佐敷城 [3/3] 三ノ丸中央には二ノ丸から伸びる謎の石垣の壁

佐敷城 訪問記 − 其の三(全三回)
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[概要]
本丸西門から本丸へ。山頂は美しく石垣が復元され、木々も伐採されていて、眺望も良く遺構も見やすい。実にすばらしい城跡公園となっている。本丸から北側の虎口を経て二ノ丸へ。其の三では三ノ丸および周囲の曲輪群を見て廻る。


<訪問記>

sajiki-3891お城の東面、二ノ丸東門下の「追手門」跡より、城内を見上げる。ここが城内の最下段のようだ。ここから下は山麓への山道となる。左右には遺構があるのですぐに上に戻らず少し散策してみよう。

sajiki-3892追手門跡下より北へ。この先は復元がされていないのか、草に埋もれた石垣の断片的なものが見えている。縄張図によるとこの先に進むと東出丸へ通じるようだ。

sajiki-3893草ぼうぼうの道を進むと階段があった。実は階段の右側にも奥に進む道がある。まずは階段をあがる。

sajiki-3894階段を上がると奥に石垣で囲まれた曲輪が見える。本丸の北東端だ。ここを更に上がると本丸下へ戻ることが出来る。ということは東出丸は階段ではなく、その脇の道を奥へ進むようだ。戻る。

sajiki-3895振り返ると、三ノ丸までとは整備状況が全然違う、と言うか整備しなかったらこうなってしまうことがよく分かる状況だった。

sajiki-3896階段の右脇の道を奥へ進む。一気に整備が進んでいない印象。

sajiki-3897奥の方は伐採した木々がそのまま道の上に置いてあったりして進みづらかったが、なんとか進むと奥に削平地が見えた。あそこが東出丸だろう。ちょうど入口に伐採した枝が山積みになっており、また時間的な都合もあり、今回は東出丸に入るのは止めてここで引き返した。今から思えば入ればよかった。

sajiki-3902追手門を越えて、二ノ丸東門を登らずにそのまま脇へ進んで、奥の三ノ丸へ。ここは二ノ丸の更に奥の一段低いところにある。つまり、佐敷城は北から南へ本丸・二ノ丸・三ノ丸が一直線に階段状に並んだ曲輪構成となっている。

sajiki-3903こちらが三ノ丸先端部。見晴らしが良いかと思ったが、奥の木々が伐採されてなくて、こちら方面はよく見えなかった。あの高い木の奥ぐらいに南出丸があると縄張図にはあるが、未訪問。

sajiki-3904s三ノ丸を二ノ丸方面へ歩いて戻ってくる。石垣の上が二ノ丸。三ノ丸側に、二ノ丸から細長い石垣の壁?が突出していた。なんだろうこれは。破壊が進んでいて、元々 二ノ丸と同じ高さのまま三ノ丸に突出していたのか、むしろ三ノ丸の高さに近い低い石垣だったのか、詳細不明。

sajiki-3907三ノ丸から二ノ丸へは、先ほど見た東側の二ノ丸東門から上がるか、あるいは反対側(西側)の小さな階段から上がる事ができる。西側へ来てみた。こんな感じ。大手側の虎口はかなり堅固に作ってあるが、裏側は防御兵が上下に移動しやすいようにか、簡易な石段が築かれているだけだった。

sajiki-3919ふたたび、二ノ丸へ。二ノ丸の先端から本丸を見渡す。本丸が二段構成になっているのがよく分かる。中央の一番高いところが天守台だとすれば、あの上に三層ぐらいの天守がそびえていた、かもしれない。

sajiki-3919a-3932少し横にずれて、二ノ丸東門の虎口越しに本丸を見る。山頂にこれだけの構造物。しかも手作業。すごい。

sajiki-3919c-3922やや逆光気味だが、二ノ丸から見た本丸全景。往時はどのような建物が建っていたのだろうか。。。

sajiki-3920二ノ丸から逆に三ノ丸を見下ろす。突出した土塁(石垣)が異様。よく見ると右側にも石垣の壁のようなものが伸びているのが分かる。ここから見ると、やはりこの「飛び出し」は二ノ丸に付随する場所だったんじゃないかと思ってしまう。

sajiki-3938では二ノ丸虎口を降りずに、そのまま本丸石垣に沿って北へ進む。本丸周囲をグルっと回って西門側へ出る算段だ。見事に復元された石垣を見る。

sajiki-3939a-3937足元に「石積み」という説明碑があった。発掘調査で現れた慶長時代の石積みと、保存整備事業による石積み、の区分けが書いてある。写真を見ると、復元当初は石積みの色が違うのでどこまでが本物でどこからが復元かが分かったようだが、今は全て真っ黒になってしまって分からない。ぜひ現地で写真と本物を見比べて、この辺までが加藤清正!と予想してみよう。

sajiki-3940本丸北東端までやってきた。このあたりは本丸上の土塁の破壊も多いからか、上まで復元されていないず、石垣の上端も凸凹したままになっている。

sajiki-3941s本丸北東端を曲がって、西門へ向かう。犬走りを通って帰る。

sajiki-3943降りなかったが、本丸北側の東出丸、北出丸あたりを見ると、周囲にも僅かながら石積みの跡らしき痕跡が見られた。

sajiki-6867案内くださった現地ガイド氏から頂いた芦北町教育委員会製の「佐敷城跡」パンフをご紹介。佐敷城跡には人が居らずパンフは置いていない。歴史資料館等も無い。芦北町役場に置いているのだろうか?

sajiki-6868佐敷城跡パンフには、現地の看板には書いていない出丸まで掲載された詳細縄張図が載っていた。これは便利。ただ現地では「二ノ丸東門跡」となっている虎口を「追手門跡」と書いているなど、微妙な部分もある。

こじんまりながら、小丘の上に壮大な石垣遺構が復元された佐敷城跡。肥後熊本城の南の守り(対 薩摩島津氏)として、あの加藤清正が築いた山城だ。整備も行き届き、熊本まで来たら外せない城跡の1つだろう。

訪問時期:2014年10月
撮影機器:FUJIFILM X-M1 + XF14mm
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