今帰仁城 [1/3] 美しくカーブを描く城壁を越えて城内へ。

今帰仁城 (なきじんぐすく) は、旧琉球国 (現沖縄) の北部に残る石造りの城跡。14世紀頃 琉球国は北山 中山 南山の三大勢力が争った「三山鼎立時代」で、今帰仁城は北山王の居城だった。ところが1416年頃に中山王 尚巴志の攻撃により北山は滅亡、以後は中山王が派遣した監守の城となる。1609年 薩摩軍による琉球侵攻の際に炎上したと伝わる。大きくカーブを描く美しい石垣の城壁が特徴的。大きく破損していたが、徐々に発掘・整備が行われている。他の島内グスク等とセットで世界遺産に指定されている。

<基本データ>
●名称:今帰仁城 (Wikipedia)
●所在:沖縄県国頭郡今帰仁村 (地図)
●築主:北山王 / 尚巴志
●築城:14世紀? / 1422年頃
●遺構:石垣、城門、御嶽跡
●情報:今帰仁城跡 公式サイト

Link: 今帰仁城 訪問記  


<訪問記>

那覇バスターミナルから高速バスで約2時間。美ら海水族館のもう少し奥にある「今帰仁城跡」へ。非常に難読、「なきじんぐすく」と読む。三山鼎立〜琉球王府 時代の城跡は「グスク」と呼ばれ、軍事拠点だけでなく居館・政庁・宗教施設(聖地)でもあった。

nakijin-8240a-8394今帰仁グスクへの入口には派手な巨大看板が建つ。元は右の小さな碑だけだったのだろうか、今は正面に派手で巨大な看板ができている。ここを右に曲がってまっすぐ進めば今帰仁グスクの駐車場へ。

nakijin-8240b-8391今帰仁城跡のド派手巨大看板。なきじんぐすく、と読むと冒頭でババーンと書いたのだが、看板上の英語表記は Nakijin-jo となっている。どっちでもいいのだろうか。

nakijin-8241a-8383s駐車場の前の券売所へ。今帰仁村グスク交流センター。ここに100名城スタンプやパンフレットなどがあるので、忘れずに貰っていこう。入場券もここで購入、大人400円也。赤い瓦が沖縄っぽい。

nakijin-8241b-8384交流センタ近くに立っていた公園案内図。駐車場付近の地図だけで、肝心のグスクの地図が載っていない。グスクはグスク、公園は公園(駐車場一帯のみ)ということだろうか。交流センターからは道を渡って模型のある道を奥に進めば、グスク方面に行けるようだ。

nakijin-8242s道を渡って城跡模型の方へいってみよう。顔出しの奥に見える緑のデカイのが、模型。空中を這う大量の電線が気になる。

nakijin-8243城跡模型の前にあった、今帰仁城 説明板。図面が載っていたがかなりザックリなので分かりづらい。図の緑のところが城内、石垣の城壁で句切られた曲輪が縦に続いている。和式城郭風に言えば「連郭式」か。

nakijin-8245s巨大な城郭模型。赤い丸が現在地、実に特徴的な尖った星形のような形の城壁の奥が「外郭」、その奥に見える城門「平郎門」の向こう左側が「大庭」右側凹部が「カーザフ」、更に奥に「大庭」「御内原」があり、その奥が「主郭」、更に最奥部に「志慶真門郭」が続く。

nakijin-8246城跡模型を反対側から。一番奥の低いところが「志慶真門郭」。その上が最高部にあたる「主郭」。

nakijin-8247a-8411s2全体像をパンフレットより加筆引用。赤い線で記したルートが散策コースとなる。グスク交流センターより一直線で奥へ進む。ちなみに大隅は立入禁止だった。

nakijin-8248a-8377星形のような城壁をいつの間にか越えて、外郭内へ。特徴的な石垣は周囲以外は壊されてしまっていて周辺部しか残っていないようだ。右奥に見える高石垣は大隅外周部。

nakijin-8250a-8372sしばらく進むと城跡碑が見えてきた。2つの城跡碑の間が本来?の道なのだろうが、通れなくなっていた。記念撮影用スポットということ? 奥へは左側を回りこんで進む。

nakijin-8250b世界遺産登録は、単独のグスクではなく、琉球王国のグスク及び関連遺産群としてセットで登録されている。最近こういうのが多い。Nakijin-Jo Siteと言う表記は世界遺産登録された表記だろう。右下の写真入りマップがセットに含まれるグスク・遺跡群。結構ある。グスクは百名城3つに加え、勝連、座喜味の5つ。他に首里関連の御嶽など、全9箇所。

nakijin-8251もう1つ、昭和53年当時の説明パネルがあったが、朽ちてきていて読めなかった。国史跡時のもの。ちなみに世界遺産になったのは平成12年(2000年)。

nakijin-8252sでは城跡碑の奥にある「平郎門」から城内へ。カーブを描く美しい石垣が目の前に。この上に櫓や土塀などがあったのか、無かったのか、まったく想像が付かない。右奥が平郎門。

nakijin-8254大隅の外周石垣。美しい。大隅外周石垣は帰りにもう少しゆっくり見ることにして、まずは平郎門から中へ。

nakijin-8255sこちらが平郎門。手前が発掘調査中で板橋が架けられていた。橋の上から発掘の様子を覗いてみる。

nakijin-8256s平郎門前 発掘調査の様子。なんと地中から石畳が出てきている。今帰仁城 築城前の遺構である可能性もあるという。今後の調査に期待。

nakijin-8256sa-8355s現在の石畳道は昭和30年代(琉球政府時代)に復元されたもの。その下に本来の石畳が見つかった。まるで安土城大手道のようだ。今後は、この下から見つかった本当の城跡の石畳が整備されるのだろう。

nakijin-8257では平郎門へ。和式城郭風に言うと「埋門」。門の左右に鉄砲狭間というより銃眼といった方が相応しそうな穴が2つずつ開けられている。石垣に直接開けられた銃眼(鉄砲狭間)は、実は和式城郭にも見られる(例:平戸城の二重狭間)。

nakijin-8257a-8354平郎門 銃眼部分。ちなみに平郎門は昭和37年に復元されたもの。

nakijin-8258s平郎門を越えて、内側から見る。先ほどの銃眼は小さな小部屋が開けられている。また門の上部も石垣の壁があり兵士が待機できるようになっていた。

nakijin-8259a-8351平郎門 内部 銃眼のある小部屋。天上が巨石! そりゃそうか。1つ前の写真を見ると門部分も含め3つの巨石が天井部分に埋め込まれている。

nakijin-8259b-8353平郎門の上部へあがる石段。入口は封鎖されていて、あがることは出来ない。

nakijin-8261平郎門から奥へ続く石畳道、通称「七五三の階段」。左右は桜並木。この道は今帰仁城の遺構ではなく、戦後 米軍統治下で整備された道とのこと。当時の道(旧道)は別に残るという。

nakijin-8261a-8260道の左側は「大隅(うーしみ)」と呼ばれる郭。現在はまだ整備が進んでいないのか、石材などが乱雑に転がる状態で、立入禁止。

nakijin-8262a-8259大隅 説明板。城兵たちの訓練場だったと想定されているという。大量の馬の骨が見つかり、また城外へ出られる「抜け穴」もあるという。発掘調査が未実施のため、入ることが出来ないのだろう。こちらも今後に期待。

nakijin-8263a-8347s七五三の階段。この右側、桜の奥に見える石の部分が「旧道」。戦後の階段を登っても仕方ないので、旧道の方へ向かおう。

nakijin-8265石畳の道を逸れて右側へ。この奥が「旧道」。

nakijin-8265a-8262旧道の右側には、石積みの壁で囲まれた、かなり凹んだ郭がある。こちらから降りることは出来なさそうだ。パンフの地図によると「カーザフ」と呼ばれる場所だ。

nakijin-8266カーザフ 説明板。岩盤に直接石垣を積み上げた城壁だとのこと。

nakijin-8268カーザフを上から見下ろす。コチラから降りるものではなく、向こうから来た敵を入らせないための防護壁だった。足場が組まれているのは、発掘調査のためだろうか、崩壊防止のための工事だろうか。

>> 今帰仁城 [2/3] へ続く。<<

訪問時期:2015年2月
撮影機器:FUJIFILM X-M1 + XF10-24mmF4
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