は、三階建の最上階に太鼓が吊るされていて、時報や火事の報せなどに使われていたという。櫓の建築時期は不明ながら、後期柏原藩が出来る前に藩主 信休が治めていた奈良(大和国)の宇陀松山藩時代から使っていて、移封の際に持ってきたことが銘から判明している。

kaibara-jinya-2508太鼓やぐら。ぜひ中を見てみたかった。今も太鼓は吊るされているのだろうか?

kaibara-jinya-2512では、いよいよ柏原陣屋跡へ行こう。敷地は小学校になっており、その一角に長屋門と表玄関が残る。

kaibara-jinya-2518柏原藩陣屋跡 説明板。信長弟 信包時代のものではなく、その後の信雄子孫 信休時代に建てられたもの。表御殿は火事で一度消失し、江戸後期(1820年頃)に再建されたもの、長屋門は信休時代のもの。門から表玄関へと続く構えがそのまま残るのは、全国の陣屋跡のうち、ここ柏原陣屋のみという。

kaibara-jinya-2519長屋門 説明板。信休が1714年に御殿の表御門として築いたものが現存。長屋門内部は畳敷きの番所、板張りの馬見所、砲庫となっているという。

kaibara-jinya-2520長屋門を斜めから。手前側の部屋が畳敷きの番所。今はツツジが植えられとてもキレイな雰囲気。

kaibara-jinya-2523長屋門。向かって右側の部屋は馬見所。

kaibara-jinya-2523a-2521長屋門 入口。家臣等は脇の勝手口から出入りし、藩主・家老級の「お偉いさん」だけが中央の大扉から出入りしていたのだろう。奥に御殿表玄関が見える。

kaibara-jinya-2524長屋門を越えて、前庭越しに御殿表玄関を見る。御殿の屋根の向こうに見える変な塔は小学校の建物だとか。無粋。

kaibara-jinya-2524a-2529長屋門 の裏側。

kaibara-jinya-2525a-2569御殿表玄関。式台部分のみがこけら葺きになっていて、奥は瓦葺き。もちろん瓦葺きの建物部分も当時の建物。

kaibara-jinya-2526a-2562表玄関 式台。かなり立派だ。こけら葺きの屋根はとても曲線が美しい。こけら葺きは、薄い木の板を少しずつずらしながら重ねあわせて作る屋根で、重ねあわせ方・板の薄さなどで自由自在に屋根の形を変えることが出来る(がめちゃくちゃ手間がかかる)、日本古来の独自技術。

kaibara-jinya-2526b-2564表玄関 式台を斜めから。美しいカーブと先端の尖り具合、上向き加減などから、織田家の並々ならぬ威厳を感じる。

kaibara-jinya-2526c-2566御殿表玄関。盆栽のような美しい松も植えてあって、とても良い感じ、、、だが、つくづく奥の変な塔みたいな小学校が気になる。なぜ国史跡の情緒ある御殿のすぐ横に、目立つ塔を建てたのだろうか。無粋。

kaibara-jinya-2526d-2568更に斜めの角度から。右奥からぐるっと陣屋の建物裏側まで回り込めそうな雰囲気だが、訪問時はそこに気づかず奥は未訪。

kaibara-jinya-2527式台唐破風の上に設けられた金色の織田木瓜紋を持つ鬼瓦。織田家の家紋だ。鬼瓦といっても瓦ではなく、木で作った型に薄い鉄の板を貼り付けたものか。

kaibara-jinya-2528こちらは式台屋根の頂点に設置されている、織田木瓜紋が掘られた装飾性の高い鬼瓦。正確には、鬼の姿が彫られていない場合は「鬼板」と呼ぶとか。上の丸い部分「鳥衾 (とりぶすま)」がチョンマゲに見えて仕方ない。

kaibara-jinya-2531表御殿式台の屋根内部、細かく荘厳な装飾が施された「懸魚 (げぎょ)」や「冠木 (かぶき)」などなど。今は褪せた茶色一色だが当時は何か色が塗られていたのだろうか。

kaibara-jinya-2531a-2559冠木の上の波模様のような装飾物にも、織田木瓜紋。

kaibara-jinya-2532そして縦の梁の先端には「揚羽蝶 (あげはちょう)」紋。

kaibara-jinya-2533大手玄関 式台。ここから御殿に入ることが出来るのは藩主級のお偉いさん方のみ。表御殿の中は、資料館と同じチケットで入場可能だが、中は写真NGのため掲載はここまで。

kaibara-jinya-2558周囲は雨戸が閉められていた。

kaibara-jinya-2573御殿表玄関の向かって左側には、平面復元された場所が残る。

kaibara-jinya-2573b-2572表御殿横の平面復元部分。

kaibara-jinya-2573c-2571陣屋跡と表御殿 説明碑。なんと、先ほどの御殿のうち、式台(玄関)部の向かって左側は昭和に改築されたものだという。現存部は玄関から向かって右側のみ、とか。

kaibara-jinya-2574織田木瓜が彫られた軒丸瓦。

kaibara-jinya-2575織田木瓜が彫られた鬼板、鳥衾など。

kaibara-jinya-2576a-2517長屋門の正面には資料館がある。入場料200円で、表御殿の入場と兼ねている。中には織田家ゆかりの品々や御殿ジオラマなどが展示されていて、必見。その資料館の脇にあった、織田信包公の石像。

kaibara-jinya-2577では最後に後期柏原藩の藩主たちが眠る「織田家廟所」を訪れよう。住宅街の奥、陣屋跡の北の山麓にある。

kaibara-jinya-2578こちらが織田家廟所 入口。元々は織田家菩提寺だった徳源寺の境内であったが、徳源寺が明治維新後に廃寺となったため、現在はこのように廟所だけが残る状態になっており、あまり管理されていないのか荒れ放題となっている。

kaibara-jinya-2579織田家廟所 説明板。信休公の墓は正面左から4つ目の五輪塔。

kaibara-jinya-2580荒れ放題の土塀。国指定史跡の陣屋跡、市指定文化財の長屋門に比べ、ここ織田家廟所は町指定文化財。扱いの差が伺える。

kaibara-jinya-2583こちらが信休公の墓所。かなり立派な五輪塔だ。

kaibara-jinya-2584織田家廟所 全景。やや高台の山麓にあった。

本能寺の変後、時代の流れに飲み込まれた織田一族。外様大名となって明治まで続いた織田家の1つ、柏原陣屋跡は歴史ファンなら是非抑えておきたいところだ。

訪問時期:2016年6月
撮影機器:FUJIFILM X-M1 + XF14mm
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柏原陣屋 : 織田家が治めた陣屋跡には当時の御殿表玄関や長屋門が残る。” への3件のフィードバック

  1. いつも楽しく拝見しております。
    多くの方がすでに連絡をいれておられるとは存じますが、福井城を閲覧すると富山城が表示されます。
    何とかできるものでしたら、訂正をお願い申し上げます。
    これからも、見ていて行ったつもりになる、見ごたえのあるブログを楽しみにしています。

  2. どのお城を見ても、行った気にさせてくれるブログをいつも楽しく拝見しております。
    この間、福井城を見に行きまして、福井市郷土博物館の方が熱くお城のことを話してくださいました。
    その想いを思い出しながらこのブログで福井城を見ようとしたところ、富山城に飛んでしまいました。
    福井城をみるにはどうすればいいのか、と試行錯誤したら、北の庄城のページ、最後の各地の城写真の福井城から入ったらみれました。
    すでに多くの方がコメントをされているかもしれませんが、どうにか改善ができることであるならば、
    何とかしていただきたく、コメントを残させてもらいました。
    どうかよろしくお願い申し上げます。

  3. IDUTU・こうじさま
    いつもありがとうございます。そして訂正のご連絡ありがとうございます。お城一覧のテキストリンクが確かに間違っておりましたので、訂正しておきました。大変助かります。m(. .)m
    福井城の博物館、展示がかなり良いので、私も大好きです。お城の遺構自体はかなり改変が入ってしまいましたが、それは時代ゆえのこと、現在出来ることとして博物館の整備にかなり力を入れられており、とても良い印象のお城です。私も大好きです。
    ありがたいことに公私ともに忙しくしており、当サイトをまとめて更新する時間がとれておりませんが、ネタは大量にストックしておりますので、ボチボチ更新していこうと思います。しばらくは兵庫県シリーズが続く予定です。

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