勝連城 [1/3] 美しく整備された丘上にそびえる巨大石垣!

勝連城 (かつれんぐすく) は沖縄本島南東部、中城湾の北部に東に突き出た勝連半島にある、古琉球時代の城跡。標高約100mの琉球石灰岩の小丘上に築かれており、木々が伐採され山麓からもよく見える巨大なカーブを描く石垣が美しいが、これらはほぼ昭和の整備活動により積み直しされた石垣である。歴史的には、琉球王府初期に中城城主の護佐丸を討った阿麻和利(あまわり)の居城として有名。山頂の「一の曲輪」から南端の「東の曲輪」まで一直線に段々に曲輪が築かれた、いわゆる連郭式山城。

<基本データ>
●名称:勝連城 (Wikipedia)
●所在:沖縄県うるま市 (地図)
●築主:勝連按司 / 阿麻和利
●築城:12世紀頃? / 15世紀
●遺構:石垣、郭、城門跡、井戸跡、御嶽跡
●情報:勝連城公式HP

Links: 勝連城 訪問記 その一


<訪問記>

公共機関で勝連城へ。屋慶名(やげな)バスターミナル行きのバスに乗って、「西原」というバス停で降りる。勝連城跡前というバス停もあるのだが、そちらの路線は本数が少ないので、多くの路線が通る西原を選択。

katsuren-gsk-4508「西原」で降りる。バス停からはお城は見えない。とりあえず道沿いに少し戻る。

katsuren-gsk-4510しばらく進むと「← 勝連城跡 0.4km」の案内板あり。次の曲がり角を左へ進む。7km先の闘牛場も気になるが、勝連城へ行こう。ちなみに闘牛場の横には「安慶名城跡」もある。

katsuren-gsk-4511しばらく進むと、突如視界がひらけて、奥の小山の上に壮大な石垣が見えてきた!これはすごい。

katsuren-gsk-4513ズームで山上の石垣を見る。当時はあの上(一番高い石垣の前あたり)に、首里城正殿のような、立派な御殿が建っていたという。ちなみに石垣の上は二段構成に見えるが、実は階段あがってすぐの曲輪は中心で二段に分かれており(手前が三の曲輪、奥が二の曲輪)、三段構成。

katsuren-gsk-4514a-4523お城に登りたいが、見逃しが無いように予習をしていこう。道を隔てた反対側に、休憩所とジオラマがある。

katsuren-gsk-4514b-4524勝連城ジオラマ。山上にそびえるように高石垣が築かれている。山頂から下まで、一の曲輪(右奥の最高部)・二の曲輪(正殿があった場所)・三の曲輪(正殿基壇の手前)・四の曲輪(一番低く広い曲輪)・東の曲輪(手前の高台の上、今は未整備で立入禁止)と、計5つの曲輪が連なっている、連郭式山城。ちなみにこの場所から見る勝連城跡は裏側にあたり、当時の城下町や港などは向こう側にあったという。

katsuren-gsk-4514c-4526ジオラマ前に掲示されている説明板。空撮写真が何故かかなり斜めになっている。

katsuren-gsk-4514d-4522休憩所へ。休むだけの場所ではなく、パンフやガイドブック、水やお土産販売、そして少し展示もある。疲れてなくても必ず寄っておこう。

katsuren-gsk-4514d-4528休憩所内には、当時の姿を想像復元した、より精細なジオラマがある。日本では総石垣造りのお城は16世紀末まで待たねばならないが、古琉球では、既に13世紀前後にこれだけの城跡が築かれていた。その理由としては沖縄本島を構成する「琉球石灰岩」の性質(柔らかく加工しやすい珊瑚由来の石材)もあったと言われている。

katsuren-gsk-4514d-4529一の曲輪側から。日本の城で言うところの「二の丸御殿」(政治などの中心地)が見られる。一の曲輪の下はすごい断崖絶壁だ。

katsuren-gsk-4514d-4531城の入口にあたる、四の曲輪の城門「西原御門」。石垣の間に木造の櫓門などを挟み込む日本の城郭と違って、門自体は石垣(和式城郭で言う埋門方式)で出来ており、アーチ型で、その上に琉球風の赤い櫓が載せられている。

katsuren-gsk-4514d-4532休憩所内には多くの出土品などが展示されているが、最も目を引くのは、見事なカーブを描いた巨大な石材。これは現地に残っていた、巨大城門の一部という。

katsuren-gsk-4514d-4533近くに説明板がある。最上段の「一の曲輪」に入るところにあった城門のアーチ部、カーブを描いているところにかつて嵌めこまれてた、唐草模様の石材の一つという。日本の城郭には見られない、琉球石灰岩だからこそ出来る技術か。

katsuren-gsk-4516では休憩所を出ていよいよ城跡へ向かおう。城の東側、搦手道にあたるこの旧道は、まっすぐ進むと西原御門を通じて四の曲輪へ入る、、、が、訪問時(2015.12)は西原御門付近で発掘調査が行われており、この道を進んでも途中で立入禁止となっていた。確かに青いビニールシートが掛かっている。城跡へは、旧道のすぐ右側に西原御門跡のすぐ横へと通じる車道を通って、あがる。入口に説明板が2つ建っているので、まずはそれを見よう。

katsuren-gsk-4518勝連城跡 説明板。立派な縄張図が掲載されている。

katsuren-gsk-4519説明板に記載された縄張図。右上の矢印の先が現在地。ちなみに車道は記載されていない。主要部以外にも御嶽や岩場と思われる印が描かれているが、基本的に整備がなされているのは主要部のみだ。

katsuren-gsk-4520もう1つの説明板。こちらは鳥瞰図の立派な復元想像図が描かれている。行政の都合からか、よく複数の似たような説明板が併設されていることがあるが、勝連城跡では「現状図面」と「復元想像図」がそれぞれ描かれていて、よろしい。ちなみに国指定史跡と書いているが、ここ勝連城跡も、首里城を始めとする世界遺産「琉球王国のグスク及び関連遺産群」にちゃんと含まれている。

katsuren-gsk-4521復元想像図部分のアップ。西原御門へ通じる旧道沿いには溜池だろうか湿地帯だろうかが描かれている。ちなみに「西原御門」という名前だが、城の東側に当たる。方角ではなく地名を指しているのだろう。大手道および城下町などは、図の左奥、南風原御門の向こう側にあたる。正殿が描かれている場所が「二の郭」、その手前の横に長い場所が「三の郭」だ。ちなみにこの図では「郭」と書かれているが城内の説明板やパンフでは「曲輪」と書かれていて、勝連城的にはどっちでも良いようだ。

katsuren-gsk-4534では大手道ではなく車道を通って上へあがろう。当時はなかった道で、綺麗な舗装がされていて風情も何もないが、仕方ない。

katsuren-gsk-4535しばらく進むと「防御田地」という説明板があった。先ほどの復元図に描かれていた旧道沿いの湿地帯のことだ。底なしの沼と言われるほどのスゴイ湿地帯だったようだ。天然の要害。説明板の想像図を見ると、確かにこれでは歩くだけでも一苦労、その間に上から弓矢を掛けられては、どうしようもない。

katsuren-gsk-4536こちらが防御田地跡。底なし沼の面影はなく、段々畑のような形になっている。水が豊富だったので、埋め立てて段々畑にしたということだろうか。うーん。

katsuren-gsk-4537車道を進むと、いよいよ四の曲輪の周囲を囲っていた石垣(の切れ目)へ。車道が石垣を貫いている。

katsuren-gsk-4538ここから中が、四の曲輪。石垣の延長線上へ。沖縄グスクの石垣は、日本の石垣と異なり、中も全て石積みで出来ている(日本の石垣は中身は土塁で外周のみが石材)。

katsuren-gsk-4538a-4541四の曲輪外周の石垣を内側から。ここだけ見ると、まるで登り石垣。

katsuren-gsk-4539sそして南側へと続く石垣。森の向こうは東の曲輪、か。恐らく、眼下のビニールシートのところあたりが、西原御門跡だろう(旧道の延長線上なので)。これから西原御門跡として整備復元が行われるのか、それとも発掘調査後は元通りに埋め戻されるのか、詳細は不明。発掘中のスタッフの方に聞いてみたが末端作業員のためか(あるいは言葉の問題?)なぜかあまり話が通じなかった。

katsuren-gsk-4540s四の曲輪 発掘現場の様子。1mほど掘って色々調査していた。よく見ると西原御門の内側に更に2mほどの段差があり、その上が四の曲輪(削平地)になっているようだ。

katsuren-gsk-4542西原御門跡を超えて、しばらく進むと、城跡碑やら説明板がたくさん設置された場所へ。世界遺産になったときに造られた立派な石造りの説明板。

katsuren-gsk-4543世界遺産石碑の裏側には、隠れるように井戸跡が残る。門口のカー。(「カー」は「泉」の意)。飲料水用の井戸というより、門を入った者が手を清めるためにあったという。手水舎のようなイメージか。

katsuren-gsk-4544a-4726こちらが門口のカー。地面に石造りの井戸穴がボコっと開いているので、落ちないように、この手の井戸跡には大抵鉄柵などがかぶせてあるところが多い。

katsuren-gsk-4548門口のカー前には、史跡碑と、その向こうにそびえる巨大石垣の勝連城が見える。定番スポット。天気も良く、他に観光客も(たまたま)居らず、すばらしい眺め。

katsuren-gsk-4549正面から、丘の上の石垣を見る。石垣の上は「三の曲輪」だ。

katsuren-gsk-4550カーブを描きながら二の曲輪へ続く石段全景を捉えるべく、魚眼レンズで。回りの木々も全て(此方側のみ)伐採されていて、まさに丘の上にそびえる城郭といった印象だ。

katsuren-gsk-4553「右旋回の階段」説明板。コレも立派な防御設備だ。和式城郭で言う枡形虎口や横矢掛けなどと同じ位置づけか。ちなみにclockwiseだと「時計回り」なので、反対のような気もするが、英語に身近な沖縄なので、これはこれでいいのだろう。か。

katsuren-gsk-4554a-4669では四の曲輪の散策は後にして、まずは上へあがってみよう。石段自体は下の方は崩壊していたのか、近年の道と、途中からは木組みの石段になっていた。上の方はオリジナルの石段。

katsuren-gsk-4554b-4663では急坂にカーブを描く「右旋回の階段」を通って、三の曲輪へ向かおう。

>> 勝連城 [2/3] へ続く。<<

訪問時期:2015年12月
撮影機器:FUJIFILM X-M1 + XF14mm / FISHEYE 8mm
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勝連城 [1/3] 美しく整備された丘上にそびえる巨大石垣!” への2件のフィードバック

  1. はじめまして
    他の城のページを拝見しに来たのですが、TOPの勝連城跡の写真に魅了され、これはぜひ見に行きたい!と思い立って沖縄滞在23時間弾丸ツアーを決行してまいりました。
    あまりの迫力にただただ圧倒され、こちらで予習させて頂いたおかげでじっくりと堪能することが出来、生涯思い出に残る旅になりました。詳細な記事のおかげと感謝しております。

    1. エミさんへ。コメントありがとうございます。勝連城を含む沖縄弾丸ツアー、移動が大変だったでしょうが素晴らしい旅だったとのこと、少しでも役立てたのなら幸いです。沖縄にも九州にも、そして日本中にもまだまだステキなお城はあります。またお越しくださいませ。

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