籾井城 : 巨大堀切と明瞭な土橋が残る丹波国衆の山城跡。

籾井城 (もみいじょう) は、丹波の旧街道沿いにそびえる山頂に築かれた中世山城で、波多野氏の有力被官とも言われる籾井氏の居城と伝わる。明智の丹波攻めでは天正五年十月に「モミヰ之館」を攻撃したと古文書にも書かれている。山頂部から四方に伸びる尾根沿いに曲輪や堀切を配した典型的な中世連郭式山城で、それ程大きくはないが見応えのある大堀切や土橋などが特徴的。波多野氏の八上城、荒木氏の細工所城と並んで、籾井氏の籾井城は「三大丹波国多紀郡東部山城」の一つとも言える。

<基本データ>
●名称:籾井城
●所在:兵庫県篠山市 (地図)
●築主:籾井下野守
●築城:15−16世紀頃
●遺構:曲輪、堀切、土橋、土塁等

訪問時期:2016.5


<訪問記>

momii-jo-0037籾井城跡への登山道は整備されている。城址のある山の南側に位置する「禅昌禅寺」の西側斜面に登城口あり。

momii-jo-0038「籾井城跡公園」入口。この写真を見ると一見道が無さ気だが、少しあがると整備された登山道が見えてくる。

momii-jo-map戎光祥出版「図解 近畿の城郭III」p.421より引用。城跡には縄張図付きの説明板等は一切ないので、書籍より引用して全体像を説明する。山頂部を主郭として、東西南北四方に伸びる尾根道沿いに曲輪が広がる。登山道から上がると南の曲輪へ到着する。東西南北すべての曲輪群を見に行こう。

momii-jo-0040登山道の様子。しばらくあがると、整備された階段付きの山道が現れる。ずっと階段というわけではなく、角度が急なエリアのみ階段が設置されている。

momii-jo-0042尾根道を上がっていると分かれ道らしき看板。右へ進むと「東廻り籾井城へ」と書かれている。こちらは東の尾根群へ到達する道のようだ。東の尾根群は帰りに行くとして、まずは真っ直ぐ上がって南の曲輪群を目指そう。

momii-jo-0043途中の東屋。休憩所。しかしまだ半分どころか3分の1も行っていない印象。

momii-jo-0047休憩所の少し上には巨大な忠魂碑が設置されていた。

momii-jo-0048a-0046そして忠魂碑の前には高射砲(の砲塔のみ)が何故か設置されていた。忠魂碑の揮毫が陸軍大将なことに関連してだろうか。

momii-jo-0048b-0045砲塔の中を覗いてみるとちゃんと施条(ライフル)が付けられていた。本物だ。

momii-jo-0049山道をあがっていく。この辺りは緩やか。

momii-jo-0052しばらく進むと切り通しのような深く掘られた道を上がる。

momii-jo-0055この盛り上がりは城があった当時の土塁か何かだろうか?

momii-jo-0057写真では分かりづらいが、肉眼では竪堀のように見えた場所。斜面に縦に長く溝が掘ってある。そして登道は写真右側を迂回して登る形。元々はこの竪堀風の場所をあがっていたのかもしれない。

momii-jo-0059迂回して上がる道。道が右に左に折れ曲がる。このあたりから冒頭の縄張図に記載されているエリアになる。南曲輪群の先端だ。写真では分かりづらいが正面の盛り上がりの手前に左右に堀切が作られている。当時は左右が深く堀切〜竪堀となり、中央に細い土橋が通る城道だっただろう。

momii-jo-0060南曲輪群 最下部の堀切。

momii-jo-0061南曲輪群の堀切。斜めから見るとやや分かりやすいか。

momii-jo-0064もう1段上の曲輪へ。正面の土塁(曲輪)を迂回するように左右に道が伸びる。

momii-jo-0071主郭下へ。この上が主郭。ここから直接主郭へ登る道も斜面上に作られているが、恐らくこれは公園化に伴う道で、本来は左側から西曲輪群の方へ回り込み、そちらから主郭へ向かうルートだっただろう。

momii-jo-0072では主郭を向かって左、西側を迂回するように回りこんで、まずは西曲輪群へ。

momii-jo-0075主郭の西側から西尾根に伸びる西曲輪群を見下ろす。2つの曲輪の間を巨大堀切が遮っている。降りてみよう。

momii-jo-0082西曲輪群を分断する巨大堀切。正面上が主郭、手前が西曲輪。かなりの深さだ。

momii-jo-0087西曲輪群の大堀切。写真では殆ど分からないが、現地で見た感じでは堀底の左右両端に細い土橋のような盛り上がりが見られた。障子堀の穴が1つだけあるような感じ。真ん中を泥地にしてハマった敵を狙い撃ち、のような仕掛けだろうか。

momii-jo-0093では西曲輪から上にあがって、主郭へ向かおう。主郭へのスロープが作られている。

momii-jo-0094籾井城 主郭へ。主郭も杉の植林になっているが、奥に石碑が見える。

momii-jo-0095主郭 南東方面には削り取られたような凹みがあった。虎口跡なのか、あるいは近年の加工なのか、よく分からなかった。

momii-jo-0096こちらにも主郭の凹み跡。凹んでいるのか、凸っているのか。

momii-jo-0098主郭奥に建つ城跡碑。「籾城公園」と書かれている。独特の風合いの石碑だ。

momii-jo-0101s大正一三年建立、東宮御成婚記念で建てられた石碑だった。

momii-jo-0102主郭中央部には炭が積まれている場所があった。お祭りか何かでここで木を組んで燃やした跡のようだ。

momii-jo-0106では主郭から北側へ抜けて、北曲輪群を見に行ってみよう。

momii-jo-0109北曲輪。奥に土塁が見える。

momii-jo-0113奥の土塁あたりから主郭方面を見返す。二段ほど低い段差が築かれていた。

momii-jo-0115a-0148北曲輪の土塁を越えて奥へ。この奥にある堀切と土橋が、城内一番の見所ポイントと思う。

momii-jo-0116土塁の上から見下ろす、堀切と土塁 (右側)。

momii-jo-0119やや角度を変えて。上からでもよく分かる!

momii-jo-0127降りて下から土橋と堀切、北曲輪の切岸を見上げる。

momii-jo-0128a-0142見事な土橋の残りっぷり。細い道を残して左右を深く削り落とし、兵が1人ずつしか通れない(そして1人ずつ正面から攻撃する)防御設備。

momii-jo-0131土橋から更に先にも曲輪が伸びる。正面が左に折れ曲がり、そこが北側からの城の入口だったようだ。

momii-jo-0134北曲輪群の先端部。縄張図にも細い堀切のようなものが描かれていて、現地でもこの坂の下にやや左右が窪んだ場所も見られたが、先ほどの土橋に比べると感動は薄い。

momii-jo-0168北曲輪群から主郭東側を通って、東曲輪群へ。こちらは堀切が一つ残るのみで、あとは削平地らしき場所がいくつかあるのみ。こちらが東曲輪群の堀切跡。浅い。このまま尾根を降りて下山する。

momii-jo-0171途中 籾井城へ と書かれた案内板もあったので、この道から登山する人も居る(つまりちゃんとした登山道)ということだと安心したが・・・この後どんどん降りて行くと最後は道が無くなり、竹やぶをかき分けながら半ば無理やり下山した。

momii-jo-0172此処から先がかなり急坂で道がなくなり最後は竹やぶに突っ込む道。降りれることは降りれるが、どこかで右に曲がって最初の登山道(の分かれ道)へ合流しないといけなかったようだ。

momii-jo-0178籾井城跡 遠景。

片道約20分、約1時間ちょっとで登城から下山まで可能な中世山城跡。八上城を中心とする丹波山城群を訪れた際はぜひ立ち寄ってみたい。

訪問時期:2016年5月
撮影機器:FUJIFILM X-M1 + XF14mm
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