高取城 [6/6] 折れ曲がり過ぎる虎口を越えていざ本丸へ。

高取城 訪問記 − 其ノ六(全六回)。

[概要]
巽高取雪かと見れば雪では御座らぬ土佐の城。城下町より巽の方角(南東)の高取山山頂に聳える高取城址へ。今は山上には城門含め一切建物が残って居ない。大手門から二ノ門まで続く城門群、明日香方面を抑える岡口門、芋峠方面を抑える弥勒堀切、そしてかつて藩主屋敷があった二ノ丸から本丸周囲の帯曲輪を散策。Part6ではいよいよ本丸、天守台へ。

Links: 高取城 訪問記(全六回)


<訪問記>

本丸周囲の帯曲輪を、本丸外周石垣に沿って散策中。

takatori2-5777本丸外周石垣、北東部の角。東面の長大な石垣が姿を現す!(写真左奥に伸びている石垣が本丸東面)。

takatori2-5781本丸帯曲輪 北東端の櫓跡。「大和国高市郡高取城之図」によると、ここには二層の「辰巳櫓」が描かれている。櫓のあった場所らしきところに大きな穴(とそれが埋もれた跡)が見られる、かつては地下蔵を備えた何かを保管する櫓だったのだろうか。

takatori2-5785では本丸南側の長大な石垣に沿って西へ。この石垣の上には「南多門」櫓が続いていた。絵図によると帯曲輪の外側(斜面側、写真で言うと左側)にも多聞櫓か土塀かが描かれている。ここは細い通路だったのだろう。

takatori2-5787本丸南多門石垣。殆ど何も整備や保護がなされている様子はないが、このとおり、築城より400年、廃城より150年が経過しても、そびえたっている。ゴツゴツとした力強い打込ハギの石垣。

takatori2-5789西の方から東方面を見た、本丸南面石垣。1−2mは枯葉で埋もれていることだろう、地面が斜めになっている。

takatori2-5792本丸南西端の櫓台跡。こちらの上にはかつて三層の小天守があがっており、南東端や北東端の通常の櫓台に比べてもかなり巨大だ。隅部はしっかりとした算木積みで、反りの無い直線的な積み上げをしている。

takatori2-5796本丸 南西端 小天守台跡。左奥に見える石垣が飛び出た部分は、北西端の大天守台。ちなみに小天守の真下、帯曲輪上には単層の小さな「未申櫓(ひつじさるやぐら)」が建っていた。

takatori2-5797小天守櫓台 石垣を真下から見上げる。すごい迫力だ。

takatori2-5799本丸帯曲輪 南西端 未申櫓跡あたりから、二ノ丸方面を見下ろす。冬なので木が枯れていて、枝の隙間から二ノ丸上段部が透けてよく見える。石垣の壁に囲まれ守られた堅固な郭だったことがよく分かる。夏場は緑でほとんどこの角度からの二ノ丸は見えないだろう。

takatori2-5801ぐるっと帯曲輪を一周してきて、ふたたび本丸北西端 大天守台の下へ。本丸石垣より更に一段高く積み上げられているので、下から見上げるとこの迫力。

takatori2-5802a-5736大天守台前、二ノ丸とをつなぐ「上ノ門」跡あたりから、二ノ丸上段を見下ろす。城下方面である右側に集中的に石垣の壁が作られている。当時は、正面奥の石垣の両端にそれぞれ二重櫓が、その他は単層だが横に長い多聞櫓が、建ち並んでいた。もちろん今居る場所にも多聞櫓が並んでいて、このような景色すら見えなかったかもしれない(窓や鉄砲狭間があったとしても格子や大きさ的にそもそも顔を出せないだろうから、これだけ広角に見渡すことは難しいだろう)。

takatori2-5803では、満を持して、本丸へ向かおう。本丸への入口は北部の虎口からになる。緩やかな坂道。本丸までは結構な高低差があるので、当時は部分的にでも石段があったかもしれない。かなり堅固な造りの高取城本丸虎口、何度も曲がらせられる。最初は右へ左へ細かく曲がりながら回り込むように奥へ。入ってすぐあたりに小さな城門があった。

takatori2-5805奥の石垣に沿って右に曲がると、すぐに道はまた右へ曲がる。左側は今はそのまま帯曲輪へ飛び降りられる程度の段差になっているが、当時は土壁があって、壁と石垣の間の細い通路を通っている印象となる。突き当りを右へ。

takatori2-5806右に曲がると今度は左に曲っている。当時はここに城門があった。枯れ葉と土が積もっているが、当時の城門の跡がかろうじて顔を出しているので見ていこう。

takatori2-5809かつての城門の扉を中央で固定したのだろうか、あるいは太い柱がど真ん中に据えられていたのだろうか、大きな四角い穴が開けられた大きな石が埋め込まれている。

takatori2-5811突き当りを左へ曲がると、右側に木が生えていて分かりづらいが、左右両方に道が曲がっているように見えた。

takatori2-5813突き当りを右へ向くと、残念ながら行き止まり。のように見えるが、実は右側に細い階段があって本丸大天守前へ直接たどり着けるルートになっている。詳細は不明だが、恐らく当時はここは厳重に閉められカンタンには通れない道だったと想像する。ちなみに当時の図面にもこの右側の凹みはちゃんと描かれていたが、右奥の階段は描かれていなかった。また突き当り奥の石垣には排水口のような一つ石が抜けた穴も見られる。ちなみにこのあたりの石垣の上には土塀が巡らされ、背伸びしても向こうの様子は見えない。

takatori2-5811a-5814右側の罠の穴を少し離れて見てみる。右奥にもまだ進めそうな感じが見えるが、本丸へ上がる階段は奥へ進んでみないと見えない。そして更に奥に見える更に一段高い石垣は、大天守台。当然当時は石垣の上に土塀があって、ここから大天守の石垣は見えない(天守そのものは見えただろう)。

takatori2-5812正解の左の道を見る。そのまま本丸の広場へ道が続いている。4回曲がって直線の奥がやっと本丸、まさに「食い違いまくり虎口」だ。枡形虎口ほど一網打尽の「死の間」ではないが、細い道がクネクネ曲がっていて、左右の土塀に開けられた鉄砲狭間から攻撃されまくり、かなり堅固な造りだったようだ。ちなみに近代城郭である高取城は実戦を経験すること無く廃城となっている。ちなみに高取藩としては幕末期 (文久三年・1863)、大和の尊攘派が倒幕のため挙兵した「天誅組」との戦いを経験している。天誅組への協力を拒否した高取藩に対し、天誅組は高取城の攻撃を計画。小藩で寡兵ながら地の利がある高取藩兵は、天誅組兵が細い山道を通る際に大砲等で一斉攻撃を敢行、城に辿り着く前に敵兵の撃退に成功した。天誅組はその後 幕府軍に追討され壊滅。しかし天誅組は倒幕運動の魁(さきがけ)と言われ、実際その五年後に倒幕が成った。

takatori2-5817虎口を通じて本丸へ入ってきた所あたりから、虎口方面を見渡す。左側(本丸側)の石垣が一度折れ曲がっている箇所あたりに、かつて最後の城門があり、その右側にも単層の櫓(番所?)があったようだ。

takatori2-5818本丸全景。背の高い杉の木が多く生えているので見えづらいが、右奥に大天守台があり、周囲は1mほど高く積み上げられ、内側にも石垣が積み上げられている。

takatori2-5820では本丸周囲の石垣の上を歩いてみよう。3mほどの幅で土塁が築かれ、その上にはかつて多聞櫓が設置されていた。ここは南側、南多門跡。先ほど通った南側の帯曲輪跡および本丸南面高石垣を見下ろす。結構高い。

takatori2-5822南多門跡より本丸を見る。古い城跡などによくある、どの方向に何があるかをざっくり示した方向板が設置されている。

takatori2-5823南多門跡を歩いて西側へ。高石垣側の石はいくつか下に落ちているようで、欠けている部分もあった。

takatori2-5824本丸南西端、小天守跡の手前あたりから、本丸南面石垣を見る。

takatori2-5826本丸内へ。南多門跡前 中央付近に建てられている説明板を見てみよう。

takatori2-5827a-5829高取城本丸に建てられている説明板。江戸時代の遺構かと思うぐらい、特に屋根部分が苔むして良い感じになっている。

takatori2-5828「本丸」説明板。本丸の各隅部に築かれた重層櫓群(大天守・小天守・鉛櫓・煙硝櫓)を多門櫓で連結させた「連立式天守」が特徴だ。姫路城和歌山城、伊予松山城などと同じ形式である。古墳からと思われる転用石の存在、山城では唯一の発見であるという胴木(石垣の下に固定のために敷く長い木材)が見つかっているなど興味深い内容が書かれている。それにしても手書きの一発勝負だから仕方ないのかもしれないが、書き間違いとその修正後が痛々しい。

takatori2-5830説明板の向かって左側には、南多門櫓へあがるための石段があったが、崩壊していた。

takatori2-5833では天守台へ向かってみよう。天守台の入口前には巨大な穴が開いている。「楠井戸」と呼ばれる、東西5m、南北3mの巨大井戸で、井戸といっても湧き水ではなく、雨水などを溜める目的の穴だったとされている。落ちないように奥の石垣へ。

takatori2-5835高取城 天守台へ。南側に大きな入り口があり、ここから入れそうではあるが・・・

takatori2-5836奥の穴蔵は上り口が無く、行き止まりとなっている。恐らく当時は木のハシゴなどが掛けられ、上層にあがる仕組みになっていたのだろう。現在もここから上に上がるのはちと厳しいので、回り込むことにする。

takatori2-5837天守台の向かって右側、東側にはかつて二重の櫓が建っており、その土台のあたりから天守台へあがる道ができている。ちなみに土が積もって上がれるような坂道ができているだけで、当時もここから上がれたわけでは、ないだろう。

takatori2-5827このあたりから先ほど本丸ヘ上がってきた虎口を見下ろすと、その迷路っぷりがよく分かる。最後の左右の分かれ道、右(手前)へ曲がると小さな階段から二重櫓の手前へ上がってこれる道が見えるが、当時は厳重に封鎖され入れないようになっていたことだろう。

takatori2-5840虎口を更に別角度から。こちらは、大天守横の二重櫓跡より。まさに大迷路。

takatori2-5842では大天守台上へ上がってみよう。こちらが大天守跡。

takatori2-5846先ほど見た、天守の地下石蔵跡。少し石垣が崩れた場所があり(ちょうど目の前)ここにかつてハシゴがあったのか、あるいはただ崩れただけか、分からない。穴蔵というには少し狭すぎる気もするので、やはりここが天守正面入口だったのだろう。

takatori2-5865a-5843大天守跡。中央には高取山の最高部として三角点が埋められている。

takatori2-5847大天守台の上から二ノ丸方面を見下ろす。かなりの高さだ!

takatori2-5850大天守台の上から、真下の上ノ門・下ノ門跡を見下ろす。落下防止の柵など一切なく、危ないので気をつけて覗き込もう。巨木の下の石碑は「高取城址」碑、右端に見える碑は「巽高取〜」の歌碑。

takatori2-gps1-earth

おまけ:今回の高取城跡 散策を、GPSロギングデータを元に可視化。Google Earthを用いた立体図。頂点である本丸・天守台を中心に、尾根に沿って前後左右に伸びる城内路の様子が分かる。上が北、左上が城下町。

takatori2-gps2-basecamp_s

おまけ2:同じGPSデータを元に二次元マップを作成。左上が北。明日香方面へと抜ける岡口門までは結構な距離があることが分かる。

巨大な山上要塞跡・高取城跡。今回約5時間の散策だったが、城下町のある山麓からの登城路(猿石から下)は通っていないし、壺阪口門跡付近など散策できていない郭跡も残る。自治体による整備があまり実施されていない印象で、各地で石垣などの崩壊や埋没が多く見られるのが残念。ただそれでもこれだけの規模の遺跡、お城ファンなら是非何度も訪れたい場所であることには間違いなし。今後の熱意ある整備の実施に期待したい。

訪問時期:2015年12月
撮影機器:FUJIFILM X-M1 + XF14mm
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