大坂城 [発掘調査] 2016.2.7 詰ノ丸石垣 現地説明会

2016.2.6-7に開催された、大坂城(大阪城) 本丸の地下に眠る「豊臣期大坂城 詰ノ丸 石垣」の発掘調査 現地説明会に行ってきました。豊臣石垣公開プロジェクトの一環です。

ここでは現地説明会での展示遺構の様子等についてレポートします。


<訪問記>

osaka_hakkutsu_201602-6880s現地説明会 会場は、大阪城天守閣の正面、金蔵の裏。数年後、ここに「豊臣石垣公開プロジェクト」の展示施設がオープンする予定。今回はそれに先立って行われている発掘調査の市民説明会。入場無料。

osaka_hakkutsu_201602-6959s大坂城跡 発掘調査 現地公開会場 と書いてある。「大阪城」ではなく「大坂城」(当時の表記。大阪になったのは明治とも言われる)と書かれているのが良い感じ。

osaka_hakkutsu_201602-6883s正面の盛土は発掘で掘って出た土。その周囲をぐるっと回って、パンフを受け取って、奥の人だかりのコーナーへ。今回はあのエリアのみの展示のようだ。

osaka_hakkutsu_201602-6934発掘現場 展示エリア 全景(東から)。南面石垣(左奥)と東面石垣(右手前)が出土している。これらの石垣はL字型に繋がっているのだが、ちょうど隅部のところが計測機器等を埋めている関係上、今回は掘り出せなかったそうで分断されている。ここは豊臣期大坂城の本丸にあたる「詰ノ丸」の南東端、ちょうど櫓台があった場所とのことだ。石垣の内側には、散乱した裏込石、そして詰ノ丸の地表面が掘り出されている。

osaka_hakkutsu_201602-6902ではまずは南面石垣から。1585年頃の築城を考えると、かなりの巨石がバンバン積まれていたことが分かる。しかもこの石は高さ6mほど(この下に埋まっている)の詰ノ丸の石垣の最上部。この下にはこれより大きな石が大量に埋まっている。

osaka_hakkutsu_201602-6951南面石垣を少し角度を変えて。裏込石には転用された石塔台石や五輪塔、石臼などが見つかっている。1585年というとまだ豊臣家には敵対する戦国大名も多かった頃、急ピッチで石材をかき集めてきて普請されたことが分かる。

osaka_hakkutsu_201602-6953南面石垣 全景。この下に6m埋まっている。

osaka_hakkutsu_201602-6923南側から、発掘現場 全景を見る。石垣の前の土が余り広く掘られていないので、南側からだと南面石垣が良く見えない。そして正面奥の土の層は「詰ノ丸 表層面」。

osaka_hakkutsu_201602-6914詰ノ丸 表層面を見る。当時はここが大坂城 詰ノ丸(本丸に相当)の地上面だった。この上には古絵図によると櫓が建っていたという。また、大坂夏の陣で炎上した際に焼けた土(オレンジ色をした部分)や焼けた木材(縦に埋まっている)も出土している。400年の時を超えて陽の目を見た。なお「豊臣期 地表面」の手前に開いている円柱の穴は遺構ではなく、昭和にここを発掘した際に崩れないように埋めた杭の跡だとか。

osaka_hakkutsu_201602-6928東面石垣。奥に「礎石」と書いてある石は、ここに建っていた櫓の礎石というわけではなく、どこかの建物の礎石だった石を転用した、という意味(ややこしい)。左側面を見ればわかるという。では見てみよう。

osaka_hakkutsu_201602-6947礎石転用石の左側。確かに丸く加工されていることが分かる。底が平らなので、その面を石垣の外面に使われてしまったのだろう。もしかすると、かつてここにあった石山本願寺の建物の礎石か?と妄想が膨らむ。。。

osaka_hakkutsu_201602-6939もう1つ出土展示されていた、徳川期大坂城の「砂利敷き通路」跡と、その更に下から見つかった瓦片廃棄層。古絵図に白い線で描かれていた通路が、実は砂利敷き通路だったことが、この発掘で判明したという。すごい。

osaka_hakkutsu_201602-6943徳川期 砂利敷き通路。写真右下に向かってずっと伸びていた。右下が無くなっているのは、現地説明員によると、廃城後に旧陸軍がここに車庫を造った際に砂利道の多くは破壊されたのだろう、掘ったらもう砂利道は無かった、とのこと。

osaka_hakkutsu_201602-689230分に1度行われていた、担当者の方の全体説明。2回聞かせていただきました。結構 表現や内容を変えて話されていた。

osaka_hakkutsu_201602-6962大坂城 豊臣石垣公開プロジェクトの立派なポスター。豊臣秀吉が築いた、初代大坂城石垣に再び光を。というキャッチコピーが良い。募金やってます。

osaka_hakkutsu_201602-6968今回はパネル展示も充実していた。今回の発掘に関する情報が詳しく書かれていた。いくつかピックアップしてご紹介。まずは豊臣期大坂城 復元鳥瞰図。大天守や御殿等が並ぶ最上段の曲輪が「詰ノ丸」。ここの右下に描かれている櫓の土台の石垣が、今回の発掘箇所。

osaka_hakkutsu_201602-6967発掘現場図面。石垣ギリギリまで旧陸軍倉庫が建てられていたようだ。倉庫が少し北に建てられていたら、基礎工事などで石垣も失われていたかもしれない。

osaka_hakkutsu_201602-6966豊臣期大坂城本丸図から、今回の調査地を示す。

osaka_hakkutsu_201602-6965過去に下まで掘った時の写真。今回はこの石垣の一番上の石だけが発掘されている。あの下に、これだけの石が、埋まっている!

osaka_hakkutsu_201602-6964徳川期の砂利敷き通路跡は、今回展示された場所だけでなく、飛び飛びだが周辺で出ているようだ。ちょうど真ん中に陸軍倉庫が造られたので、通路は破壊分断されてしまったのだろう。

osaka_hakkutsu_201602-696319世紀前半の古絵図より。この絵図は初めて見た。金蔵の上部に描かれている白い線が今回「砂利敷き通路」として発見された。それよりも、(既に天守は落雷で焼失)天守台の上に土塀が巡らされていたり、天守台の横の現給水施設の場所が、何もない広場(砂利道だけ)になっているなど、驚きがいっぱい。

osaka_hakkutsu_201602-6969sおまけ:大阪城天守閣を正面から。海外からの大量の観光客の一瞬のスキをついて撮影。

osaka_hakkutsu_201602-6970おまけ:旧博物館。去年までは大坂の役400年記念祭でレストランを営業していたが、今日はもう閉鎖されていた。残念。

osaka_hakkutsu_201602-6974おまけ:城内には大河ドラマ「真田丸」ゆかりの地ノボリがあちこちに立てられていた。一昨年は官兵衛ゆかりの地だったなあ。

年に何度か行われている、大坂城 豊臣期石垣の現地説明会。無料なのに、くわしい説明やパンフレット配布など、いつも感謝感謝で参加している。ただ開催日が毎回「土日のみ」のため、土日が仕事の人は参加できないという声を巷で良く耳にする。豊臣石垣公開プロジェクトの成功とともに、現地説明会もいつか土日月など平日を1日重ねて開催してもらえるようになることを密かに期待していよう。

関係者の皆さんおつかれさまでした。

訪問時期:2016年2月
撮影機器:FUJIFILM X-M1 + XF14mm
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