佐敷城 [1/3] 加藤清正が建てた肥薩国境を守る境目の城。

佐敷城(さしきじょう)は、肥後国(現在の熊本県)南部に位置する総石垣の山城跡。当地は中世より地元豪族たちによる所領争いの場となっていたが、天正15年の秀吉による九州征伐の後は豊臣家臣の地となり、佐々成政を経て加藤清正の所領となる。清正は肥薩国境防備のため「境目の城」として佐敷の地に総石垣の近世城郭を造り上げた。その後も度々戦場となり、その都度大規模な改築が行われるも、元和元年(1615)の一国一城令で廃城、更に加藤氏改易後に肥後に入った細川氏により再度破城が行われた(1638)。その後は長らく土に埋もれていたが、昭和および平成の発掘調査により大規模な石垣を含む遺構が発見され、破壊された石垣はある程度復元された。城内からは「天下泰平国土安穏」と銘が入った鬼瓦など、多量の瓦が出土している。

<基本データ>
●名称:佐敷城 (Wikipedia)
●所在:熊本県葦北郡芦北町 (マップ)
●築主:加藤清正
●築城:天正十六年(1588)頃?
●遺構:石垣、曲輪、堀切

Links: 佐敷城 訪問記 


<訪問記>

佐敷城跡は標高87.3mの城山山頂にあり、中腹までの車道と駐車場が整備されている。駐車場より散策スタート。

sajiki-3822a-3824駐車所より、佐敷城跡を見上げる。正面の看板の脇の道より登城。その奥に見える整備された山頂部分が城跡だ。

sajiki-3823まずは駐車場煮立てられている幾つかの説明板を見ていこう。「佐敷城跡」タイル説明板。秀吉の九州征伐以降に造られ、江戸の一国一城令で廃城となったものの、その間2度の戦いを経験している。

sajiki-3826トイレが有る建物の前に建っている巨大な説明板。なかなか詳しい。

sajiki-3827上の説明板左に記載されている、佐敷城跡縄張図と、古絵図の佐敷城など。なお古絵図には天守っぽい三重櫓の絵が描かれているが、発掘調査では天守の礎石などは見つからなかったとのこと。

sajiki-3828a-3825では、登城しよう。佐敷城跡の2つの碑を越えて、山頂を目指す。

sajiki-3829山頂は山というよりも丘の上にある感じ。こんな感じの坂道をあがっていけば、数分でたどり着く距離だ。

sajiki-3832ちなみにパンフによると、上の「佐敷城跡」碑の裏のこの部分は、道ではなく空堀跡、とのこと。脇に車道が造られてしまったこともあってか、空堀っぽくは今は見えない。

sajiki-3833山頂までの道は砂利道で整備された感じ。当時の城内を記す図面の類は残っていないらしいが、東側が大手道だったこともあり(こちらは西側)、この道は城跡公園の整備のために造られた道と考えて良いだろう。

sajiki-3835とはいえ、道沿いには瓦礫のような石が転がる。石垣を破棄したときの栗石(裏込石)の類かもしれない。と妄想しながら進む。

sajiki-3836やがて斜面側に石で固められた部分が現れるが、これは公園化に伴う平成の石垣だろう。ちなみに街灯が設置されているのは、9月の中秋の名月の時期に、城跡にて観月会が行われるためだろう。お城で名月を愛でる。いいなあ。

sajiki-3839a-3855やがて山頂へ到着。いきなりのこの石垣!!!ド迫力。ちなみにこの上はいきなり本丸となり、裏口であることが分かる。

sajiki-3843美しく石で造られた階段。本丸西門跡。図面は残っていないとのことなので、現在の人が付けた名前だろう。

sajiki-3846本丸西門跡。なおこれらの石垣はほとんどが「復元」で、発掘時は下から3−4段程度しか残っていなかったという。島原の乱後に細川氏により徹底的な破壊がなされたためだろう。そして城跡公園化にあたり、雰囲気を似せてそのまま積み上げたという。なお、どこまでの高さがあったかが分からないため、適当な高さまで積み上げ、上端も揃えず「破城感」を残した具合にしている、とのこと。こういう復元の仕方もアリだと思う。有ったか無かったか分からない、姿形も分からない、テキトーな天守(風建造物)をでっち上げられるより100倍良い。

sajiki-3850a-3851本丸北端は長大な石垣で、人1人が通れる程度の細い犬走りがあり、その下は帯曲輪的な場所が構築されている。

sajiki-3839本丸北側を見下ろすと、北出丸とされる平坦地があった。石垣はない。出丸内を区切る土塁が見えるが、遺構かどうかは説明板等が無く分からないものの、まあ遺構だろう。夜になると石垣がライトアップされるのだろうか、巨大なライトが設置されている。

sajiki-3851a-3858では城内へ。本丸西門から。石段は途中で折れ曲がり食い違い虎口を形成している。踊り場のところに石碑がある。

sajiki-3852a-3857「桐紋の鬼瓦出土地点」石碑。さすがは豊臣恩顧の加藤清正築城、巨大な桐紋が浮き彫りにされた立派な鬼瓦がここから出土したそうだ。土の中から上を向いて綺麗に出土した様子が掲載されている。破城の際、この瓦を壊すに壊せず、そっとここに埋めたのかもしれない。なおこの碑の形は、佐敷城内の別のところから出土した瓦の形を模したもので、出土地点を示す碑は全てこの形をしている。

sajiki-3856本丸西門から城下を見下ろす。本丸(右側)と外周(左側)の石垣の角度が違うことから、元々の高さも結構違ってたことが想像される。

sajiki-3859本丸西門跡。門柱の跡と思われる礎石らしき巨石が埋め込まれている(片方だけ)。

sajiki-3860本丸西門跡を、上から見下ろす。今は石垣で囲まれたカギ状に折れ曲がる石段だが、当時はどのような姿だったのだろうか。

sajiki-3860a-3864本丸西門をあがったところは、本丸の直下(西側)にあたる帯曲輪的な場所。そのすぐ左側には、本丸に上がる石段がある。大きさから見て搦手門か。この上が本丸。

sajiki-3860b-3862本丸西門あたりから、城跡西側を見る。佐敷川が流れ、西の八代海へ注ぐ。海の向こうにうっすら見えているのは天草諸島。

sajiki-3861では搦手門から本丸へと上がろう。

>> 佐敷城 [2/3] へ続く。<<

訪問時期:2015年9月
撮影機器:FUJIFILM X-M1 + XF14mm
– – – – – – – –
ブログ人気投票参加中. いつも投票アリガトウ(^-^)

投票するのも、順位を見るのも、上↑のアイコンを押してね!
ページの一番上に戻る

広告

コメントを残す

以下に詳細を記入するか、アイコンをクリックしてログインしてください。

WordPress.com ロゴ

WordPress.com アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

Twitter 画像

Twitter アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

Facebook の写真

Facebook アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

Google+ フォト

Google+ アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

%s と連携中