芥川山城 訪問記 其ノ三(全三回)。
[概要]
東の山麓より登城開始。竪土塁、郭下石垣、大手道に築かれた魅せる石垣、城下一望の展望曲輪など、見どころをくまなく堪能。Part3では、主郭南の尾根沿いに築かれた巨大土塁・巨大堀切と、南曲輪付近に点在する石切場跡を見に行きます。
<訪問記>
主郭下よりリスタート。
主郭南の虎口前より。南へ伸びる道を進む。
ふと、先ほど城下を一望した、主郭南の展望曲輪を見る。谷筋にせり出した物見台という印象。
南へ。手作り看板には、この奥の曲輪は「田ノ丸」と呼ばれていることが分かる。また、今居る場所は非常に分かりづらいが、堀切と土塁に当たる。
斜面側を見ると確かに竪堀のような凹みが、やや、見える、ような気がする。埋もれてしまっているようだ。
またここの堀切は土塁を挟んで二本立てになっている。二重堀切。どちらも分かりづらい状態になっていたが、中央の土塁はやや盛り上がりが残っていたので、其の上から撮影。土塁の左右両隣に堀切。
また土橋の下、竪堀の真ん中辺りに少し石積み跡が残るというので、降りてみる。
確かに少しだけ石積みらしき跡が見られた。ここも腐葉土がビッシリ積もっているので、発掘調査をすれば、それなりの規模の石積み跡が出てくるのかもしれない。
奥の曲輪「田ノ丸」へ。主郭から南西方面に伸びた尾根の先にある。
この先の尾根上にもそれぞれ曲輪が段々に造られているが、曲輪ごとの段差が結構大きいことと、次の曲輪がほぼ手付かず状態(草ぼうぼう)のため、このまま尾根沿いに降りていくことは断念、別のルートから下に降りられないか探してみる。
田ノ丸の南に向かって左側に、斜面を降りる道上使った。足元の赤い杭が目印。ここから田ノ丸のサイドに出て、谷筋に沿って斜面を降りてゆく。
しばらく降りて行くと、奥に大きな土塁と堀切が見えてきた!
こちらが主郭南西方向にある、大堀切と大土塁。まずは堀切を抜けて奥へ向かってみよう。
大堀切。見事なV字の薬研堀。
堀切の反対側から、見返す。右側が土塁、左側が主郭方向、切岸とも言える急斜面。ここから攻め上がるのは厳しい。
大土塁と堀切、急切岸。
大土塁の端から。右側が土塁のある曲輪。左側が堀切。
曲輪へ入って、土塁を見る。平坦地の端っこに掻き上げられた、結構な高さの土塁が端から端まで築かれている。
土塁の反対側へ。この立体感。
土塁の上から、曲輪側を見下ろす。かなりの広さの削平地が続いている。
土塁の上から、堀切・切岸側を見下ろす。
The堀切、という角度から撮影。左側が大土塁、右側が急切岸。
では大土塁のある南西曲輪から、大手道方面へ向かおう。南西曲輪から谷筋へ出る部分には虎口が形成されていた。
虎口を越えて大手道方面へ向かう。谷筋を越えると、竹林になる。
竹林の中へ。大手道方面へは道が作られている。
竹林の中を通りながら大手道方面へ。右側にはいつの間にかケモノ避けの鉄柵があらわれた。
しばらく進むと大手道へ。ここは大手道を横断する鉄柵部分に造られた出入り口。開けたら閉めよう。
このままこの道をのぼっていくと、大手道・大手石垣へ到達する。今回は大手道へは上がらず、大手道(谷筋)の東側尾根上に造られた曲輪群と、そこに残る石切場跡を見に行ってみよう。
大手道の鉄柵を出て、大手道東側の尾根筋を見上げる。一面の竹林の奥に、かなり急な斜面が見える。あの上か。
上り道らしき場所は特に見当たらない。大手道など谷筋を上がってくる敵兵を見張り攻撃するための尾根筋の曲輪なので、下からカンタンに上がれなくて当然、か。とりあえずこのあたりから上がれそうなので、竹に手を掛けながら上へ。
大手道 東側尾根上の曲輪群へ。この曲輪群の東側に、石切場とされる場所が残る。
こちらが、恐らく、石切場跡。巨石が露出し、あちこちに切り込みが入っている。
二つに分断された石材なども転がっていた。こういう石を見かけると、空手チョップで割っているシーンの写真を撮りたくなってしまう。
そして更に北の方に行くと、もう1箇所 石切場跡がある。こちらは近代のものだろうか、えらく四角に綺麗に整形されていた。石垣というよりも雁木かあるいは墓石か。
石切場跡。乱雑に石材が散乱している。
石切場の上は竪堀のように凹みになっていて、そこを逆流して上へあがると、最初に石垣跡を見た高台の曲輪に辿り着く。
高台の曲輪の南下にある堀切。左側の急斜面の上が、高台の曲輪。
なんとか斜面をあがって、高台の曲輪の周囲にある帯曲輪へ。ここから柵を越えて土橋を通り、下山完了。おつかれさまでした。
おまけ:今回の登城時に持参していたGPSロガーによる、登城ルート。平面地図に投影。
おまけ:登城ルートをGoogleEarthの衛星写真に投影。それぞれの見どころポイントを明記してみた。
おまけ3:せっかくGoogleEarthなので、立体的に表示してみる。西側の摂津峡の谷あいがやはりスゴイ断崖絶壁だ。北西南は急斜面で登りづらいが、唯一東側がなだらかな道となっており、三好長慶もかつてここを攻め落とす際はこの東側奥のなだからな場所に陣城を作ったというのも頷ける地形だ。なお大手道は城域を中央に貫く谷筋。はっきり見える。GPSxGoogleEarth、面白い。
訪問時期:2016年1月
撮影機器:FUJIFILM X-M1 + XF14mm
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