墨俣城 (墨俣一夜城) : 若き秀吉による一夜城伝説で有名な中洲の砦跡。

墨俣城 (すのまたじょう) は若き秀吉が信長の命を受け美濃・尾張の国境近くを流れる長良川 (洲股川) の中洲に築いたとされる砦。一夜にして築いたように演出したという逸話から「墨俣一夜城」の愛称で呼ばれる。ただしこのエピソード自体は後世の軍記物による創作とされる。「信長公記」には「洲股要害」として記載があり、また当時 秀吉の家臣だった前野家に伝わる古文書にも詳細が伝わる。当時は土塁と堀切、馬柵などを備えた砦だったが、現在は跡地に巨大な模擬天守が建てられ、内部は前述の前野家古文書の紹介を中心とした歴史資料館となっている。なお当時の表記は墨俣ではなく洲股。

<基本データ>
●名称:墨俣城 (Wikipedia)
●所在:岐阜県大垣市 (地図)
●築主:木下藤吉郎
●築城:1566年頃
●遺構:なし
●情報:墨俣一夜城HP


<訪問記>

sunomata-2726墨俣城(歴史資料館としての名称は「墨俣一夜城」)は、大垣駅から6kmほど東に行った先の長良川の支流・犀川沿いに建っている。犀川の河川敷を歩いていると、向こうにそびえる天守が見えてくる。遠くからでもかなり目立つ。

sunomata-2729墨俣一夜城の外観。最上階の窓が大きかった頃の大垣城 天守にそっくり。

sunomata-2730a-2826やがて犀川に架かる橋の前までやってきた。ここを渡ると墨俣一夜城へ直行できる。橋は途中でカギ状に折れ曲がっている。ひょうたんのモニュメントがアチコチに置かれている。

sunomata-2731a-2825何とこの橋は「太閤出世橋」と言うネーミングのようだ。

sunomata-2737正面から模擬天守を見ようと少し移動してみたが、距離があるので大分横に行かないと正面にはならなかった。ここまでで諦めて橋に戻る。中洲の先端に天守台の上に更に4階建ての模擬天守が建てられているので、とても目立つ。

sunomata-2743ひょうたん越しの墨俣一夜城。定番構図。

sunomata-2745橋がカギ状に曲がるところから。このあたりからが一番キレイな姿、か。

sunomata-2747橋が曲がっているところにもヒョウタンがあったので、ヒョウタンと模擬天守との2ショット。

sunomata-2748この辺りまで近寄ると、やや見上げるような構図になる。模擬天守の前には銅像が建っている。

sunomata-2748a-2819脇の附櫓部分から入城するようだ。

sunomata-2749模擬天守の前に立つ、ではなく座る、木下藤吉郎秀吉 公像。

sunomata-2750木下藤吉郎秀吉公像。関白姿だからか、他の城で見られる秀吉像とはかなりイメージが違う。ちなみに秀吉がここに城(砦)を築いたのはまだ信長の配下で足軽頭レベルだった頃。その頃の秀吉像を立てるべきでは。

sunomata-2754資料館(模擬天守)に入る前に周囲をグルっと回ってみよう。墨俣城の略歴を彫った石碑と、当時築いたとされる馬防柵「藤吉郎の馬柵」。

sunomata-2755「一夜城址」という石碑が建っていた。うーむ。

sunomata-2757長良川側に出る入口のところには冠木門風の入口が設けられていたが、訪問時は馬防柵で封鎖されていた。

sunomata-2759「一夜城築城のこと」と銘打たれた説明板。昭和52年に公表された「前野家古文書」に記載されている、墨俣城の築城等々に関する記載を紹介したもの。墨俣からの攻撃ルートや、墨俣城の構造や建造物に関する記載があるそうだ。

sunomata-2760模擬天守の奥には、白鬚神社が鎮座する。

sunomata-2762神社の社号標の脇に小さな「一夜城址公園」の石碑があった。

sunomata-2764その奥には、豊國神社もあった。出世之神というノボリまで立っている。サラリーマンの聖地?

sunomata-2764a-2761豊國神社脇には、洲股築城犠牲者の墓もある。当時からここに残る五輪塔などを集めて祀っているのだろう。

sunomata-2765s豊國神社前から見た模擬天守。大きな入口があるが、ここからは入れない。搬入用か。

sunomata-2766a-2814太閤秀吉出世の泉。ヒョウタンから水が出ている。水道だろう。

sunomata-2766b-2815附櫓横を通って再び模擬天守の正面へ。

sunomata-2770a-2817附櫓の正面まで戻ってきた。資料館への入場料は大人200円、18歳未満は何と無料。

sunomata-2777模擬天守の中は歴史資料館になっている。騎馬武者のカッコいい銅像が階段の脇にあった。

sunomata-2780藤吉郎が築いたとされる洲股砦のジオラマ。当時とは犀川・長良川の流路は異なるとのこと。当然 今のような大天守は無く、この通り自然の川を堀に見立て、土塁と柵などで囲った軍事拠点だった。

sunomata-2782付近からは当時のものと思われる出土品がいくつか出ているという。そのうちの一つ、鉄兜。すごい。刀なども出土しているという。

sunomata-2786木下藤吉郎が豊臣秀吉となった頃に着用していたと高台寺(秀吉の正室おねの菩提寺)に伝わる鳥獣文様綴織陣羽織、の一部のレプリカ。当時ポルトガル船で日本に伝来した生地を陣羽織に仕立てたものという。これは西陣織で再現したもの。

sunomata-2787資料館内部の様子。パネル展示が多く、なかなか読み応えがある。

sunomata-2788a-2803メインの展示物は、昭和後期に発見・公表された前野家古文書、通称「武功夜話」に記載された墨俣城に関連する内容。キレイなパネルで細かく紹介されている。

sunomata-2788b-2805現在の周辺写真と、当時の絵図との重ねあわせ。川の流路が洪水で変わってしまったため、まったく地形が重ならなくなっている。ちなみに左に展示されている如何にも古文書な本は、前野家古文書のレプリカ。現物は非公開という。個人的にはこのような貴重な歴史資料を一個人で秘匿するのではなく、然るべき研究機関や博物館等に寄贈あるいは預託すべきと感じる。

sunomata-2788c-2806前野家古文書の紹介パネル。

sunomata-2789a-2779古文書に記載されているという当時の洲股砦の絵図面。城壁の外側を更に馬防柵で囲っている。

sunomata-2793上の図を元に現代風に描き変えたもの、か。永禄九年とは1566年。右上に稲葉城と書かれている。

sunomata-2794a-2783当時の洲股周辺の城マップと、資材運搬ルート。洲股は、洲股川と境川、長良川、木曽川などが入り乱れるエリアの西端を抑える場所だった。中洲地帯のすぐ北側は、信長が攻めようとしていた美濃斎藤氏の居城・稲葉山城。

sunomata-2796さて、展示を満喫したところで、最後に眺望を見よう。模擬天守最上階の展望フロアへ。内側から見ると窓が大きすぎて天守最上階には思えない雰囲気。

sunomata-2797西方面。犀川が眼下に。最初に模擬天守を見たのは橋の向こうの河川敷から。

sunomata-2798北方面。右側を流れているのは長良川。その奥、一番高い山の上が、当時の美濃斎藤家の居城・稲葉山城。後の岐阜城。

sunomata-2800s墨俣一夜城から見る稲葉山城をズームで。現 岐阜城の模擬天守がチョコンと山の上に建っているのが、かろうじて見える。当時はこんな大きな建物はなかったので、もっと下からの角度だったが、それでも途中に遮るものが無い時代、まさに稲葉山を睨む要所だったのだろう。逆に斎藤氏側からも、ここの砦がよく見えたに違いない。

sunomata-2833おまけ:犀川河川敷から犀川全景と墨俣一夜城 模擬天守を見る、の図。よく目立つ。

江戸時代の軍記物による創作と考えられている墨俣一夜城伝説。しかしかつてここに当時の羽柴藤吉郎が建てた砦があり、それを伝えるために一番分かりやすい姿で建てられた歴史資料館。大垣城や岐阜城へ来た際は、すぐ近くのここにも寄って墨俣(洲股)の資料を見ていくのも良いかもしれない。

訪問時期:2014年12月
撮影機器:FUJIFILM X-M1 + XF14mm
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