フルスト原遺跡 [1/2] 石垣島南部の小丘に残る石塁群へ。

フルスト原遺跡  (ふるすとばる) は石垣島南部の小山の上にある、石塁群遺跡。石垣がグスク風ながら小規模に区切るように築かれていることから、豪族の居館跡とも言われ、石垣島の英傑「オヤケアカハチ」の居館跡ではという説もある。発掘調査の結果、出土品等からオヤケアカハチが活躍した15世紀後半の前後100年ほど遺跡が存続していたと考えられている。旧石垣空港がすぐ近くにあり、戦時中に補修のため石塁の多くが持ち去られており、現在見られる石垣は平成の復元によるもの。

<基本データ>
●名称:フルスト原遺跡 (Wikipedia)
●所在:沖縄県石垣市 (地図)
●築城:14世紀後半?
●遺構:石塁遺構(復元)


<訪問記>

石垣島の南にある「フルスト原遺跡」へ。バスに乗って「大浜」で下車、GoogleMap片手に10分ほど歩いて史跡フルスト原遺跡の入口に辿り着いた。

furusuto-baru-3760a-3764フルスト原遺跡への入口。遺跡は南北に長く、北端と南端にそれぞれ入口がある。こちらは南端の方。車を停めるところがないので、車の場合は北端側へ行く方が良さそうだ。歩きの場合は南端の方がバス停から近かった。

furusuto-baru-3763入口に掛けてあった周辺マップ。左が北。今いる場所は入口の入口、史跡の入口は緑ラインの両端になる。右側(南端)から遺跡を抜けて、左側(北端)へ出てみよう。

furusuto-baru-3765史跡エリアに入ると、突如このような穴ぼこだらけの岩場が随所に見られる。島は琉球石灰岩(珊瑚の死骸)を多く含み、これらが柔らかく加工しやすいことから、日本で石垣が発展する遥か前から琉球諸島では石垣文化が発展した。

furusuto-baru-3767道を進み、白い家の角を右に曲がると、あとは真っ直ぐ進めば先ほどの緑のライン(史跡の入口)へと通じるはずだ。エアテクノサービスという工場が目印。

furusuto-baru-3769工場を越えると畑に出る。畑の間を史跡まで貫かれた道を進む。森の切れ目のあたりが史跡入口。

furusuto-baru-3771森の切れ目を入ると、森の内部が開けていて、突如 石垣の壁が現れる!大浜のバス停からここまで徒歩で約20分。

furusuto-baru-3773沖縄本島のグスクと同じく、ゴツゴツ穴の空いた石をそのまま積み上げた(野面積み)沖縄特有の石垣、というか石塁。琉球石灰岩だ。

furusuto-baru-3774石塁はそれ程高くないので、背伸びして中を覗いてみる。屋敷の周りを囲んでいたような造りになっているようだ。

furusuto-baru-3775フルスト原遺跡は小山の上にあるが、周囲は木々で覆われているため眺望は良くない。一部だけ隙間があったので眺望を見る。下は断崖絶壁、落ちないようにロープが張られている。

furusuto-baru-3778ずっと奥まで続く石垣群。それぞれは繋がっておらず、屋敷ごとに囲まれているような造りになっている。芝生が敷かれ整備されているという印象。では手前から順に見ていこう。

furusuto-baru-3781一番南側にある石塁(先ほど覗き込んだ場所)は「1号石塁」。平成11年度 復元。

furusuto-baru-3782中を見ると一段高く盛り上げられていることが分かる。この中に屋敷が建っていたのだろうか。地面は石垣と同じ石材(琉球石灰岩)が露出していて(この山自体が岩盤なのだろう)礎石があるのか等は分からなかった。

furusuto-baru-3786もう1つ隣の石塁へ。切れ目があり、勝手口的な様相になっている。こちらの中は芝生敷。

furusuto-baru-3791勝手口と最初の入口。

furusuto-baru-3792お隣さんは2号石塁。こちらも平成12年度 復元。

furusuto-baru-3797続いて3号石塁へ。平成13年度 復元。

furusuto-baru-37993号石塁の傍にあった説明板「フルスト原遺跡の概要」。武器が出土せず生活用品ばかりが出てきたことから、城郭(グスク)ではなく集落としての要素が強いとのこと。15基ある石塁の内、1−5と10と15の7つが現在復元されているようだ。古老の記憶にある高さで復元がされている、というのが何だか微笑ましい。またこの説明板は印刷した紙をパネルに入れてクリップで掛けてあるだけの簡易なものだが、随所に設置してありカラーで読みやすく内容も分かりやすい、コスパ抜群な説明板だ。雨ざらしで劣化が早そうなのが気がかり。

furusuto-baru-3800分かりやすい遺構位置図。右側(南端)から入り、現在は「第3号」と書かれた石塁の前に居る。10と15が道の反対側、そして5号だけが少し離れたところにあるようだ。またこの地図を見ると遺構の東側(図の上方向)はほぼ垂直の斜面だが、西側(図の下方向)は緩やかなことが分かる。しかし現場は森になっていて、西側に歩いて抜けることは難しそうな雰囲気だった。青いラインに沿って北へ抜けよう。

furusuto-baru-3802青いラインで描かれていた遺跡中央の道。この道の左右に石塁が存在する。向こうの森までの間に、1号〜4号と10号・15号があり、5号だけが森の中にあるようだ。

furusuto-baru-3803では改めて3号石塁の中へ入ってみよう。かなり細い出入り口だ。当時はここに木戸が設けてあったのだろうか。

furusuto-baru-3804a-38303号石塁の細い入口から入った景色。今までの石塁とは異なり、まるで虎口のように食い違いの道を石塁が構成していることが分かる。広さもあり、かなり偉い人が住んでいたのかもしれない。

furusuto-baru-38063号石塁の中の食い違いになっている部分へ。段差もある。門があったのだろうか。

furusuto-baru-3810石塁が渦巻いている部分。復元されている石塁はかなり低いのでこれでは中が丸見えだが、本来はもっと高かったのだろう。

furusuto-baru-3815石塁が低いので、まるで石の道のようにも見える。

furusuto-baru-38163号石塁から見る、1号石塁と2号石塁。

furusuto-baru-38173号うずまき石塁と、その奥に見える4号石塁。

furusuto-baru-3822超広角レンズを使って奥行きある感じで撮影してみた、3号から見る1号と2号の図。

furusuto-baru-3825同じく超広角レンズで捉えた3号うずまき石塁。

furusuto-baru-38263号うずまき石塁 少し角度を変えて。とても印象深い。快晴ならもっと良い感じなのになあ!残念。

furusuto-baru-3830a-38203号うずまき石垣の入口部分。門があったのだろうか、少し盛り上げられていることが分かる。

furusuto-baru-3831ではお隣の4号石塁へ。3号と壁を共有。平成20〜21年度に復元。そう言われると3号までと比べて石塁(石材)の色がやや薄い。

furusuto-baru-38334号石塁の大きく口を開けた場所には、石塁の跡とも思える部分がある。本来は勝手口のように狭い入口のみがあって、このあたりは壁だったのかもしれないが、何故かここだけ復元されていない。

furusuto-baru-38364号石塁の北端あたりに説明板があった、が、風で吹き飛ばされて悲しい感じになっていたので・・・

furusuto-baru-3837直しました。説明パネルは上部二箇所をクリップで留めているだけなので、風が吹いたらすぐに外れてしまいそうな感じだ。訪問時に外れていたら是非つけてあげてください。

furusuto-baru-3838フルスト原遺跡からの出土品 説明板。生活用品、装飾品、食料残滓が出てきているという。地元の土器だけでなく、中国、東南アジア、徳之島などからやってきた物も含まれていたとか。

Part2では5号・10号・15号の石塁と、何故か遺跡の外側(断崖の下)に建てられている史跡碑、そして石垣島の他の著名史跡を少しだけ回ります。

>> フルスト原遺跡 [2/2] へ続く。<<

訪問時期:2015年12月
撮影機器:FUJIFILM X-M1 + XF14mm
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