今帰仁城 [2/3] 御内原から大隅城壁と東シナ海を眺める。

今帰仁城 訪問記 其ノ二(全三回)。

[概要]
沖縄本島北部に残る石造りのグスク跡、今帰仁城 (なきじんぐすく)。外郭から平郎門を越えて城内へ。昭和の整備で石垣や城門が復元されており、平郎門の奥の「七五三の階段」は当時は無かった道で、脇に残る崩れた旧道から奥へ向かおう。Part2では大庭、主郭方面へ。

Links: 今帰仁城 訪問記


<訪問記>

nakijin-8269では旧道を通って奥へ進もう。崩れかかってはいるが、奥に伸びる石段の面影は残る。

nakijin-8270旧道の石段をあがる。足元がかなり悪いので要注意。

nakijin-8271旧道を上がり切ると、石垣の壁に囲まれた入口へ。和式城郭で言うところの「虎口」だ。

nakijin-8274登り切ったところに「旧道」説明板がある。ちなみに同じ内容の看板が下にもあった。平郎門から直線的に伸びる石階段は1960年代(昭和30年代後半)に整備された道で、本来の登城道はここだったと明記されている。当時は埋もれていたのだろうか、昭和末期の発掘調査により旧道石段が発見されたようだ。

nakijin-8277旧道から虎口を越えて奥の郭へ。「大庭」と書いて「うーみゃー」と呼ばれる削平地。

nakijin-8277a-8275「大庭」説明板。政治・宗教儀式の場で、今でも旧暦八月に祭祀を行っているという。

nakijin-8278大庭には石碑や御嶽が残る。まずは石碑。

nakijin-8279石碑は歌碑だった。志慶真乙樽(しげまうとぅだる)の歌碑。今帰仁の城 しもなりの九年母 志慶真乙樽が ぬきゃいはきゃい。乙樽は美女の名とのことだ。

nakijin-8282奥には石積みで囲まれた御嶽(宗教上の聖地)も残る。グスクは軍事拠点であると同時に宗教拠点でもあったようで、城内には多くの御嶽(うたき)と呼ばれる祈りを捧げる場所が残る。

nakijin-8282a-8280「ソイツギ(城内下之御嶽)」説明板。16世紀に書かれた「琉球国由来記」にもこの御嶽が記載されているという。

nakijin-8283大庭から向かって左奥(方角で言うと北隣)を一段あがると、御内原と呼ばれる別の曲輪がある。元々は石段があったのだろうか、今は板張りの坂道になっている道が整備されているので、行ってみよう。

nakijin-8284s御内原(うーちばる)へ。

nakijin-8285「御内原」説明板。もう1つの御嶽が残り、女官部屋があった場所と伝わる。また高台にあることから眺望もよく、奥の曲輪や石垣がよく見えるという。

nakijin-8287御内原から見た北側の様子。先ほど立入禁止だった「大隅」が眼下に見える。中は広いが岩肌が露出しているようだ。先ほど外側から見たカーブを描く石垣の内側が見える。

nakijin-8288大隅 外周石垣を端まで見てみる。右側は断崖ギリギリのところに築かれているようだ。一番手前が切れている。

nakijin-8289大隅外周石垣の一番南側、御内原との連結部分アップ。元々ここで石垣は切れていたような印象だが、切れ目の内側には大量の石材が転がっており、石垣は切れていたが、別の何かが石で築かれていたのかもしれない。あるいは今いる御内原側の石垣が崩れたものかもしれない。発掘調査が待たれる。

nakijin-8292御内原の大隅が見下ろせる場所は展望台風に整備されており、このようなフォトスポットもあった。上の写真は柵ギリギリから撮影したもの。

nakijin-8295御内原に残る、城内もう1つの御嶽。

nakijin-8296a-8293「テンチジアマチジ(城内上之御嶽)」説明板。今帰仁城の守護神として崇められた、城内で最も神聖な場所だった。当時は男子禁制、女官が子孫繁栄等の祈願をしたという。

nakijin-8299御内原から更に奥の主郭は、少し高台になっている。なんと主郭は「版築土塁」で出来ているという。版築(はんちく)とは、土をちょっとずつ載せてバンバン叩いて固め、また土を載せて…を繰り返して分厚く硬い層にする技術で、日本本土でも古代山城(鬼ノ城など)や城柵(志波城など)、近代城郭や由緒あるお寺の土塀などでも見られる。非常に堅固だが、めちゃくちゃ手間と時間が掛かる。

nakijin-8300主郭には、かつて建物が建っていた跡が復元されている。

nakijin-8300a-8343石畳の道のような低い石垣の壁もあった。土台の上には礎石も見える。1982年から4年かけて行われた主郭の発掘調査で、13世紀末頃から17世紀初め頃まで機能していた跡が見つかったという。

nakijin-8304主郭 南側から、断崖の下に広がる最南端の曲輪「志慶真門郭」を見下ろすことが出来る簡易展望台が設置されている。主郭の回りは低いながらも石垣があるので、この上に登って見下ろしてみよう。

nakijin-8305a-8302主郭から見下ろした、南の「志慶真門郭」。今までの郭間の落差ではない、かなりの高さがある。

nakijin-8306志慶真門郭へ降りる前に、主郭を散策しよう。主郭中央には古い祠(ほこら)と石碑が建つ。

nakijin-8306a-8305石碑は1749年に建立された文化財「山北今帰仁城監守来歴碑記」だ。今帰仁の永代管理を首里王府より認められた記念に、当時の監守が建てたという。三山時代の事績から始まる来歴を後世の子孫に伝えるために彫ったという。

nakijin-8307主郭 全景。奥に先ほど見た建物の土台があり、その手前の広い場所には礎石が整然と並んでいた。

nakijin-8307a-8339主郭の端、主郭全体を見渡せる位置に、主郭の当時の様子が時代ごとに描かれた説明板が立っている。

nakijin-8307b-8340「発掘調査からみた今帰仁城主郭の変遷」説明板。少なくとも第I期からIV期にかけ、様々な建物が建て替えられていった跡が見つかっている。石垣の低い土台の上には第II期の正殿が立っていた、とある。手前の広い礎石群は、北山が滅び中山による統治時代に建てられたもの。

nakijin-8307c-8341s主郭から大庭へ直接降りるルートも当時はあったようだが、石段が崩壊しており、現在は通行止め。先ほど通ってきた、御内原を通るルートで散策しよう。

nakijin-8308では主郭南端の櫓台のような一段高い石垣の脇にある石垣の切れ目(門跡?)より、最南端の「志慶真門郭」へと降りてみよう。

>> 今帰仁城 [3/3] へ続く。<<

訪問時期:2015年2月
撮影機器:FUJIFILM X-M1 +XF10-24mmF4
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