芥川山城 [1/3] 畿内の覇者 三好長慶の本城だった巨大山城。

芥川山城 [あくたがわさんじょう] は、戦国時代の畿内覇者だった三好長慶の本城で有名で、晩年に河内国 飯盛山城へ移るまでの7年間、ここが三好長慶の本城となった。大手門前や郭の山麓面など、視覚効果の高い場所に石垣が巧みに配置されていることが特徴。空堀や土橋、竪土塁など技巧的な防衛設備も多く築かれている。遺構も良好に残っており、見応えのある中世山城跡と言える。

<基本データ>
●名称:芥川山城 (Wikipedia)
●所在:大阪府高槻市 (地図)
●築主:能勢氏、細川氏、三好長慶
●築城:永正十三年(1516)?
●遺構:石垣、郭、堀切、土塁、土橋 等
●情報:続日本100名城 No.159 (一覧)

各回リンク:


<訪問記>

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芥川山城に登る前に予習を。説明板は、なぜか、山麓から離れたバス停の脇に立っている。ということで「塚脇」と言うバス停へ寄りましょう。

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塚脇バス停横の芥川山城 説明板。ベンチの上にも「歴史を語る芥川山城」と大きく宣伝中。城の説明板は一番右の白黒の屋根付きのもの。

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塚脇バス停にある「三好長慶ゆかりの芥川山城」説明板。右下に掲載されている詳細縄張図がとても現場で役に立つので、もし持参していない場合はこれをスマホ等で撮ってから上がろう。

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バス停近くの駐車場から見上げる芥川山城。山頂付近は伐採などの整備が進んでおり、山麓からでもよくその様子が見える。左側の凹み部分は摂津峡。

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では登城開始。城の南東部の登城口より。分かりやすい看板が立っている。

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超手作り感満載の案内標柱?。「上り キツイ」とあるが、かなり迂回して登ることになるので、こちらからのルートでは (山城に普段登り慣れている人にとってみれば) 登りやすいコース。数値的には比高130m。城の南側 大手道からのルートは一気に大手石垣まで登るのでこちらより急坂となる。

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「三好山へ40分」の説明板。「三好長慶 1553年 入城」の表記が嬉しい。ちなみに40分とは山頂(主郭)までの時間を指していると思われる。駐屯地跡とされる山腹の削平地エリアまではもっと早く辿り着く。

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では登城開始。山の斜面に沿って造られた山道を延々と進む。右側は石垣になっているが、後年に補強等のために造られたものだろう。

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右側の石垣が段々大きくなってきた。こちらも後年(明治など)に当地を畑化した際に築いたものとされている。

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竹林になってきた。このあたりは城の東側、階段状に削平地が並ぶエリアで、資料によると巨大な兵の駐屯地であった可能性があるという  (後年に畑に再利用され改変が行われている可能性も高い)。整備はあまりされておらず、そのまま竹林という様相。ちなみにこの赤い看板のところを右に曲がってまっすぐ進むと、かつて三好長慶がこの城を攻め落とした際に造った東の付城跡である「帯仕山」へ辿り着く。

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竹林の中を道に沿ってどんどん奥へ。郭群へ入らなければ、特に迷うことはない、一本道。

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郭群を右手に見ながら奥へ。

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このあたりで最も大きい郭の前へ。黄色い看板のところから中に入ってみよう。

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「曲輪群・池」と書かれた説明板。池は見つけられなかった。まっすぐ奥ではなく、この説明板を越えてすぐ左の一段高い曲輪へ入る。奥に行くと池があるのかもしれない。

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曲輪内の様子。中央に大きな墓碑が立っている。外周は土塁で覆われている。

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曲輪の周囲を取り巻く土塁。こちらは先程通ってきた道沿いに築かれた土塁。

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そして、曲輪から道へ降りる部分はこのように土塁が切られ虎口のように形成されていた。ここから再び道へ戻る。

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虎口跡から道へ戻ると、目の前の斜面に垂直に築かれた土塁が見られた。登り石垣の土塁版とも言えるこの防衛施設は、敵兵が斜面を水平移動することを防ぐもので、資料では「竪土塁(たてどるい)」と書かれていた。見どころ。しかし」残念ながらちょうど竪土塁の中央に動物よけの柵が設置されていて、ここからまっすぐ竪土塁の下まで降りることは出来ない。

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では竪土塁を越えて奥へ進もう。道の右側が先ほど入った曲輪、左側が竪土塁のあった斜面だ。

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曲輪の奥には堀切が設けられていて、その中をしっかりとした土橋が通っていた。更に土橋の向こうは土を掘って造った「切り通し」のような虎口が見える。

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土橋の上から切り通し虎口を見る。石がゴロゴロしている。

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切り通し虎口を、城の内側から。かなり細く、また曲がりくねっている。

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土橋・虎口を越えて奥へ。左側に大きな斜面が見えてきた。この上は物見台とも言うべき高台の曲輪にあたる。のぼってみよう。

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柵に沿ってギリギリの位置に設けられている山道を通って上へ。

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ぐるっと回り込むように斜面を上がっていくと、柵の内側へ入る事ができる入口が見えてくる。あけたら、しめよう。

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柵の中へ。内部は、頂部と、其の周囲に帯曲輪のように築かれた細長い曲輪とに分かれている。しばらく進むと斜面の上へ登るための道があるので、上へ。

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曲輪の上へ。きれいに削平された場所だ。木が多く生えていて眺望は無いが、木を斬れば山麓は一望だろう。

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曲輪の南側には土塁で囲まれた一角がある。

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その土塁の一角に切れ目があり、近くの木にはピンクのテープが巻きつけてある。ここから曲輪の下へ降りる。

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降りて行くと、山頂部の周囲にかつて築かれていたと思われる石垣の断片が見えてきた!

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郭下石垣跡。これだけしか残っていないが、当時はぐるっと郭の周囲を取り囲むように積まれていたのだろうか。安土城が築かれる遥か前に、摂津の覇者 三好長慶がこの石垣を築いていたと思うとロマンを感じる (三好長慶時代の石垣かどうかは未確定)。

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郭下の石垣アップ。すばらしい。ここの曲輪の周囲に残る石垣はここだけなので、このまま帯曲輪に沿って戻り、元の道へ。

>> 芥川山城 [2/3] へ続く。<<

訪問時期:2016年1月
撮影機器:FUJIFILM X-M1 + XF14mm
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