清須城 : 若き信長の本拠地、後に清須会議の舞台となった城。

清須城 (きよすじょう) は、若き頃の織田信長が本拠とした地で、当時は堀と土塁に囲まれ屋敷が建ち並ぶ室町時代の典型的な城館だった。今川義元を討った桶狭間へは、ここ清須城から出陣したという。信長はその後 版図を広げていく過程で 小牧城、岐阜城、そして安土城へと本拠を移していく。本能寺の変後、織田家重臣らによる後継者選定会議がここ清須城で行われ (清須会議)、清須は信長次男 信雄の所領となる。信雄は清須城を大小天守を持つ近代城郭に改築。関ヶ原後は徳川家の所領となり大いに栄えていたが、慶長15年に尾張の中心地をここ清須から名古屋へと移すため大掛かりな遷都を行い (清須越)、清須城は廃された。城の建物や石垣などは解体され名古屋城の資材となったと伝わる。現在は城跡の川向かいに桃山期をイメージした派手な模擬天守が建てられている。なお「清洲」と「清須」の二種類の表記がありややこしいが、ここでは模擬天守内に掲げてあった説明板に従い、かつての城跡は「清須城」、模擬天守や公園は「清洲城」と使い分ける。

<基本データ>
●名称:清須城 (Wikipedia)
●所在:愛知県清須市 (地図)
●城主:斯波義重 / 織田信長 / 織田信雄
●築城:1405年 / 1555年 / 1586年
●遺構:復元石垣
●情報:清洲城HP


<訪問記>

kiyosu-2830a-2977清須城といえば赤い橋の向こうに建つ派手な模擬天守が有名だが、当時の清須城はその川向かいの地にあったという。まずは本来の清須城跡を散策し、その後で橋を渡って模擬天守を見よう。清須城跡にはこのようなゲートが設けられている。社や城跡碑などがあるようだ。現在の名称は「清洲古城跡公園」。ゲート横で「周辺の見どころ」として紹介されているのが何故か「キリンビール名古屋工場」で、無性に飲みに行きたくなる。

kiyosu-2836信長公を祀るお社と古城跡碑は、矢印にある通りこの裏側の丘の上にある。ぐるっと回りこんで丘の上へ。

kiyosu-2841a-2844s丘の頂上にある信長公を祀る社。

kiyosu-2842お社の近くに建つ清洲城跡碑。漢文で彫られていて、文久二年と書いてある。幕末の1862年だ。

kiyosu-2843更に奥には「右大臣織田信長公古城跡」と彫られた石碑も建っていた。

kiyosu-2846城跡碑の近くに設置されていた清洲城の概要 説明板。信雄期、城下町も含めた惣構の規模は南北2.8km、東西1.6kmもあったという。「東海の巨鎮」と讃えられた清須城だったが、家康の清須越(清須城を廃して城下町ごと名古屋城へ移る)により突如失われることとなり「思いがけない名古屋ができて、花の清洲は野となろう」という悲しい歌が残っているとか。大改修後(信雄以降)の地図にもあるとおり、当時の本丸は川の西側(今いる場所)で、模擬天守が建っているのは川の東側、街道が走る城下町の一部だった。今いる丘は天守台跡だろうか。

kiyosu-2847a-2975丘の上の石碑や社が建っていた場所を下から見上げると、石積みで補強されているのが見えた。清洲城の石垣は名古屋城に資材として持ち去られたので、これは社を建てる時に積まれたものだろう。

kiyosu-2849社が建つ丘から少し東へ向かうと、庭園風に整備されていて、休憩所(左の建物)などが建っている。休憩所の中には甲冑などが展示されていた。

kiyosu-2850休憩所の前には、城の東側を流れる五条川とそれに架かる赤い橋、そしてその向こうには黒い模擬天守がそびえる。まずはこちら側(清須城跡)を散策してから、帰りに模擬天守を見に行こう。

kiyosu-2856休憩所の脇には古い石垣が積まれている。

kiyosu-2858清須城 旧石垣。五条川の護岸工事の際に出土した当時の石垣を移設復元したもの。石垣の下には軟弱な地盤に重い石を固定するための「胴木」と呼ばれる木材が敷かれている。

kiyosu-2859「清洲城の石垣」説明板。この場所から南に200mほど進んだ場所で発掘されたもので、清須城 本丸南側石垣ではないかと考えられているとのこと。

kiyosu-2862では清須城本丸跡の南側へ行ってみよう。本丸跡は中央あたりを東海道本線が横切っていて、この有様。高架を越えて、すぐその先を右に曲がれば、清須城本丸南側へ。現在は「清洲公園」と呼ばれている。信長公の銅像があるようだ。

kiyosu-2865高架を越えると、右側に下に降りていく道が現れる。

kiyosu-2868s清洲公園へ。高い土台の上に、古い甲冑姿の若き信長公の銅像が建つ。

kiyosu-2869a-2875若き信長公像。桶狭間に出陣する姿か。

kiyosu-2869b-2876若き信長公像 後ろ姿。

kiyosu-2871s出陣する信長を心配そうに見つめる、信長の妻 濃姫の銅像もある。

kiyosu-2878濃姫 銅像。視線の先には信長公像があるという配置。

kiyosu-2883敵を見据える信長公と、それを見守る濃姫。ストーリー性のある銅像、いいね。

kiyosu-2884a-2872清洲公園の概要 説明板。大正11年に公園化された、旧清須城本丸・天守台の場所。やはり天守台跡は最初に見た線路北側の丘だったようだ。清須越で城が廃された後、城下町は新田として開発されたが、天守台跡などは何と尾張藩が清洲城址として保存し、現在は県有地となっているという。しかし明治19年に城跡を貫く形で東海道本線が敷設。先ほどの銅像はやはり桶狭間に出陣する勇姿を模した26歳当時の信長の姿。

kiyosu-2889a-2893清須城跡(本丸跡)の北半分と南半分を分断する東海道本線。その北側すぐあたりに、清須古城跡の石碑が立つ。写真右端の階段の上あたり、大木の下だ。行ってみよう。

kiyosu-2890本丸北側、清洲古城跡公園に建つ「清洲古城趾」石碑。

kiyosu-2890a-2963では本丸跡を一通り見た後で、橋を渡って模擬天守を見に行こう。中は歴史資料館になっている。信雄時代の近代城郭 清須城の絵図面等は残っておらず、当時の姿は一切分からないという。そのため、桃山時代のイメージで黒壁に赤い欄干という派手な4層望楼型天守がデザインされた。

kiyosu-2890b-2961橋越しに見る清洲城 模擬天守。

kiyosu-2895a-2960模擬天守が建つ「清洲城」の立派な大手門。もちろん模擬。門の左右には瓦と土で固めた、通称「信長塀」が設けられている。

kiyosu-2897s模擬大手門越しに見る模擬天守。

kiyosu-2898a-2902大手門の左右に設置された「信長塀」。桶狭間に出陣の途中に熱田神宮に戦勝祈願し、勝利の後にその御礼として奉納された塀をここに再現したもの。土の間に瓦が敷き詰められており、普通の土塀よりも強度がかなり増している。神社でたまに見る。

kiyosu-2898b-2958大手門を越えると、枯山水の庭園の向こうにそびえる黒い天守。模擬天守ながら、かなりカッコいい。「日本三大カッコいい模擬天守」の一つに挙げさせて頂きたい。他は伏見桃山城と、もう1つはどこにしようか迷い中。

kiyosu-2901清洲城と歴代城主 説明板。分かりやすい。そして流石は信長公の拠点だった城、信長以降の歴代城主も錚々たる顔ぶれ。

kiyosu-2903土蔵。織田木瓜の黄金の瓦が目立つ。

kiyosu-2904a-2954では模擬天守へ入ってみよう。入口は石垣をくり貫いて造られている。というか石垣も模擬。野面積みっぽく造られている。

kiyosu-2905a-2948模擬天守入口。一見閉まっているが、実は何と自動ドア。入城料 300円。

kiyosu-2912模擬天守内は清須城にちなんだ歴史資料と、こんな感じで当時の雰囲気を再現したエリアなど、趣向が凝らしてある。

kiyosu-2914a-2907ややこしい「清須」と「清洲」の表記について。家康の清須越(廃城)までが「清須」、それ以降は「清洲」。だったが、何と平成の大合併で平成17年に誕生した新市の名前が「清須市」で、余計にややこしくなってしまった。史料的には厳密な区別はなくどちらも使われているようだ。ちなみに信長公記は全編通して「清洲」表記。当サイトでも(冒頭で書いたとおり)歴史的な城名としては「清須城」、現在の公園の名前や模擬天守は「清洲城」表記にしている。

kiyosu-2916信雄当時の近代城郭 清須城のジオラマ。川をうまく取り込み、二重三重の水堀を巡らせた惣構。ちなみに今この模擬天守が建っているのは一番右側に建てられている札の場所。城内ではなく城下町の位置に建っていることがわかる。

kiyosu-2918なぜか実物大でかなりリアルに再現されている「石落とし」ジオラマ。ホントに人が座っているのかと最初ビックリした。ちなみに「石落とし」は、実際はこのような巨石を穴から落としたというよりは、穴から火縄銃や槍、熱した油などで攻撃したことも多かったという。

kiyosu-2919清須城跡で発掘された出土品の数々。羽釜。城下町で出土。

kiyosu-2920a-2939桐紋の金箔瓦。信雄時代のものと想定されている。こちらも城下町で出土。

kiyosu-2920b-2937岐阜城にもある、若き日の信長像。

kiyosu-2922a-2929では模擬天守の最上階へ。黄金の信長像や太鼓、模擬天守で用いられているものと同じ金シャチや金箔瓦などが展示されている。

kiyosu-2931模擬天守 廻縁の様子。良い感じ。

kiyosu-2934s眺望その1。西側。川向うにかつて清須城があった。

kiyosu-2935a-2928眺望その2。東側。南東方面に「清須越」をした名古屋城の大天守が見えるのだが、ズームレンズを持参しておらず写真には写せず。

kiyosu-2946模擬天守からは、隣接する御殿風建物(芸能文化館)を通って外へ出る。芸能文化館を出たところから見上げる天守。カッコいい。その右奥に外へ出る小さな門が見える。

kiyosu-2949一応、搦手門ということになっている。

kiyosu-2953搦手門側から出て見上げる清須城模擬天守。

kiyosu-2973カッコいい清洲城は、今や清須市のシンボル。

かつての信長の居城で、信雄時代には近代城郭に生まれ変わり大いに発展するも、家康の清須越で遺構の殆どが失われてしまった清須城跡。とは言え名古屋城からも近く、国内でも一二を争うカッコよさの模擬天守がそびえる姿は、一見の価値あり、かも。名古屋城のお供に。

訪問時期:2014年12月
撮影機器:FUJIFILM X-M1 + XF14mm
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