般若寺城 : 丹波攻めで明智光秀が八上城の目の前に築いた陣城。

般若寺城(はんにゃじじょう)は丹波八上城の真正面にある小山に築かれた城で、天正期に織田軍による第二次丹波攻めの際、大将 明智光秀が丹波の戦国大名 波多野秀治の本城 八上城を攻めるため、周囲の支城群を悉く攻め落とし、満を持して八上城の正面に築いた陣城跡。正覚寺の裏山にあり、細長い山頂部に3つの曲輪を連結させ、八上城主郭に睨みを利かせていた。近年 曲輪群の整備が進められており、訪問時は東曲輪の木々が伐採され当時の雰囲気が蘇っていた。今後の整備に期待。

<基本データ>
●名称:般若寺城
●所在:兵庫県篠山市 (地図)
●築主:明智光秀
●築城:天正六〜七年 (1578-79)
●遺構:曲輪、竪堀?


<訪問記>

hanyajijo-0919こちらのお山が、般若寺城跡。登り口は山麓南側の「正覚寺」の境内から。

hanyajijo-0920こちらが正覚寺 山門。右側に説明板がある。

hanyajijo-0921正覚寺と般若寺城跡 説明板。波多野氏の時代は大松山般若寺というお寺で、其の裏山に明智光秀が陣城を築き、攻防戦のさなか般若寺は焼失。江戸時代になって跡地に現在の正覚寺が建立された。「予約以外はお断りします」は庭園見学の話。

hanyajijo-0922正覚寺 境内へ。保育園が併設されているので、遊具がある。お寺と保育園は昔からある組み合わせ。

hanyajijo-0923般若寺城跡へは、その保育園の脇から奥へ向かった先から向かう。右側のこの道を奥へ。

hanyajijo-0924突き当たり。特に道はないようにも見えるが、この先が般若寺城跡。のぼる。

hanyajijo-0925のぼっても特に途中は道らしき雰囲気はない。でも、先へ進む。

hanyajijo-0926半分ぐらい登ったところだろうか、道らしき雰囲気が出てきた。

hanyajijo-0928山頂に近づくに連れて、木々が伐採され、切った木材で階段が作られ、整備感が出てきた。

hanyajijo-0929正面が東曲輪。少し横に入って全景を見てみよう。

hanyajijo-0930a-0936般若寺城跡 東曲輪跡 全景。伐採され整備が進み、当時の雰囲気が垣間見える。当時はここに桔梗の旗(明智光秀の家紋)がたなびき、正面の八上城 波多野氏を威嚇していたことだろう。木で簡易に造られた城壁が取り囲み、物見櫓的な建物が建っていたのだろうか。想像が膨らむ。

hanyajijo-0930b-0932東曲輪の上へ。下から見るとよく整備されているように見えたが、曲輪の上にあがると、曲輪の周囲の大木が伐られていないこともあってか、やや薄暗く眺望も余り無い。

hanyajijo-0931正面に見える八上城主郭部。木々の隙間からかろうじて望む。この付近だけでも数本、背の高い木を切っていただければ・・・。

hanyajijo-0938整備されているのは東曲輪のみ(訪問時。2016.5)ということだったので、一応 中央の曲輪および西曲輪方面へ向かってみる。道はある。降り口は西曲輪側にある(正覚寺の本堂裏手に出る)。

hanyajijo-0940中央曲輪付近。まったくの未整備で上にあがるのはやめた。東曲輪の整備が済めば、こちらにも整備の手が及ぶだろう。

hanyajijo-0942やや斜面を降りていくような感じで西曲輪へ。

hanyajijo-0943恐らくここが西曲輪側の先端部分。よく分からない。

hanyajijo-0944竪堀チックな斜面の凹み。手元の縄張図には不掲載。

hanyajijo-0945西側の降り口から、正覚寺の本堂越しに見る八上城。真正面、隔てるものは旧山陰道のみ。

hanyajijo-0946下山して正覚寺前あたりから八上城主郭を見る。

訪問時期:2016年5月
撮影機器:FUJIFILM X-M1 + XF14mm
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