中城城 訪問記 其の二(全四回)。
[概要]
沖縄本島の中央部に位置する「中城城」へ。城跡の入口とは反対側に正門があるので、正門まで移動してから散策開始。仮称 西端の郭、正門を通って、南の郭へ。Part2では「一の郭」へ。
<訪問記>
南の郭 中央部の遥拝所あたりからスタート。
南の郭 内は遥拝所や石壁が多く配置されていて、さながら迷路のよう。どんどん奥へ進む。
南の郭 一番奥へ。アーチ状の城門「拱門 (きょうもん)」があり、其の向こうが「一の郭」となる。
南の郭と一の郭を結ぶ城門「拱門 (きょうもん)」。「拱」という字は難しい、調べてみると「こまねく」という意味があるそうだ。漢検一級レベル。
「拱門 (きょうもん)」あたりから南の郭を見返す。石垣が崩れつつあるのか、不揃いな状態になっている。補修しないとこうなるのだろう。
拱門を越えて、一の郭へ。本丸にあたる。
先ほどの城門を見返してみる。説明板が建っている。
「西側城壁解体工事」説明板。この城壁と拱門は緩みがあったことから、平成23年に解体、25年に北側を積み直し実施、南側は平成26年度中に行う予定(訪問時はH26.12)と書かれている。見た感じすでに南北(写真で言う門の左右)は既に積み直されているようにも見える。ちなみに解体前はアーチの石垣が崩れないよう、木の枠で抑えられていたようだ。
一の郭。郭の北側の石垣(写真左側)は他の場所と比べて崩壊しつつある状態のままだった。
一の郭 北側の石垣。石垣の上部から崩れた石材が落ちたままになっている。訪問時は作業員の方が調査か何か作業をされていた。おつかれさまです。
一の郭 南側。石垣の向こうは海ということで、眺望が見えるように石垣の上へ安全に上がれるように柵が設けてある場所がある。行ってみよう。
一の郭 南側の展望台へ。手前の展望エリアは立入禁止で、奥の一段上の部分が眺望が見える場所になる。
こちらが石垣の上にあがれる展望エリア。
一の郭から見る太平洋の眺望。高さもあって、素晴らしい景色。
展望エリアの上から、一の郭を見る。平坦ではなく、場所によって三段の高さの違いが設けられていることが分かる。
展望エリアの上から、南の郭方面を見る。石垣の外側は草ぼうぼうなのが見えてしまった。
展望エリアの上から、一の郭 北側を見る。かつて城主 護佐丸等が政治を行った「正殿」(本丸御殿)があった。明治になってからは中城村役場が建っていたが、沖縄戦で焼失した。
一の郭 南側の城壁に沿って進んでみる。石垣のカーブがよく分かる。
一の郭 東側の一段高い場所。正殿台、と書かれている。
一の郭から東側の二の郭へ繋がる城門。
「一の郭正殿跡の調査概要」説明板。護佐丸時代、琉球王朝時代(番所)の図面等が残っていないため、発掘調査を実施した結果、礎石や柱穴、各種石積み遺構などが大量に見つかったとのこと。しかしかなりの回数で建て替えがあったようで、遺構が複雑に入り組んでいて、明確に把握することは難しい状態だとか。
一の郭から二の郭へ向かう城門。
城門脇には遥拝所があった。中森ノ御イベ、通称 着替御嶽 (ちげーうたき)。
では城門を通って「二の郭」へ行こう。南の郭と繋がっていた城門よりも石材が大きく、また上部が二重三重になっていて、より重厚感がある。
城門から、二の郭を見下ろす。二の郭は一の郭より数段低い場所にあるようで、城門から石段で降りるかたちになる。
二の郭から、一の郭の石垣および城門を見上げる。主郭の貫禄十分といった様相だ。古い石積みの上に綺麗な石垣が載っている。門の向かって左側には遥拝所(御嶽)がある。
二の郭 全景、西側。結構広い。ここも海側の石垣に登って眺望を見られる場所があるようだ。
二の郭 東側には「忠魂碑」が建てられている。
では設置された階段を登って、南側の城壁の上へ。ここから眺望および二の郭内を見ることが出来る。一の郭側。石垣が細かくカーブを描いている。
二の郭 南側石垣の上より、二の郭 東側を見る。石垣の上をこのまま通って北側まで行くことが出来そうだ。
二の郭 南側石垣より見た眺望。
二の郭南側石垣より、東側を見る。
石垣の上を歩いて移動。二の郭南東端あたりから、二の郭全景を見る。
二の郭 東端あたりから。
上と同じ位置から、もう1つ東側の郭である三の郭を見下ろす。かなりの高さがあるようで、見下ろす形になる。
二の郭と三の郭を遮る石垣。かなりのカービング高石垣だ!これはすごい。下からゼヒ見てみたい。
>> 中城城 [3/4] へ続く。<<
訪問時期:2015年12月
撮影機器:FUJIFILM X-M1 + XF14mm / 8mm
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