芥川山城 [2/3] 巨大な大手石垣跡と、城下一望の主郭跡へ。

芥川山城 訪問記 其ノ二(全三回)。

[概要]
東の山麓より登城開始。段々畑のように削平地が拵えてあるエリアを抜ける。資料によると大量の兵を駐屯させる場だったようだ。東エリアの見どころ、竪土塁(たてどるい)と土橋・虎口を見る。虎口の内側にある高台の上には石垣跡も残る。Part2では城の中央に位置する主郭一帯へ。

各回リンク:


<訪問記>

akutagawa-7069s高台の曲輪を降りて、斜面に造られた細い道を通って奥へ。

akutagawa-7071高台の曲輪を抜けると、主郭群に通じる細長い曲輪へ。正面奥が主郭群。そしてここに古い史蹟碑が建つ。芥川山城ではなく「城山城跡」となっている。裏書を見ると「昭和丗二年十一月三日刻」とあった(「丗」は「三十」)。

akutagawa-7072そしてここの「城山城跡」石碑の左側に、かつての大手道(城の中央南部から上がってくるルート)への入口、というか大手道の終着点がある。大手道沿いには石垣遺構もあるので、少し降りてみよう。

akutagawa-7073大手道への降り口に建つ、手書きの説明板。「大手門石垣 四十m下ル」と書いてある。

akutagawa-7074急斜面を一気に降りる形の大手道。谷筋をそのまま利用したのだろう。

akutagawa-7076しばらく大手道を降りて行くと、やや角度がゆるやかになるエリアがある。正面の右側、竹柵の内側に石垣遺構が残る。覗いてみよう。

akutagawa-7077a-7098大手道沿いに残る、大手石垣遺構。中央部分が崩れ落ちて失われているが、右と左の石垣はかつて繋がって巨大な石垣の壁だったのだろう。防御設備というよりも三次氏の威厳を訪問客に示すための「魅せる石垣」。

akutagawa-7078崩れた部分の斜面下部を見てみると、崩れた石垣の石材らしき大小の石が乱雑に落ちている。

akutagawa-7088落ちた石材の下から、大手道と大手石垣を見上げる。

akutagawa-7099大手石垣 残存部分をアップで。下の方が腐葉土で埋まっているので、発掘調査をすればもっと巨大な石垣遺構が現れそうな雰囲気だ。

akutagawa-7101では大手道を上り、主郭方面へ向かおう。石碑のあった曲輪への最後の坂道は、これぐらいの斜面。

akutagawa-7103では石碑の曲輪を奥へ進む。

akutagawa-7109主郭のある曲輪群はこの斜面の上部にあたる。竹林の中をあがっていく。道の左側には小さな曲輪がいくつか。

akutagawa-7111一気に視界が開けてきた。

akutagawa-7112s主郭の南部にある、谷筋の頂点に築かれた物見に最適な曲輪へ。

akutagawa-7113主郭南の曲輪から、摂津(高槻)の町並みを見下ろす。まさに城下が一望だ。このあたりは以前は背の高い木々が生い茂りあまり良く見えなかったが、この場所ともう1段下の場所にあった大木が軒並み伐採されており、当時のように城下町を一望出来る(そして城下町からもよく見える)場所として蘇った。訪問時も地主と思われる方が懸命に整備作業をされていた。おつかれさまです。

akutagawa-7114a-7125主郭南の展望曲輪より、城下町を一望。

akutagawa-7120主郭南の展望曲輪より、主郭方面を見上げる。主郭はこの二段上(ここからは見えない)。

akutagawa-7127主郭方面へは、この斜面より上がる。

akutagawa-7133三好山へ6分、と書いてあるが、ここがそもそも芥川山城跡のある三好山、山頂を指しているのだろうか。それでも主郭は目と鼻の先、まっすぐ進めば 1分もかからない。土塁に切り込みを入れた虎口より主郭方面へ。

akutagawa-7135虎口あたりから、先ほどの主郭南 展望曲輪と、城下町方面を見下ろす。斜面の樹木も全て伐採してあるので、谷筋に飛び出るように築かれている曲輪の形がよく分かる。

akutagawa-7144s虎口を越えて、主郭方面へ。正面の高台の上が主郭。その一段下も削平地になっている。主郭へは右奥の方から上へあがる。

akutagawa-7145更に上段から、主郭南 展望曲輪と城下町方面を見下ろす。伐採した大木の丸太をベンチに見立てて曲輪に並べてある。

akutagawa-7149では主郭へ上がろう。向かって右側のスロープのような入口から、奥へ。

akutagawa-7154s主郭 到着。南北に細長い曲輪になっていて、南側は展望台(見張り場)、北側は三好長慶社と呼ばれる小さな祠と、御殿跡とされる広い削平地が広がる。

akutagawa-7159主郭に最近設置されたと思われる、フルカラーの説明板。

akutagawa-7160「芥川山城 推定復元図」中井均先生監修で、雑誌「歴史群像」に掲載された図からの転載のようだ。今は左上の最頂部「主郭御殿」と書いてあるあたりで、図の右側(東側)の「竪土塁」や中央部の「大手石垣」などは見てきたとおり。主郭の西側(左下)は摂津峡と呼ばれる断崖絶壁で、天然の要害。主郭奥にも細長い曲輪が続き、竪堀・土橋や、突端には堀切なども描かれている。後ほど見に行ってみよう。

akutagawa-7162主郭 中央部あたりに祀られている ほこら。古絵図には「三好長慶社」と書かれている。

akutagawa-7163a-7156ほこらのやや奥、主郭御殿跡の手前あたりにひっそりと「城山城阯」と書かれた古い石碑が建っている。大手道前と同じく、これも「城山」名義。こちらはより古く、昭和三年の建立。

akutagawa-7164主郭北部、主郭御殿跡。発掘調査で礎石等が発見され(埋め戻し)、御殿的な立派な施設が建設されていたことが分かったという。また古文書に残る火災の痕跡も見つかり、三好氏の後に和田惟政や高山右近らが入城したと記録に残る「芥川城」とは、ここ芥川山城のことであることが確実となった、と言う(参考:高槻市HP)。

akutagawa-7166では主郭奥に描かれていた細長い曲輪の方を散策してみよう。向かって左奥に、奥へ進む細い道がある。

akutagawa-7171こちらが主郭と奥の細い曲輪とを分断する、堀切と土橋。

akutagawa-7173堀切。腐葉土でかなり浅くなってしまっている。冬場でこれなので、夏場はヤブヤブで殆ど分からないかもしれない。

akutagawa-7174s土橋を越えて、細長い曲輪へ。竹笹が一面に生えているが、奥へ進む一人分ぐらいの道幅だけ、刈ってある。ありがたや。

akutagawa-7175s竹笹の刈ってある部分を通って奥へ。

akutagawa-7176主郭北に伸びる尾根上の細長い曲輪の一番突端へ。削平地はここまでで、ここから先は摂津峡の谷へと続く急斜面。更に斜面途中に堀切が築かれているようだ。少し降りてみる。

akutagawa-7181主郭北 尾根上に築かれた堀切跡。殆ど埋まってしまっているが、摂津峡側から一気に主郭裏へ上がってこようとする敵を足止めするための防衛ライン。

akutagawa-7183では一旦 主郭 御殿跡へ戻る。主郭の東側にも幾つか帯曲輪的なエリアがあるようなので、少し覗いてみよう。南を向いて、左側。

akutagawa-7186主郭上から、東側の帯曲輪を見下ろす。杉の木が植林されているが、なかなかの広さがある曲輪だ。降りてみる。

akutagawa-7191主郭東下の帯曲輪。右奥の高台は主郭。

akutagawa-7192帯曲輪を南へ下って、先ほどの虎口まで戻る。途中、井戸跡のような丸い凹みがあった(写真手前、見辛い)。縄張図にも丸いマークで描かれているが、何かは不明。溜池的な場所だろうか。

akutagawa-7194主郭に沿って南下し、先ほど登ってきた虎口前まで戻る。正面の見晴らしが良い場所が、虎口上にあたる。

Part3では、主郭南西部にある大土塁などを散策します。

>> 芥川山城 [3/3] へ続く。<<

訪問時期:2016年1月
撮影機器:FUJIFILM X-M1 + XF14mm
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