小牧山城 (小牧城) : 美濃攻略に向け信長が築いた山城。

小牧山城は濃尾平野の真ん中にぽつんとある小牧山(標高86m)に、美濃攻めに向け若き織田信長が永禄六年(1563年)頃に築城・移住した山城。信長はその後 小牧山を拠点に美濃の斎藤氏を攻め続け、築城から4年後の永禄十年(1567年)には美濃稲葉山城が陥落。信長はそのまま稲葉山城あらため岐阜城に居城を移し、信長時代の小牧山城は廃城となった。天正十二年(1584年)には「小牧長久手の戦い」(羽柴秀吉vs徳川家康・織田信雄)が起こると家康はここ小牧山に本陣を築き、かつての信長時代の城跡を改修して堅固な陣地とした。その後 江戸時代を通じて小牧山は尾張徳川家の領地として保護され、昭和2年になって軍事演習が行われたきっかけで徳川家が国に寄付、以後 国史跡となった。山中には土塁、空堀、曲輪跡などが多く残り、平成に行われた発掘調査では、石積や排水溝を持つ直線的な大手道や主郭地中に三重の石垣などが見つかり、安土城や岐阜城で見られる石垣造りの織豊系城郭はここ小牧山城から既に始まっていたと考えられている。なお山頂に建つ資料館は、なぜか秀吉が築いた聚楽第の飛雲閣(西本願寺に伝移築現存)をモデルに建てられた模擬天守。小牧長久手の戦いをドラマティックに説明してくれる巨大スクリーンが見もの。東の山麓には土塁や堀、虎口などを持つ屋敷跡(帯曲輪)が公園として整備されている。

<基本データ>
●名称:小牧山城 (Wikipedia)
●所在:愛知県小牧市 (地図)
●築主:織田信長
●築城:永禄六年(1563)
●遺構:石垣、土塁、空堀、曲輪、虎口跡など


<訪問記>

komakiyama-2979小牧山城への登り口は「大手道」「駐車場口」「搦手口」「公園側」など幾つかルートがある。やはり「大手道」より上がってみよう。こちらが大手口入口。県道沿いの歩道からすぐあがる形になる。

komakiyama-2982大手口に設置されていた、小牧山城の順路案内図。分かりやすい。大手口から山上へは途中までだが真っ直ぐ伸びる山道になっているようだ。

komakiyama-2983a-2978こちらが小牧山 大手道。石段は整備後のものだろうが、山の上へ向かってまっすぐ伸びる大手道は、まるで安土城の大手道を見ているよう。信長は既に小牧山の頃からこのような大手道を作っていた。発掘調査により地中より石畳や排水溝跡なども見つかっているそうだ(埋め戻しのため見られない)。

komakiyama-2990大手道は途中右や左に折れ曲がる道がある。基本的にはどこへ曲がっても結局は山頂へ辿り着く。せっかくなので真っ直ぐどんどん進もう。ちなみに看板にある「歴史館」は山頂の模擬天守のこと。歴史館へ向かっていけば良い。

komakiyama-2992「桜の馬場」と称される巨大な曲輪。

komakiyama-2993大手道を上がっていくと、右側に伸びる道の先に説明板が見える。説明板方面へ進むと山頂への近道となる。

komakiyama-2995「永禄期大手道の石積」説明板。発掘調査の結果、この看板の裏側に天正期(信長ではなく小牧長久手の戦いの際にここを陣地とした家康によるもの)に造られた土塁が見つかり、また大手道の地中には信長時代の大手道(踏み固めた土の道の左右に三段程度の石積み)も見つかっている。信長時代の大手道などの遺構は、家康がより堅固にするため埋められたという。

komakiyama-2996看板の裏に土塁が…とあったので裏側を見てみたが、草ぼうぼうであまり分からなかった。この斜面全体が土塁なのだろうか。

komakiyama-2997看板から少し先を見ると、道の左側がやや盛り上がっている。これもその家康時代の土塁の一部なのだろうか。

komakiyama-3002では山頂へ向かってどんどん上がっていこう。

komakiyama-3005山を切り開いて道にした、という感じのダイナミックな空間。

komakiyama-3006a-3068山頂へ。山頂は切り開かれており、頂部には三階建の模擬天守(というより模擬御殿)が建っている。まっすぐ上がると直接建物にたどり着くが、小牧山の最大の見所は模擬天守などではなく、その周囲に残るので、まずは左側からグルっと回ってみよう。

komakiyama-3010模擬天守向かって左側へ。説明板がズラリと並ぶ。説明板は後で読むとして、まずは坂を上がって見よう。

komakiyama-3011多く積み上げられた石材の山は「石垣の裏込石」。発掘調査で出土したものをここに積み上げている。手前の人頭大の石は裏込めというより石積み本体っぽい。

komakiyama-3012あちこちにまるで石の壁のように積み上げられた出土石。ちょっと異様。奥の石段をあがる。

komakiyama-3013石段はそのまま模擬天守の脇まで続いている。ここからが見どころ。

komakiyama-3017「巨石石垣の露頭」説明板。元々露出していた巨石群の脇を発掘調査したところ、そこに連続して石垣が残っていたという。

komakiyama-3019北西法面の石垣。当時はこの調子で前面をぐるっと石垣が囲んでいたと思われる。

komakiyama-3022そしてこちらが1m以上ある巨石を並べた巨石石垣。他の石垣が大きく崩れ失われる中、ここは巨石が故か、しっかりと残っている。

komakiyama-3023そしてそのまま階段をあがり、模擬天守の建つ主郭へ。

komakiyama-3024主郭上には「御野立聖蹟」という石碑が建っていた。聖蹟という文言から想像できるとおり、昭和初期に昭和天皇が陸軍演習を視察に来られたことを記念して建てられたもの。

komakiyama-3025小牧山主郭に建つ模擬天守。天守というよりも御殿風だ。

komakiyama-3027小牧山歴史館 案内板。昭和43年に個人が私財で建てたものを市に寄付したという。小牧山に縁が深い「信長」でも「家康」でもなく、何故か「秀吉」が聚楽第に建てた飛雲閣(西本願寺に伝移築現存、非公開)をモデルとしている。

komakiyama-3028a-3042模擬天守内。鉄筋コンクリート造だが、中はこのとおり木を前面に出した暖かいイメージ。写真は無いが、小牧長久手の戦いをドラマティックに説明してくれる昔ながらの電球が散りばめられたスクリーンが、とても良かった。これを見にまた行きたい。

komakiyama-3029a-3039最上階へ。秀吉くん、信長くん、家康くんの顔出し。

komakiyama-3032濃尾平野にポツンと立つ小牧山。360度の眺望が楽しめる。こちらは南側、中央奥の高層ビル群は名古屋の中心地か。

komakiyama-3035小牧山 模擬天守より北側。奥に見える山脈の一つに、信長がここに城を築いた目的であった「美濃・稲葉山城(現岐阜城)」がある。今も模擬天守が建つはずだが、肉眼では遠すぎて見えなかった。また、目の良い人は犬山城も見えるらしいが、これも見分けられず。恐らく左端あたりにあるはず・・・なのだが。

komakiyama-3044模擬天守内に掲示されていた散策マップ。このパンフが欲しかったが、配布終了とのことで手に入れられず。

komakiyama-3045a-3052s模擬天守を出て、主郭周囲をグルっと回ってみる。発掘調査の結果を説明する巨大な説明板が5つ並べて立ててあった。

komakiyama-3045b-3053「下段石垣 隅角石」説明板。全て埋め戻されたのは残念だが、このように石垣の隅部にあたる石が出土したという。

komakiyama-3045c-3065「主郭の段築状石垣」説明板。石垣本格化前の試行錯誤段階であったこともあり、自然石の巨石を2〜3個積み上げた低い石垣を段築状に築いた石垣が見つかっている。防御力そのものよりも、山麓の城下町に向けた「見せる石垣」だったのだろうか。

komakiyama-3046a-3051模擬天守と主郭法面を、東側から。当時はこのあたりにも低いながらも何段もの石垣がぐるっと囲むように築かれていたのだろうか。

komakiyama-3048s主郭北側は発掘調査中だったのか、ビニールシートが被せられていた。

komakiyama-3054再び模擬天守の前へ。そういや石段を上がってなかったので、上がってみる。

komakiyama-3055a-3062石段の途中に石像があった。見て分かる通り、城があった時代の人の像ではなく、江戸期を通じてずっと天領(幕府直轄領)だった小牧山を国に寄付した徳川家当主の像。なんだかなあ。

komakiyama-3056その像の脇にある巨石。何気なく通りすぎてしまうところだったが、よく見ると、矢穴が付いている。しかもかなりの巨石だ。当時のものだろうか? ちなみに矢穴自体はかなり古くから伝わる石割り手段だったようだ(鎌倉時代の神社跡にも見られるとか)。

komakiyama-3059銅像の土台の巨石にも矢穴。穴を開けたものの割られなかった穴列もある。近くの石切場から運んできたのだろうか。

komakiyama-3078主郭を降りて、小牧山東麓に残る屋敷跡を見に行こう。途中通る児童公園に「史蹟 小牧山」と書かれた看板があった。

komakiyama-3080史跡小牧山 説明板。

komakiyama-3085東の山麓へ。屋敷跡とされる巨大な曲輪跡は現在は大きな公園になっており、南の車道側から入る場所には古い史蹟碑が建つ。

komakiyama-3086小牧・長久手の合戦の堀・土塁 説明板。二重の土塁とその間に堀が掘られていたという。信長期ではなく、天正十二年(1584)の家康によるもの。

komakiyama-3086a-3093公園内へ。周囲を大きな土塁が囲っているのが遠目でも分かる。左端に見える森が小牧山。

komakiyama-3087屋敷跡を取り囲む土塁。

komakiyama-3089土塁と堀跡。

komakiyama-3096屋敷跡の外周部には、堀の手前に築かれた内枡形跡も残るという。一番手前のところに行ってみる。奥の橋に行くまでの道がカギ状に折れ曲がる。これはすごい。

komakiyama-3098御幸橋口 に残る虎口跡。今は木の橋が築かれているが、当時は橋はなく下の土の上を通って曲輪へ入っていた。橋の上を通っていても土塁の高さがわかるので、橋がなければかなり高い土塁の壁の間を抜けていくような造りだったのだろう。虎口の出口に説明板あり。

komakiyama-3099a-3097小牧長久手の合戦の虎口f 説明板。虎口fというのは、小牧山城は古絵図の類が一切残らないため、遺構に記号的な名前を順につけているからだとか。この北にはもう1つ別の虎口跡も残るとか。

清須城に次ぐ信長の第二の居城であり、家康が秀吉軍を迎え撃った際の本陣だった小牧山城。安土城の巨大石垣へと繋がる、石垣造りの原点の城だったとも言われる。小牧山城では2004年(平成16年)から発掘調査が始まり、現在まで継続的に行われている。平成26年には主郭の周りを取り囲む三段構成の石垣も見つかり、まさに当時最先端だった「石の要塞」の姿が徐々に判明してきている。大手口向かいにある市役所では小牧山発掘のパンフも配布しているとか。これからの調査で更なる新事実の発見に期待していよう。

訪問時期:2014年12月
撮影機器:FUJIFILM X-M1 + XF14mm
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