高取城 [4/6] 尾根を分断し石垣で固められた弥勒堀切へ。

高取城 訪問記 − 其ノ四(全六回)。

[概要]
七つ井戸から登城。まずは大手筋の城門群を見学、猿石から明日香方面へ向かって岡口門跡へ。更に大手門から吉野口門跡へ。武家屋敷前の高石垣と登り石垣は必見。Part4では吉野口門から更に奥に残る「弥勒堀切 (みろくほりきり)」を目指します。今回もややマニアックコースです。

Links: 高取城 訪問記(全六回)


<訪問記>

吉野口門跡を越えて、更に奥地を探索。

takatori2-5575
正面に土塁が登場。まっすぐ(土塁の上)と、土塁に沿って左回りで奥に行くルート、そして右側に抜けるルートがある。よく見ると、土塁の左前に、小さな看板が置いてある。

takatori2-5576土塁左側の看板を見る。非常に分かりづらいが、まっすぐと右が「✕」になっていて、左が「芋崎」となっている。ということで、奥に行くにはこの落ちそうなぐらい細い左側の斜面の道を進み、土塁の向こう側に抜ける必要がある。

takatori2-5578奥へ進むと、尾根を分断した堀切と、片方だけ石垣で固めた場所へ。尾根道なので、本来は先程通ってきた左側の道はなく、尾根を真っすぐ進み、ここに恐らく架けられていたであろう木橋か何かを渡って進んだのだろうか。現在は木橋等はなくなっているので、まっすぐ進むのでなく、左へと進んだ。(先ほどの3つの道のうちまっすぐ進むと堀切の上に出る)

takatori2-5581堀切を反対側から。名も無き堀切(手持ちの縄張図には名称記載無し)。片方だけにしか石垣がないと書いたが、よく見ると石垣が崩れ去った(あるいは埋もれた)跡のような感じもする。

takatori2-5585更に奥へ。片方だけに土塁が築かれた長細い曲輪というか尾根上の削平地へ。資料によると「赤土郭」と言う場所のようだ。

takatori2-5587やがて曲輪は広くなり、土塁は高く、非常に広い場所となった。赤土郭は、かつて武器庫があった場所とか。

takatori2-5590武器庫の広い曲輪が終わると、尾根上というよりは尾根の少し脇に造られた道をまた進む。途中、右側に曲輪が出現。脇に更に奥へ降りる道があったので少し寄り道して降りてみる。

takatori2-5592堀切と土橋的な場所へ。この先は自然地形っぽかったので、散策はここまで。土橋の上には、倒れて間もない生木の倒木もあった。

takatori2-5599しばらく進むと、左側の斜面がフル石垣になってきた。いよいよ弥勒堀切へ。

takatori2-5600尾根筋を大きく分断し、その両側に堅固な石垣を積み上げた、弥勒堀切(みろくほりきり)。芋峠方面からの最終防衛ラインということもあり、廃城より150年が過ぎた今でも、これだけの石垣が残っている。

takatori2-5605では弥勒堀切の石垣をしっかり見てみよう。こちらは御城側の石垣。

takatori2-5608こちらは芋峠側の石垣。土の上に露出している部分だけでも10段以上ある。下の土を掘ったらもっと出てくるだろう。石垣の中から巨木が生えているが、崩れることも歪むこともなく、そびえたっている。

takatori2-5609堀切部。かなり土に埋まっているものと思われるが、この深さ。掘りたい!

takatori2-5610弥勒堀切 全景。往時はこの石垣の上を、木橋などが架かっていた。

takatori2-5614では尾根部にあがってみよう。少し回り込めば、登れる場所がある。芋峠側の石垣の上より、城内側を見る。橋を落とされるととても渡れない。

takatori2-5620石垣の横から、堀切の下へ降りる。叩き割ったようなゴツゴツした大小の石が、美しく積み上げられている。野面積み。

takatori2-5622堀切の下へ。芋峠側の石垣。奥歯みたいな形だ。

takatori2-5626反対の石垣側から、芋峠側の石垣を見る。うーん、この迫力。

takatori2-5639隅部より。細い尾根道に突如出現する石垣造りの堀切「弥勒堀切」。高取城の隠れた見どころの1つと言えるだろう。ちょっと遠いけど、オススメ。では来た道を戻り、途中で見た「武家屋敷群」跡を散策してみよう。

takatori2-5651井戸前まで戻ってきた。井戸に落ちないように、削平地の中へ入っていく。往時は何十軒もこの中に武家屋敷が並んでいたという。

takatori2-5656今は内部はこの通り枯れ草まみれ。恐らく夏場は草ぼうぼうでどうしようもないかもしれない。中央部分をやや高めの土塁で仕切っており、奥は一段高くなっていた。土塁を越える。

takatori2-5657a-5669土塁のあった高いエリアを更に奥へ行くと、周囲を石垣で囲った先端部へ出る。斜面を登ってくる敵兵に対する「横矢掛け」だろうか、一部 石垣が折り曲げられた場所がある。そこの石垣がやや切れており、そこから外周部へ降りることができるので、行ってみよう。

takatori2-5658武家屋敷群の石垣、外周部へ降りた所。

takatori2-5659武家屋敷群、外周部の石垣。土が積もっているからか、それ程高くない石垣が続いている。奥まで行ってみよう。

takatori2-5661武家屋敷群 外周石垣。先端部はなんとこの高さ!拾数段の石垣が積み上げてあった。今は枯れ草が積み上がって低く成ってしまったように見えるが、本来はこれぐらい(あるいはこれ以上)の高さがあったということか。

takatori2-5662a-5668武家屋敷群 隅部の石垣を見上げる。ここも夏場はヤブヤブで見えなくなること必至。降雪前の冬場に来よう。

takatori2-5665武家屋敷群の隅部より奥を見ると、大きな堀切が掘ってあり、その向かい側にも削平地が見られた。井戸跡のような囲いも見える。降りると上がるのが難儀しそうだったので、武家屋敷群はここまでの散策として、戻る。

takatori2-5674三ノ丸まで戻ってきた。では、満を持して、本丸方面を散策しよう。この巨大な石垣は「大手門(御城門)前」。大手門は角を曲がった先にあった。

takatori2-5676大手門前 石垣。今は石垣しか残っていないので奥もなんとなく見えるが、当時は石垣の上には当然土塁や多聞櫓などが建ち並んでおり、食い違い虎口の中には巨大な大手門がそびえていて、まったく見通せない空間だった。

takatori2-5677大手門跡 正面より。この左右の石段の上をまたぐように、かつて巨大な櫓門(大手門)が有った。

takatori2-5682大手門跡を越えて、二ノ丸へ。正面に見える高い石垣の上が、二ノ丸にあたる。門の名前になっている十三間多聞櫓は、城門から正面の石垣の上に右端まで延びていたようだ。

takatori2-5686二ノ丸へと繋がる「十三間多聞櫓」という櫓門。高さは先ほどの大手門と同じぐらいだが、こちらの方がより存在感を感じる。この場所は、個人的にお城にハマるきっかけとなった場所。

takatori2-5687では二ノ丸へ向かおう。大手門よりも食い違い部の距離が長く、ここまで寄っても中が見えない。

takatori2-5688十三間多聞櫓は、一間は時代によって尺度が異なるようだが、1.8mとすると、十三間は約24m。図面によると正面の石垣の上は土塀で、十三間多聞櫓は城門部および右側の石垣の上にL字に折れ曲がって向こう側に伸びていたようだ。

takatori2-5692十三間多聞櫓の城門があった部分。この正面から、右奥に向かって、櫓が延びていた。では二ノ丸へ入ろう。

Part5では二ノ丸の周囲の櫓跡等を見てから、本丸周囲の帯曲輪を散策する。

>> 高取城 [5/6] へ続く。<<

訪問時期:2015年12月
撮影機器:FUJIFILM X-M1 + XF14mm
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