知覧城 [1/3] シラス台地の浸食谷を活用した天険の要塞。

知覧城は島津氏の庶流 佐多氏の拠点として築かれた中世山城。標高170mのシラス台地(近隣の火山から噴出した火砕流台地)を刻む浸食谷を利用しており、大きく南北に分かれる二群の曲輪と屋敷群から成る。全域は約41万平米にも及ぶ広大な城郭だった。16世紀末頃に火災で建物を失って廃城となったようだが、その後も島津氏の外城[とじょう]の1つとして構造そのものは残されていたと考えられている。保存状態も良く、中心部は整備も行き届き、南九州を代表するシラス山城跡と言える。国指定史跡。

<基本データ>
●名称:知覧城 (Wikipedia)
●所在:鹿児島県南九州市知覧町 (マップ)
●築主:佐多氏
●築城:南北朝時代(14世紀)頃
●遺構:堀切、土塁、虎口跡、曲輪
●リンク:文化遺産オンライン

Link: 知覧城


<訪問記>

chiran-2map-6872知覧城跡の縄張図をパンフレットより。左下が北。浸食谷に囲まれた「本丸」「蔵之城」「今城」「弓場城」を主体とする曲輪群と、南の式部殿城周辺の曲輪群、そしてそれらを取り巻く拵(こしらえ)と呼ばれる広い削平地や武家屋敷などに囲まれていた。今回は整備されている中央の4つの曲輪群をめぐる。なお南九州地区では曲輪のことを「●●城」と呼び、それぞれが大きく独立している特徴がある。シラス台地という地形的な特徴だけでなく、家臣間の関係性も関連しているとか。

chiran-4105a-4251sではまず本丸北側を通る道路沿いにある、駐車場から散策スタート。案内板がある。

chiran-4108知覧城跡 案内碑。タイルによる説明板は(割れない限り)野ざらしでも文字や絵が消えてしまうことが無いため、名護屋城人吉城など他の城跡でもよく見られる。

chiran-4109知覧城跡 案内碑の説明文のところをアップ。足利尊氏の時代より、知覧は佐多氏の土地となった。一国一城令を待つまでもなく廃城、とあるが、江戸時代も島津氏(鹿児島城)の外城[とじょう]の1つとして麓屋敷と共に詰城である当 知覧城跡も構造上は保たれていた、という資料もある。

chiran-4110国指定史跡に成った時に建てられた標柱。平成5年指定。

chiran-4111案内碑がある場所のちょうど後ろに、本丸と蔵之城の間の堀切がある。目の前の少し凹んでいるところが、そう。行ってみよう。

chiran-4111a-4113堀切前に小さな案内板が建っている。

chiran-4112堀切前の案内板には、ここからではなく、本丸にそってぐるっと回って奥から入れとある。訪問した時は大雨の後で本丸奥の道がぬかるみまくっていた(ガイド氏談)ことから、こちらのルートは帰りに通ることにして、今回は目の前の「本丸・蔵之城間 堀切」から入城する。

chiran-4115本丸と蔵之城 間 堀切。左側が本丸、右側が蔵之城。

chiran-4117堀切と行っても結構盛り上がっている。本来はもっと深かったが、長年に渡って両サイドのシラス台地から土が落ちてきて積もって盛り上がった、という話もある。

chiran-4118堀切を進む。本丸と蔵之城の間には中間部分的な曲輪があり、そこへ続く道となっている。堀切道なこともあってか、段曲輪のような段差が付けられている。どんどん登っていく。

chiran-4122段曲輪的な堀切道をあがっていくと、広い場所へ出る。

chiran-4122a-4128ここが、本丸(左側)と蔵之城(右側)の間の曲輪。両曲輪への入口はここにあり、超巨大な枡形虎口あるいは馬出し的なスペースになっているというと分かりやすいかも。

chiran-4123左を見ると、本丸への登り口がある。登ってみよう。

chiran-4130a-4165s本丸へと続く坂道。

chiran-4131a-4163本丸入口。両サイドが土塁になっており、道が折れ曲がり、虎口を形成している。

chiran-4132a-4150本丸へ。結構広く、また木々が伐採整備され、芝生が植えられている。

chiran-4142知覧城阯 石碑。パンフには顕彰碑とあった。

chiran-4143a-4157s石碑の裏側に、由緒が書かれている。「築城年月不明 四代親久 知覧城ニ移ルト云フ 其ノ以前ハ不明 十一代久慶ノ時 火災ノ為 全部焼失セリ」と読める。二行目が怪しい。

chiran-4147本丸の周囲には土塁が残る。周囲の土塁から一部突出した部分(しかも中が開いている)があったが、特に説明板なども無く、パンフにも記載なく、不明。他の遺構の残り具合に比べてここだけ綺麗に穴が開いているので近年の加工だろうか。

chiran-4148本丸土塁。周囲をぐるりと巻いている。全周に土塁が築かれているようだが、こちら側はよく見えるものの、反対側は草ぼうぼうでよく分からず。

chiran-4151一周してきて、ここも土塁がよく残る、と思ったら、入ってきた虎口の内側の土塁だった。外から中が見えないようにする蔀(しとみ)的な位置づけ、か。

chiran-4158本丸 虎口を内側から。

chiran-4161本丸虎口の中へ。道は狭いが、本丸に入る直前あたりにやや広くなっている。

chiran-4162a-4152本丸虎口から、登城路へ。ひとりずつしか通れない程の幅だ。

Part2では向かいの蔵之城へ行きます。

>> 知覧城 [2/3] へ続く。<<

訪問時期:2015年9月
撮影機器:FUJIFILM X-M1 + XF14mm
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