丹波金山城 [1/2] 明智光秀が丹波攻略で築いた総石垣の山城

丹波金山城 (たんばきんざんじょう) は、丹波攻めの過程で明智光秀が篠山市と丹波市の中間に位置する標高540mの鐘ヶ坂峠の山頂部に築いた山城。多紀郡(丹波東部)の波多野氏 八上城と、氷上郡(丹波西部)の赤井氏 黒井城とを分断する場所に位置し、実際 主郭跡からは八上城と黒井城が見渡せるようになっている。主郭周囲に明智光秀が築いたとされる野面積みの石垣が断片的に残っており、また主郭奥には歌川広重の浮世絵にも描かれた「鬼の架橋」と呼ばれる奇岩がある。

<基本データ>
●名称:丹波金山城 (Wikipedia)
●所在:兵庫県篠山市/丹波市 (地図)
●築主:明智光秀
●築城:天正六年(1578)頃
●遺構:石垣、土塁、曲輪

訪問時期:2016.5
丹波金山城 訪問記 − 其の一


<訪問記>

kinzanjo-0359丹波金山城 遠景。正面の一番高いところが主郭跡。今からあそこに登ります。標高540m。

kinzanjo-0360a-2940神戸新聞総合出版センター「ひょうごの城 新版」p.409より引用。右下より伸びる破線ルートで登城、途中 廃寺跡を通って、馬場跡を通りぬけ、山頂部の主郭跡へ。主郭の西側に石垣跡が残るようだ。

kinzanjo-0361では登城。金山登山道は、城跡の南東にある追入神社(おいれじんじゃ)脇にある。

kinzanjo-0363登山道入口に建てられている金山城跡 説明板。読み方は「きんざんじょう」。群馬県にある石垣がスゴイ金山城は「かなやまじょう」。天正六年、丹波攻めを行っていた明智光秀は、まず東の八上城を包囲したあと、西の黒井城から支援されることを防ぐため、その中間点である当地に険しい山城を築いたという。

kinzanjo-0365では登城開始。つづら折れで、なかなかの急坂が続く。写真撮りつつ登って約30分の登山道。覚悟して登ろう。

kinzanjo-0368追入神社の脇に伸びる石段。石段があるのはこのあたりだけで、後は土と岩の道。

kinzanjo-0373ケモノよけの金網と、廃寺の古い石鳥居。「金山城跡まであと1千m」の看板に、分かっていたけれど、凹む。平地の1kmと山道の1kmはマッタク異なる。

kinzanjo-0377登山道はなかなかの険しさ。堀切道のような、土をくり貫いた道を右へ左へ上がっていく。

kinzanjo-0379かなりの岩場を削ったような場所もある。滑りやすいので注意。あと700m。結構逐次 残り距離を教えてくれる。ありがたいやら、しんどいやら。

kinzanjo-0384結構登ってきた。少し見晴らしが良い場所で休憩。ふと目をやると倒れかけた看板に金山城跡まで600m、と書いてあった。まだ半分も行っていないことに凹む。

kinzanjo-0385金山城跡まであと600mの地点から見る眺望。一面ほとんど山。わずかの平野部に田畑が作られ、街道が通されている。

kinzanjo-0387このあたりはなかなかの高低差がある場所。やっと半分、500m。

kinzanjo-0394廃寺へ到着。山の中に突如現れる石垣の壁。天気が悪く薄暗い日に一人で来ると結構コワイ、かも。

kinzanjo-0396城跡はこの奥。廃寺内には入らず、向かって右側の石垣に沿って奥へ進む。

kinzanjo-0397このあたりから手が入ってたのだろうか、道が多く左上へ折れ曲がる。虎口っぽい仕上がり。

kinzanjo-0400ここなどはまさに虎口。両端に土を盛り上げ(あるいは中央を削り)、木戸をしつらえれば、立派な城門だ。

kinzanjo-0400a-0402虎口を内側から。

kinzanjo-0401虎口の奥はかなり細長く直線的な曲輪が続く。馬場跡、だ。

kinzanjo-0405朽ちかけの看板があった。金山城跡馬場跡。昭和59年設置の木製標柱なら朽ちても仕方ないか。

kinzanjo-0407馬場跡を越えると分かれ道へ。縄張図にもあった、左へ行けば鬼の架け橋へ直行、右へ進めば主郭へ。迷わず主郭へ。鬼の架け橋方面の案内板の方が多いのは致し方なし、か。ちなみに写っていないが一番右側の道を進んでしまうと城跡を迂回して瓶割峠というマッタク違うところへ行ってしまうので注意。

kinzanjo-0408金山城跡まで、あと100m。

kinzanjo-0411登道の脇を見ると、土塁らしき盛り上がりも見られた。下から見るとよくわからなかったので、上から見下ろして撮影。こちら側は丹波黒井方面、黒井城からの攻撃部隊が直接 斜面からここに上がって来ないよう、土塁を築き上に木板などを並べて防御していたのだろうか。

kinzanjo-0412正面の坂の上が金山城跡。あと一息。最後の最後も大きく左へ曲がらされる構造になっている。

kinzanjo-0413金山城跡 山頂の曲輪群へ到着。向かって左へ進めば主郭部。右へ進めば石垣のない普通の曲輪跡へ。まずは右へ行ってみよう。

kinzanjo-0415金山は岩山、主郭反対側は岩盤が露出していた。この岩を切り取って主郭に石垣を積んだのだろう。下から持って上がらなくて済むので助かる。

kinzanjo-0418山頂曲輪群 右端(東端)の曲輪。見下ろしたが特に何も無かった。縄張図には南側に虎口か竪堀らしき跡が描かれていたが、わずかに凹んでいる程度で余り明確には分からず。主郭方面へ向かおう。

kinzanjo-0423では主郭へ向かおう。正面の一段高くなっている上が主郭跡。向かって右側、北面にはこちらも土塁が築かれていることが分かる。

kinzanjo-0429金山城 主郭へ。こちらは主郭の東端。案内板が建っている。

kinzanjo-0431「金山城物語」。金山城を巡る明智光秀・波多野秀治・赤井直正らの攻防戦について物語風に書かれている。想像力をかきたてて良い感じ。

kinzanjo-0435金山城物語の案内板の左右には、物語に出てくる「分断された」八上城と黒井城を見渡せる場所があり、標柱が建てられている。確かにここから見えるけれど、どの山が八上城・黒井城なのかを教えてくれないので、やや厳しい。とりあえず見てみる。

kinzanjo-0435a-0432金山城主郭から八上城を望む。金山城は標高540m、八上城は標高460m。高さはそれ程変わらないので、手前の低い山々ではなく、更に奥の高い山のいずれか、だろうか。八上城の独特の形状で見れば分かるかと思っていたが、分からなかった。どれが八上城かを示す案内板の設置を希望します!

kinzanjo-0437こちらは黒井城方面。木に埋もれつつあるが、黒井城を望む標柱が立っている方向。こちらも八上城と同じくどれが黒井城だか・・・状態だが、実は黒井城は山頂がキレイに伐採されているので、カンタンに見分けられるようになっている。

kinzanjo-0440金山城主郭から黒井城を望む。正面の山のもう少し奥、かなり小さいが山頂だけ木が伐採されて茶色くなっている山が見えるだろうか。そこが、黒井城。当時はあの上に櫓や旗が建ち、炊事などの煙もあがり、一目瞭然だっただろう。

其の二ではいよいよ野面積みの石垣と「鬼の架け橋」を見に行きます。

>> 丹波金山城 [2/2] へ続く。<<

訪問時期:2016年5月
撮影機器:FUJIFILM X-M1 + XF14mm
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