細工所城 (荒木城) [1/2] 丹波の猛将 “荒木鬼” が築いた中世山城跡。

細工所城 (さいくしょじょう) は丹波国多紀郡東部に残る中世山城の一つで、当地の戦国大名だった波多野氏に仕えた「荒木鬼」こと猛将 荒木氏綱の居城だった。明智光秀の二度目の丹波攻めで激戦の末 落城、その勇猛さから光秀に家臣となるよう請われたが固辞したと伝わる。山頂部には尾根沿いに曲輪群が広がり、土橋や土塁などが一部明瞭に残るものの、主郭以外は殆ど整備されていない。また山麓には光秀が細工所城攻めで陣を敷いた場所と伝わる、巨大な堀切と土塁を持つ砦跡が残る。城主の名前を取って「荒木城」とも呼ばれる。

<基本データ>
●名称:細工所城 (別名 荒木城)
●所在:兵庫県篠山市 (地図)
●築主:荒木氏綱
●築城:天文年間 (1532−1555)
●遺構:曲輪、堀切、土塁、土橋 等

訪問時期:2016.5
細工所城 訪問記 − 其の一


<訪問記>

saikusho-jo-0180a-0353細工所城 登り口は「丹波細工所」交差点近くにある。交差点角にあるコープ等がある場所から山に向かう道に「荒木城跡登山口はこちら」の案内板がある。

saikusho-jo-0185s正面に見える山のうち、左側の頂部、やや木が切れているところ(主郭が分かりやすいよう伐採している)が主郭にあたる。登城口は反対側の右側に伸びる尾根の先端。道沿いに荒木城跡の説明板が建っているので忘れず見ていこう。

saikusho-jo-0186荒木城跡 説明板。城と荒木氏綱(城主)のことが明智の丹波攻めと絡めて分かりやすく書かれている。なおここはかつて地名由来で細工所城と呼ばれることが多かったが、猛将 荒木鬼の城ということをアピールすべく今後は荒木城の名称で推していくようだ。標高400m、比高170m。

saikusho-jo-0187b-maph戎光祥出版「図解 近畿の城郭III」p.423より加筆引用。残念ながら現地には縄張図がないので、手元の書籍より加筆引用して紹介。書籍掲載の縄張図は北が上だが、登城の際は東を正面にして見るので、東を上にした図で掲載。山麓から見えた山頂の「木の切れ目」も印をつけた。曲輪は山頂付近に200m以上に渡って東西南北に広がるも、主郭以外はほぼ未整備。南の曲輪(図右上)にある土橋と眺望、西の曲輪(図左下)の大堀切/土橋と、先端の曲輪に残る土塁・竪堀 程度か。特に主郭周辺のV郭・IV郭・VIII郭あたりは、切った木をそのまま大量に放置していて、見られたものではなかった。

saikusho-jo-0189では気を取り直して細工所城へ登ってみよう。道すがらふと見つけた細工所城跡の石碑。篠山地区の歴史名所を集めた「丹波篠山五十三次」の1つに指定されているようだ。篠山市HPによると、古墳から寺社仏閣そして山城跡と、渋い候補群から53個のベストを選んだというコレクション。ここ細工所城は五十三次セレクションから外れているが、何故か上の石碑は造られたようだ。こうした歴史史跡群もいずれ城めぐりが一段落したら全部巡ってみたい。

saikusho-jo-0191道を真っ直ぐ進むと登山口の看板が再登場。矢印が2つ描いてあってどっちなのか分かりづらいが、とにかく真っ直ぐ進むのではないようだ。右へ曲がる。

saikusho-jo-0192a-0348やがて白い倉庫のような建物の裏に、竹が伐採され尾根筋へ上がる道が整備された場所へ到達する。ここが荒木城跡 登山口。山頂まで約35分、と書いてある。ただいま11:20。登ろうとすると右側(写真外)で農作業をされていた地元の方に「最後かなり急なところがありますが頑張って」と応援された。頑張るぞ!

saikusho-jo-0194いざ登城開始。以前はここは竹林だったのだろう。今は伐採されて登り口が分かりやすくなっている。

saikusho-jo-0196しばらくは、山麓から見上げたとおり、緩やかな切り通し道のような山道が続く。

saikusho-jo-0197やがてやや広く削平され社などが建つ場所へ到達する。

saikusho-jo-0198祠と鳥居。ここは細工所砦跡と言われ、荒木鬼が籠もる城を攻めるために明智軍が築いた付城跡と伝わる。広い部分に大軍が駐屯し、城側には巨大な堀切と土塁の壁が残る。鳥居の奥の斜面を上がっていくと土塁の最長部(祠がある)に辿り着くのだが、登城時は気づかずそのまま左の斜面を迂回するルートへ。城跡へはその道で正解。

saikusho-jo-0344土塁の右側奥はかなり広く削平されている。これなら、前の大土塁を背に、あまり姿を見せない程度に大軍を駐屯出来そうだ。

saikusho-jo-0199では山上の城跡へ向かおう。登って行くと古い「細工所城址」看板もあった。以降、道すがらには「荒木城跡」「細工所城址」の2種類の案内板が乱立する状態に。うーん。

saikusho-jo-0200荒木城跡 あと約30分。登城開始して確かに約5分。標準的なペースで登っているようだ。

saikusho-jo-0201白い細工所城址(曲がっている)と、地面に置かれた茶色い細工所城址と、奥の真新しい荒木城跡の案内板。3つ同時に見える場所。

saikusho-jo-0203ふと右に目をやると、巨大な堀切と大土塁。ここが先ほど見た細工所砦の先端部のようだ。この向こう側に明智軍が駐屯していたのだろう。土塁の上に社が見えるので、少し寄ってみる。

saikusho-jo-0338細工所砦の土塁頂部に祀られている祠。

saikusho-jo-0206では山上へ向かおう。城跡に近づくまで特に見るものはなくどんどん登っていくだけなのだが、途中建てられているこの真新しい案内板の時間が結構刻んであるので、それを楽しみに(?)登っていく。あと約25分。

saikusho-jo-0207あと約20分。

saikusho-jo-0209あと約17分。突然刻んできた。倒木があるが乗り越えて奥へ。実際には20分→17分までは1分ちょっとで着く。

saikusho-jo-0212気合を入れて!あと約14分。

saikusho-jo-0217急な尾根を回り込むように道が作られている。外側には土塁のような盛り上がり。この右側に、縄張図にも載っている曲輪XIVがあった。

saikusho-jo-0221もう一息、あと約10分。目の前にはなかなかの斜面がそびえる。

saikusho-jo-0222だんだん斜面の坂道が長くなってきた。

saikusho-jo-0223長い斜面をあがって、さあと思いきや、最後の難関と来た。先ほどの斜面とは比べ物にならない、まるで切岸だ。あと約6分。

saikusho-jo-0224登ろうとすると、先人によるトラロープが設置されていた。これがないと確かにかなり登りづらい。ロープを手に上へあがる。最初の縄張図で言うところの、VIIからVIへ向かう斜面に居る。なお縄張図には斜面を直登せずとも左右に道があるように描かれているが、少なくとも訪問時には道らしいものは無かった。どっちから行っても大変さは同じ程度なので、せめてトラロープがあるここから登ろう。

saikusho-jo-0230ロープを伝って上へ。この上が主郭群となる。看板もラスト、山頂は目前 あと約1分、ときた。右へあがり、左に折れ曲がって、主郭群へと入る。

saikusho-jo-0232主郭群への入口。左右に土塁が積まれ、虎口風になっている。

saikusho-jo-0234虎口を越えて主郭群へ。右を向くと主郭が・・・見えるはずなのだが、なぜか枯れた木材が大量に積み上げられている。

saikusho-jo-0237主郭手前の曲輪までずっとこんな感じ。なんだこりゃ。やっつけ仕事感が満載でガッカリ。

saikusho-jo-0239廃材置き場を越えて、一番奥の主郭へ。ここはさすがに廃材は置かれていなかった。かなり広い曲輪だ。ここを頂点に、東西の尾根沿いに曲輪群が伸びている。主郭到着は11:48、写真を撮りながら登って約30分だった。各所の案内板に記載の時間はほぼ間違いない。

>> 細工所城 [2/2] へ続く。<<

訪問時期:2016年5月
撮影機器:FUJIFILM X-M1 + XF14mm
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