勝連城 [3/3] 四の曲輪 南風原御門跡から見上げる姿も必見。

勝連城 訪問記 第三回(全三回)。

[これまでの概要]
標高100mの小丘の上にそびえる勝連城へ。休憩所でパンフを入手してから、車道を通って城内へ。最下段の四の曲輪から、大きなカーブを描く長い階段をあがって、三の曲輪、二の曲輪(殿舎跡)そして更に階段を上がって最高部の一の曲輪へ。360°眺望の素晴らしいロケーション。Part3では主郭そして三の曲輪、四の曲輪を散策します。

Links: 勝連城 訪問記 その一


<訪問記>

城内最高部「一の曲輪」に居ます。

katsuren-gsk-4610一の曲輪にぽっかり空いた穴。奥の岩場が御嶽(遥拝所)で、その手前の穴は洞穴という。

katsuren-gsk-4610a-4608玉ノミウヂ御嶽 説明板。穴の横にあった巨大な石こそが、ここ勝連城の御神体である霊石。かつてここには宝物殿のような建物があったという。また洞穴は、先ほど二の曲輪で見たガマ(洞穴)と繋がっていて、勝連城落城の際にここを城主阿麻和利が通って遥か北の読谷村まで逃げ延びた、という伝説も残るという。二の曲輪側の説明ではまさに繋がっているかのような書きっぷりだったが、こちらでは繋がっている事自体も伝説のように書かれている。実際は、繋がっていないのだろう。

katsuren-gsk-4616では勝連城 一の曲輪より、360°の眺望を楽しもう。逆光にも負けず、中城湾を望む。かつての城下町や港はこちら側にあった。

katsuren-gsk-4617a-4614勝連城 一の曲輪より。太平洋側。

katsuren-gsk-4618a-4611勝連城 一の曲輪より。勝連半島の根っこ方向を見る。こちら側は石垣が太くなっていた。

katsuren-gsk-4621勝連城 一の曲輪より、勝連半島の先端方向。二の曲輪の殿舎、三の曲輪、東の曲輪がまさに一望。

では一の曲輪を降りて、先ほど余り見られなかった三の曲輪から四の曲輪 周辺を散策する。

katsuren-gsk-4631二の曲輪 殿舎跡。先ほど見た反対側から、一の曲輪を背景に、全景を見る。勝連城跡は、四の曲輪から一の曲輪まで木々が伐採され見やすくなっているが、なぜか一の曲輪の手前だけ巨大な木が生い茂ったままとなっている。ちょうど抜け穴があるあたり。あそこだけ刈れない何か理由があるのだろうか。

katsuren-gsk-4634三の曲輪へ。正面には主殿のあった二の曲輪の基壇が見える。その奥には一の曲輪の石垣も見えるが、城があった当時はこの角度からは主殿しか見えなかっただろう。

katsuren-gsk-4636三の曲輪の遺構を見てみる。遠景に石が敷かれた、謎の遺構。3つほどあった。

katsuren-gsk-4641円状に配置された石列は「すり鉢状遺構」で、石自体は遺構ではなく、この下に石列の大きさですり鉢状の粘土を貼り付けた遺構があったとのことだ。粘土なので、水を貯める設備ではとされている。沖縄のグスクなど突出した場所は琉球石灰岩と呼ばれるサンゴ由来の岩盤で、水はけが非常に良いことから、城内で水を貯めるには瓶や粘土などが必要だったのだろう。

katsuren-gsk-4639また基壇の前あたりには、御嶽跡もある。手前の石積みと緑がある場所が、そう。

katsuren-gsk-4637肝高の御嶽 説明板。キムタクならぬ、キムタカの御嶽。御嶽の漢字名は後で来た日本人が決めた名前で、現地語でトゥヌムトゥと呼ぶのが正しい呼び方、だろうか。

katsuren-gsk-4640最後に、見落としていた「殿舎跡」の説明板。首里城正殿のようなイメージの建物があった。

katsuren-gsk-4649三の曲輪 城門付近から、三の曲輪・二の曲輪・一の曲輪 全景をふたたび。すばらしい。

katsuren-gsk-4670では、三の曲輪の外周部を少し散策してみよう。向かって右側に、四の曲輪の外周石垣と、三の曲輪の石垣の間にスペースがある。長いカーブの階段の途中から逸れて右奥へ行く感じで。

katsuren-gsk-4671三の曲輪 隅部。まるで西洋の砦のように、丸く突き出た石垣。

katsuren-gsk-4674そのまま三の曲輪の石垣に沿って奥へ進むと、右側にあった四の曲輪の外周石垣が道を塞ぐように左へ折れ曲がり、そのまま三の曲輪の岩盤に連結した。ここまで、ということだろう。石垣の向こう側は普通に山だった。

katsuren-gsk-4676四の曲輪の外周石垣が三の曲輪の岩盤に連結する部分。なんと、石垣の道とも言える石積みがそのままの幅で築かれて上まで続いていた!細かい作りだが、これはどういう意味があるのだろう?

katsuren-gsk-4677a-4675上の三の曲輪連結部分あたりから、四の曲輪外周石垣の下部を見下ろす。西原城門からでなく、斜面を直接あがってきた敵は、足場が斜面ということもあり、この高さの外周石垣だとさすがに越えづらそうだ。

katsuren-gsk-4681では長い階段の下へ戻る。ふたたび四の曲輪へ。見る角度の問題だろうか、三の曲輪城門(石段の先端)の左側の石垣が、右側に比べてとても高く見える。史跡碑のあたりから見るとちょうど良い大きさに見えたので、あのあたりから見ることを想定してこの石垣を組んだのだろう。

katsuren-gsk-4683四の曲輪にも幾つかの井戸など遺構が見られた。斜面に石壁を作って入口をきちんと作った井戸。

katsuren-gsk-4684a-4682ミートゥガー 説明板。逢瀬の場という伝説もあるとか。入口まできちんと造られた大掛かりな井戸なので重要な位置づけの井戸だったのかもしれない。

katsuren-gsk-4687奥にはもう1つの井戸もある。無造作に置かれているように見える鉄柵の下が、そう。

katsuren-gsk-4688a-4685ウタミシガー 説明板。占いにも使われた場所という。

katsuren-gsk-46902つの井戸あたりから、三の曲輪の隅部の石垣を見上げる。なんと、こちらは、尖った加工がされている。扇の勾配で有名な加藤清正もビックリの隅部加工術。

katsuren-gsk-4696四の曲輪外周石垣の一部もこちら側に残る。

katsuren-gsk-4701四の曲輪外周石垣の切れ目あたりから、三の曲輪の石垣を見上げる。この切れ目あたりには、パンフによると、かつての城下町へと続く大手門的な「南風原御門」があった、と描かれているが、石垣が大きく壊れており、当時の面影はなかった。発掘整備が四の曲輪まで進んでいるので、いずれは石垣も大きく整備復元され、かつての大手門らしさを取り戻すかもしれない。

katsuren-gsk-4704少し奥へ進んで、斜面の下から三の曲輪を見上げる。左奥にちょろっとアタマが見えているのが一の曲輪。かなりの急斜面の上に造られていることがわかる。登城路として整備したところ以外からの登城は、かなり厳しそうだ。

katsuren-gsk-4707こちらが南風原御門の外側、城下町および港へと続く旧大手道跡。すっかり森と化しているが、かつては、現在の搦手道側(休憩所方面)のように草が刈られ整備された城道だったのだろう。

katsuren-gsk-4708a-4716この正面あたりに、かつて、四の曲輪の外周石垣に開けられたアーチ状城門「南風原御門」が、あった。今はまったく面影なし。発掘整備が待たれる。

katsuren-gsk-4713四の曲輪を歩いていると更にもう1つ井戸を発見。なぜか鉄柵が無く、周囲の石垣もよく見えた。他の井戸は丸く掘ってある事が多いが、ここは四角だった。

katsuren-gsk-4714a-4712「仲間ヌウカー(カンジャガー)」説明板。このあたりの鍛冶屋「仲間家」が使っていた井戸、という伝説が残るも、発掘調査の結果、周囲から鍛冶屋の後は見つかっていないという。

katsuren-gsk-4719南風原御門跡あたりから、勝連城全景を見上げる。すばらしい。100名城ではなく、こじんまりしているが、沖縄を代表する実に美しいグスクだ。ちょっと遠いけど、公共機関でも行きやすい、オススメグスクです。

訪問時期:2015年12月
撮影機器:FUJIFILM X-M1 + XF14mm
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