但馬八木城 [3/4] 主郭は南面が9.3mの高石垣、北面が半分土塁の二面性。

但馬八木城 訪問記 其の三(全四回)。

[前回までの概要]
公民館に車を止めて城下町から登城スタート。まずは石の城、長い尾根沿いの郭群を越えると立派な主郭石垣が見えてくる。隅石の算木積みが美しい!逸る気持ちを抑えながらまずは南の尾根群を見てくる。其の三ではいよいよ主郭へ登ります。

Links: 但馬八木城 訪問記 其の一


<訪問記>

但馬八木城 縄張図 再掲。現在は主郭から南へ伸びた郭群、ちょうど主郭の高石垣が上に見えるあたりからスタート。このまま主郭の周りをまずは一周して外周石垣を十分に見てから、虎口を通って主郭の上へあがります。

tajima_yagi-2351主郭南の尾根にある郭より、主郭を見上げる。木々の隙間の向こうに、主郭の高石垣が垣間見える。

tajima_yagi-2352二ノ丸まで戻ってきた。主郭はもう1段上の郭の上にある。主郭周囲の細い通路は帯曲輪だろうか。

tajima_yagi-2354二ノ丸から主郭 櫓台を見上げる。隅石垣の写真がいつも日陰気味なのは、いい場所に巨木が鎮座しているから。

tajima-yagijo-2477主郭隅櫓台 全景。破城というより最近崩れ落ちたかのような雰囲気もある。

tajima_yagi-2357一段あがって、主郭周囲の帯曲輪へ。櫓台の隅石垣を間近に見る。隅石垣のすぐ横は崩れていて(あるいは崩されていて)、下に石材が散乱している。細い網の柵が設置されているのは、ここから登ろうとする不届き者を登らせないようにするためか。

tajima_yagi-2360では主郭の外周に積み上げられた石垣を見て一周してみよう。まずは南西面。この高石垣!

tajima_yagi-2361櫓台の出っ張り部分。最初に見た隅部と違ってこちら側はより大きく壊れており、算木積みの部分が余り見えない。手前に崩落している石材はかなりの巨石なので隅部のものだろう。一番上の石は今にも落ちそう。

tajima_yagi-2362南西面の高石垣へ。鈍角に谷折れしている。鈍角の石垣は「しのぎ積み」と呼ばれるがそれは凸型の場合で、このような凹型の場合は(鈍角鋭角に関わらず)「入隅(いりすみ)」と呼ばれるそうだ。

tajima_yagi-2364主郭高石垣エリアのすぐ下の帯曲輪部分も、足元をよく見ると低い石垣が細かく築かれていた。しかも屏風折れと言っても良いぐらい屈折が細かくつけられている。木や枯れ草をキレイに整備すればよく見えるだろう。

tajima_yagi-2368主郭高石垣の入り隅部分。破城の際の定番パターンの1つ、V字型に石垣が壊されている。破城跡が生々しく残る城跡でよく見られる形状だ。(例:肥前名護屋城

tajima_yagi-2369主郭の西端へ。ちなみにこのまま真っ直ぐ進んでいくと八木氏時代(山名氏配下)の八木土城へ到達する。そちらは主郭を見終わってから。まずは主郭に沿ってグルっと一周。

tajima_yagi-2371振り返って主郭の高石垣を見る。これは壮観。野面積みだけど、角度が緩やかだからか、ぬめっとした印象。色合いも黄色っぽい。

tajima_yagi-2372主郭石垣 西端から、全景。こちら側もやはり隅部は破壊されている。

tajima_yagi-2375こちらも落下した石が表面を覆っていて、算木積みの部分など詳細が見えない。整備をすればもっとよく見えるようになるかもしれないが、この崩れた姿も今の八木城なので、難しいところ。

tajima_yagi-2376北西端へ。こちら側は盛大に破壊されていた。よく見ると角部が鈍角の「しのぎ積み」になっていることが僅かに残った下部から分かる。

tajima_yagi-2377主郭北西端、こちらも「しのぎ積み」。八木城主郭石垣は、南面は櫓台や南西端などが直角の算木積みだったが、北面は緩やかな角度(鈍角)の しのぎ積みになっているという特徴があるようだ。

tajima_yagi-2378そのまま北面に沿って東へ。南面と違って低い石垣が何段かに分かれて積み上げられている。かつての主郭への通路だろうか、坂道がある。土が積もって道状になっているだけかもしれない。

tajima_yagi-2380主郭北側の石垣。南側と全く様相は異なる。

tajima_yagi-2381主郭北側の石垣、東面。隅部も算木積みではない。こちらが初期に積まれたのだろうか。

tajima_yagi-2382そのまま北東端へ回り込むと、こちらだけは石垣が余り無く、普通の坂道のようになっていた。このまま進むと南東端の虎口跡・櫓台跡へと戻る。

tajima_yagi-2385櫓台跡へ戻ってきた。これで主郭の周りを一周したので、このまま石垣横の坂道を上って主郭へ登ってみよう。かつてはこの坂道か、あるいはもう一段下側の道から主郭東面に設けられた虎口を通って主郭へ入っていたようだ。

tajima_yagi-2387a-2408石垣真横の坂道を上がってみよう。巨石の石垣の真横を通る。すごい迫力!

tajima_yagi-2387b坂道を上がって虎口へ向かう。

tajima_yagi-2387c-2407主郭虎口真横の石垣。よく見ると刻印が彫られている石もある。

tajima_yagi-2388主郭虎口。かなり土で埋もれてしまっているが、パンフによるとここは「桝形虎口」とのことで、積り積もった土を掘り返せばかつての枡形虎口が現れる、かもしれない。整備に期待。

tajima_yagi-2389a-2406s但馬八木城 主郭に到着。向かって右側に説明板が並ぶ。まずはそちらを見てみよう。

tajima_yagi-2390八木城の概要 説明板。手書きでかなり古そうだ。鎌倉初期の朝倉氏(参考:但馬朝倉城)に始まり、南北朝期〜室町時代は山名氏傘下となり、秀吉の但馬侵攻により別所氏の居城となる。別所氏は関ヶ原で西軍に属し戦後は丹波由良城へ移封され、八木城は廃城となった。ここまでは教科書通り。最後の一文が興味深い→「八木氏は廃城後 徳川氏に仕え、その直系は東京に在住 現在に至っております」!

tajima_yagi-2393説明板の足元には、二ノ丸や三ノ丸等で見かけた標柱あり。本丸跡。かすれて読み取りづらいが、天守跡、隅櫓、などと書かれている。

tajima_yagi-2394標柱の反対側。南側の高石垣は高さ9.3m。穴太流石垣で1592年(天正二十年)前後に積まれたもの、とか。穴太衆によるものかどうかは不明だが、古い織豊系の野面積みであることは間違いない。

tajima_yagi-2394a-2389主郭奥へ行ってみよう。主郭は平坦ではなく、奥に天守台、そして外周に石塁が築かれている。

tajima_yagi-2395a-2392主郭南側に築かれた石塁。大和高取城などでも見られるが、天正〜慶長初期に築かれた城としてはかなり初期の源流と言える。

tajima_yagi-2396主郭奥に建つ石仏群。土台の石は元石垣だろう。奥には天守台とされる盛り上がりがあるが、内側に石積みは無い。

tajima_yagi-2398南面の石塁の上から、南面の高石垣を見下ろす。高さ9.3m。下は斜面になっているので、それ以上の高さが感じられる。

tajima_yagi-2400主郭西端、天守台の上から西側の尾根を見下ろす。この尾根道を西へ進んでいくと八木土城へ到達する。其の四でご紹介。真下は元々はしっかりとした石垣があったのだろうが、破城によるためか、壊されてしまってよく分からない。落ちないように注意。

tajima_yagi-2402天守台端から、南面に造られた石塁を見る。多聞櫓的な建物が建っていたのか、塀が設けられていたのか、主郭の実質的高さ以上の高さを南面の高石垣に表現するために築かれたのだろうか。

tajima_yagi-2403天守台から見た主郭全景。結構広い。パンフに載っていた復元想像図には、主郭は天守と隅櫓を繋ぐように周囲に多聞櫓と塀が囲み、中心部には何も描かれていなかったが、果たして。

其の四では西方の尾根の先にある八木氏時代の土城跡へ向かいます。

>> 但馬八木城 [4/4] へ続く。<<

訪問時期:2015年3月
撮影機器:FUJIFILM X-M1 + XF14mm
– – – – – – – –
ブログ人気投票参加中. いつも投票アリガトウ(^-^)

投票するのも、順位を見るのも、上↑のアイコンを押してね!
ページの一番上に戻る

広告

コメントを残す

以下に詳細を記入するか、アイコンをクリックしてログインしてください。

WordPress.com ロゴ

WordPress.com アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

Twitter 画像

Twitter アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

Facebook の写真

Facebook アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

Google+ フォト

Google+ アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

%s と連携中