高取城 [5/6] 三重の大天守を支えた巨大な天守台石垣へ。

高取城 訪問記 − 其ノ五(全六回)。

[概要]
猿石奥の岡口門から、二ノ門・松ノ門等を越えて、吉野口門の竪石垣、そして芋峠方面に残る弥勒石垣を見る。三ノ丸から大手門(御城門)・十三間多聞櫓を越えて、二ノ丸へやってきた。Part5では、二ノ丸内を散策し、本丸周囲の帯曲輪に残る虎口跡や本丸外周石垣を見ます。

Links: 高取城 訪問記(全六回)


<訪問記>

十三間多聞櫓から二ノ丸へ入ってきたところより、スタート。

takatori2-5696二ノ丸へ入ってきたところの虎口部。右側の低い石垣の上が二ノ丸にあたり、虎口部分はやや低いようだ。この上は二ノ丸御殿(城主の住まい)があったので、ここが本当の最終防衛ラインだろう。

takatori2-5700十三間多聞櫓があった場所から、先ほどの二ノ丸の入口を見下ろしてみる。こちらの石垣の真下は死角になるが、当然 反対側の石垣の上から狙い撃ち。

takatori2-5702では少しだけ二ノ丸跡を見てみよう。ちょうど正面の隅に櫓台が残っているので見に行ってみよう。

takatori2-5706二ノ丸の外周に沿って奥へ。土塀が周囲を囲っていたのだろう、土塀が建っていたと思われる部分は石が置かれていた。枯れ草を掃除すればよく見えるだろう。

takatori2-5709二ノ丸の南西端にあたる場所は「客人櫓」という一風変わった二層の櫓が建っていた。上から見ると、この足の長い石垣が見下ろせる。次回はぜひ下から見上げてみたい。

takatori2-5711二ノ丸南西端、客人櫓の上。ここも枯れ草がすごいが、下には櫓の基礎となった石垣の土台が埋まっているのだろう。頭だけ、少し見えている。

takatori2-5712a-5707二ノ丸をウロウロしていると、綺麗な状態の丸瓦を発見。

takatori2-5713二ノ丸の中央を上段と下段に隔てる石垣。この石垣だけ苔などが無く美しく見えるのは、積み直しをしたから(昭和49年実施)。太鼓櫓・新櫓台。

takatori2-5714a-5295石垣の前 (下段側) に建てられていた「高取城 沿革」説明板。木の板に筆で書いたような説明板で字自体は読みやすいのだが、残念ながら消えかかっていたり禿げてしまっている箇所も多く、読みづらい。歴史と構造が詳細に書かれているだけに、修復が望まれる。ちなみに1つ上の写真でこの沿革説明板の左側に写っているカラーの説明板は、高取城のものではなく、日本三大山城の説明板。日本三大山城は「美濃岩村城 (岐阜県)」と「備中松山城 (岡山県)」そしてここ「大和高取城 (奈良県)」。

takatori2-5715二ノ丸下段から、先ほど上がってきた十三間多聞櫓の虎口を見下ろす。二ノ丸に入ってすぐ、周囲の土塁があったようで、細い動線を周囲の土塁もうまく使って構築していたようだ。

takatori2-5716石垣の横の虎口から。右の石垣が、先ほど見た積み直した真新しい石垣。側面は苔が生えてて、こちら側は積み直しの必要が無かったのだろう。

takatori2-5717二ノ丸の上段と下段を分ける虎口。門の手前にはちょっとした石垣の土台的な場所が築かれていた。番所的な場所だろうか。

takatori2-5718二ノ丸の下段から上段へと繋がる虎口。十五間多門櫓。左右の石垣を渡す形で十五間(約27m)の多聞櫓があった。

takatori2-5721二ノ丸上段へ。地面の土がやたらボコボコなのは、イノシシか何かが夜に掘り起こしているからだろうか。そして虎口を入って左側には、本丸・天守台の高石垣がそびえる!(右側の積み直し石垣は登城時に見たのでカット)

takatori2-5726では、二ノ丸上段から、天守台下まで行こう。目の前の低い石垣の右側が当時の登城路、今は左前の石垣しかないが、当時は道の右側から手前側にかけて、逆L字型の石垣があり、鍵型に折れ曲がった入口になっていた。地面を見るとその痕跡だけが残る。更に石垣の手前と奥に、それぞれ「下の門」「上の門」という2つの城門が建てられていたという。といってもイメージが湧きにくいので、想像図を下に。

takatori2-5726-gate二ノ丸から本丸へと続く、下ノ門と上ノ門、そしてその右側に有った石垣の想像図。今は二ノ丸から天守台下までまっすぐ進むが、当時は何度も曲がらないといけない構造になっていた。

takatori2-5730では下ノ門跡を通って、まずは天守台の下へ行こう。すごい高さで大迫力の天守台。しかも当時は、あの上に更に三重の大天守が建っていた。右側にある巨木はかなりの太さ、お城が有った頃にもすでにあったのだろうか。参考まで、ヒノキの場合、約150年で幹周りが40cmになるそうだ。目の前の巨木はパッと見で2m以上はありそう。

takatori2-5731天守台の真下へ。20段から25段ほどの高石垣が積み上げられている。すごい迫力だ!右下には高取城址の石碑。

takatori2-5734高取城址の石碑。矢穴が付いた石が使われている。元 城内のどこかの石垣に使われいた石材を使ったのだろうか。ちなみに奥の低い方の石垣が本丸、一番右奥の端にも三重の小天守が建っており、大天守との間は多聞櫓で繋がれていた。

takatori2-5735a-5802大天守台の前から二ノ丸上段を見下ろす。通路の左側にあったL字の石垣の土台と思われる石列が見える。

takatori2-5738では、大天守台を見上げよう。ちょうど、上ノ門があった場所あたりから、大天守台の全景がよく見える。しかし城址碑を入れると、その手前に建てられた「文化財を大切にしましょう」の鉄のポールがどうしても入ってしまう。なぜここに建てたのだ・・・

takatori2-5744文化財を…のポールを入れないようにすると、城址碑も写らなくなる。天守台と本丸石垣 全景。

takatori2-5747本丸入口の虎口。ここに入る前に、まず本丸周囲の帯曲輪を一周してみよう。本丸の高石垣も見たい。

takatori2-5748帯曲輪とはいえ、周囲は石垣で固められ、それぞれの隅部には櫓が建ち、虎口なども設けられていたようだ。図面によると本丸の北側にも小さな虎口があり、そこから一段下の郭に降りられたようだ。見に行ってみよう。

takatori2-5749本丸帯曲輪、北側の小さな虎口跡へ。

takatori2-5751本丸帯曲輪北側の虎口跡、U字型に折り曲げられている。中にはかなりの枯れ葉がつもっているようだ。恐らく枯葉の下には石段が眠っているのだろう。

takatori2-5754虎口の中を通って、下へ。資料によると、虎口の左上には二重の櫓が建っていた模様。

takatori2-5759本丸帯曲輪北側の虎口跡。かなり狭く、裏口的な印象。

takatori2-5760a-5767虎口跡を右下から。

takatori2-5764虎口跡を左下から。ちなみに虎口の下側は山の斜面がそのままで、建物等があったような印象はない。資料を見ても森のような描かれ方がされていた。斜面を(無理やり)まっすぐ進むと、大手門の上の郭へ出る。

takatori2-5768では帯曲輪へ戻って、本丸の周囲を時計回りに一周してみよう。まずは北側から。右側の大きな石垣が天守台、左側の低い石垣の向こう側が本丸虎口になる。

takatori2-5770時計回りに進んでいく。虎口がぱっくり開いているのが見えるが、当時は石垣の上に土塀が建てられていただろうから、ここからでは虎口の様子は今のようには見えなかったことだろう。

takatori2-5772本丸北東側にあった「鉛櫓」の石垣下へ。下には犬走りのような低い石垣が築かれているが詳細不明。

takatori2-5773本丸北東端、鉛櫓の下。犬走り的な低い石垣が隅部にだけ築かれていた。崩れそうになったので上からかぶせて補強したのかもしれない(鳥取城の天球丸のように)。

takatori2-5774鉛櫓の正面、帯曲輪の外周には平屋の櫓があった。その土台が残る。そしてその右奥には帯曲輪を仕切る城門もあった。分厚い枯葉層の下に礎石が残っているのかもしれない。

Part6では帯曲輪からいよいよ本丸、天守台へ登ります。

>> 高取城 [6/6] へ続く。<<

訪問時期:2015年12月
撮影機器:FUJIFILM X-M1 + XF14mm
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高取城 [5/6] 三重の大天守を支えた巨大な天守台石垣へ。” への1件のフィードバック

  1. 暑中お見舞い申し上げます。いつもお城愛にあふれるサイト公開をありがとうございます。行くたびに投稿と思いながらも、お目を煩わしてもうなぁと遠慮しております。

    ただ今回は、ぜひとも投稿せねばと!!それは本レポートが1年前ですので、まだ雑草もまだひどくなく、土砂崩れ的でもなかったのですが、この2017年8月6日午前での登城はひどい有様であったこと伝えたく思いました。・・・日本三大山城=とても備中松山城や岩村城の整備に比べたら、予算的にも物理的にも険しいという点はわかるにしても、無責任極まりけりというほどの残状でしたね。高取市はまじめに保存したいのかどうか?疑いの目で下城した次第。看板の劣化、陳腐な武者人形、登城ルートの説明不足や看板のいい加減さと枚挙のいとまがない程でしたね。豪雨で登城道が崩れても修復する意思がうかがえず・・・百名城の資格とはなに??と疑問符が付きました。

    奈良産業大学の学生さんの多大な労作で復元したCGでの取り組みに対して恥かしいのでは??・・・残念至極な訪問でした。運営者さんには画像付きで報告したかったのですが、悲惨な登城口やら見事な石垣で構成された縄張りの本丸遺構に圧倒されつつも、真夏の途上で体力を使い果たしまして画像なしですが・・・。
    前日に千早赤阪城はじめ楠木正成七城を歩いたせいですが・・・真夏に訪問する方がバカですが、地元の自治体は冠にふさわしい管理だけはしていただきたいものです。残念至極な高取城でした。合掌

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