人吉城 [4/4] 胸川越しに見る西外曲輪の復元櫓群は必見。

人吉城 訪問記 – 其ノ四(全四回)。
Link: 其の一, 其の二, 其の三, 其の四.

[概要]
相良氏700年の居城 人吉城へ。跳ね出し工法「武者返し」に始まり、堀合門、御下門跡、中御門跡、三ノ丸、二ノ丸、本丸と城内を見学。そして南へ抜けてかつて城主の館が建っていた御館跡(現 相良神社)へ。西外曲輪を見学し、これから大手門付近の復元櫓群を見に行きます。


<訪問記>

hitoyoshi-3765a-3773大手門脇、胸川沿いに建つ「多聞櫓」。大火を凌ぎ西南戦争でも燃えずに残った多聞櫓だったが、明治初期に払い下げで破棄された。平成5年、跡地に復元。

hitoyoshi-3766「多聞櫓跡」説明パネル。1640年頃に築かれた古い建物で、修理がされただけで焼けずにずっと明治まで残ったにも関わらず、明治の払い下げで破棄されたのが実に惜しい。現在は平成の復元なのでいつでも中に入る事ができる。

hitoyoshi-3769多聞櫓 内部の様子。甲冑やパネル展示、そして定番のお城模型がある。人吉城歴史館にも人吉城の復元模型があるが、あちらは写真NGなので、こちらの模型をしっかり見て写真に収めておこう。

hitoyoshi-3771多聞櫓内の人吉城 模型。ちょうど大手門・多聞櫓付近から、西外曲輪〜三ノ丸・二ノ丸を見上げる。

hitoyoshi-3776多聞櫓を出て、大手門跡を見てみよう。すぐ横に隣接して建っている巨大な2つの石垣が、大手門櫓台跡、だ。この上にかつて、巨大な櫓門が乗っかっていた。現在は大手門跡は橋の先の交差点とかしている。櫓台のせいで見通しが悪く、現在はやや危なっかしい。

hitoyoshi-3776a-3775「大手門櫓台」説明パネル。図面が見やすい!と思ったら最近出来たパネルだった。古絵図と現在残る石垣(雁木[がんぎ]、石垣に登るための横長の石段)との形が違うようだが、発掘調査の結果、絵図と同じ長さ1m大の巨石が列をなしていることが発見されたとか。恐らくその発見を記すためにこの新しいパネルが作成されたのだろう。

hitoyoshi-3777大手門跡を越えて、大手橋まで行く手前に、かつて大手門と胸川の間に築かれていた枡形跡が残る。現在の橋は大手門から直線的に伸びているが、当時はこの一段低く、またずれた位置の枡形に橋が架けられていた。下に降りてみよう。

hitoyoshi-3778「大手門櫓跡」説明パネル。古絵図だけでなく、破却される前に撮られた写真と、それを元に描かれた油絵などが残るという。やはり大手門は城の顔、ゼヒ復元していただきたいところだが、現在も交差点に使われている関係上、なかなか難しいか。残念。

hitoyoshi-3779橋の上から、復元された多聞櫓と、かつて大手橋が架かっていた台(右側の石垣の広場)を見る。

hitoyoshi-3786橋を渡って、対岸から大手門・多聞櫓を見る。かつてはどんな姿だったかというと。。。↓

hitoyoshi-3786a-3785ちょうどこの写真あたりに建っている説明パネル。大手門油絵、だそうだ。大手橋と大手門が食い違っており、鍵型の道になっていることがよく分かる構図。

hitoyoshi-3789川に沿って奥(北)へ行きながら、城の西側の復元土塀を見ていこう。白壁の下半分は瓦を交互に埋めた、通称「なまこ壁」になっている。金沢城などでよく見られる様式。

hitoyoshi-3789a-3788胸川沿い(お城の対岸)は、復元櫓などの眺望が良いところでもあるので、多くの説明パネルが建てられている。すばらしい。当時の写真がうれしい。

hitoyoshi-3791西外曲輪の一番端まで見渡せる場所から。西外曲輪 西側は見てのとおり、隅櫓から土塀、多聞櫓まで、ずらりと復元されている。

hitoyoshi-3791a-3790隅櫓 説明パネル。西外曲輪の北西端に建てられていた櫓。

hitoyoshi-3792もう少し奥へ行って、西外曲輪の北側も見ながら全景。

hitoyoshi-3798西外曲輪 復元土塀群 全景を中央から。土塀にはところどころ、石落とし(黒い部分)が付けられている。

hitoyoshi-3803橋に戻って、胸川を含めた西外曲輪 復元櫓群 全景。お城のある街。やはり、大手門、復元して欲しい。背の高いトラックを通さなければ大丈夫!?

hitoyoshi-3805では再度 西外曲輪へ戻って、先ほど見た復元櫓を内側から見よう。こちらは北西端にある「隅櫓」。その手前には礎石だけが残る。

hitoyoshi-3806a-3804「軍役蔵跡・買物所」説明パネル。タイルの説明板は時が経っても色褪せないので見やすくて良いが、このように欠けてしまうと元も子もない。右図のような建物が建っていたようだが、古絵図に載っている蔵の名前しか分からず、なんのための蔵だったのかは不明とのこと。

hitoyoshi-3807「角櫓跡」説明パネル。隅櫓と書かれているものと、角櫓と書かれているものがある。元々は相良清兵衛という重臣の屋敷があったが、江戸初期に屋敷が焼けた後は隅櫓に変えられたという。

hitoyoshi-3808人吉城が100名城に選定された記念のパネル、か。人吉城、別名 繊月城(せんげつじょう)。

hitoyoshi-3809a-3761では最後に、その相良清兵衛屋敷跡に建てられた「人吉城歴史館」を訪れよう。内部は写真NG。100名城スタンプはこの中にある。入場料200円。相良家に伝わる甲冑などの文化財の他、巨大な人吉城ジオラマもあった。文化財以外は撮影OKにして欲しい(でないと記憶に残らない)。

hitoyoshi-3809b-3812人吉城歴史館の中には、発掘された「地下室」があり、そこだけ何故か撮影OKになっていた。ただし薄暗いのでブレやすい(フラッシュを炊くと雰囲気台無し)のが注意。では地下室だけご紹介。

hitoyoshi-3810人吉城歴史館 地下室の様子。パンフによると相良内蔵助屋敷の地下井戸遺構とのことで、四方を石垣で固めた堅固な地下室の中心に井戸があるという。埋められていたが掘り返して当時の姿を復元したという。

hitoyoshi-3811地下室の様子。地下室は2つ出土していて、相良清兵衛屋敷の持仏堂跡と、息子の内蔵助屋敷の蔵跡から出たという。復元されたのは息子の内蔵助の方。何故こういう設備を2つも作り、そして大火の後 破壊されて埋められたのか、全てが謎という。

hitoyoshi-6866人吉城歴史館で入手できるパンフレット。左の「人吉城」ガイドブックは中身が当時の姿を描いた図になっていて、それを見ながら城内を散策すると分かりやすい(詳細な図面ではなく、あくまでモデル図)。右のパンフは歴史館の紹介で、撮影禁止で記憶が少ない展示物のことが少し載っている。

肥後 人吉城。西南戦争での消失、および明治の払い下げで移築門1つ残してほぼ全てが破壊されてしまったのが実に残念だが、それでも現在も残る巨大石垣群や門跡に当時の規模や威容を見ることは十分に可能。熊本県は熊本城だけじゃないぞ、と言う相良氏の声が聞こえてきそうな、名城「跡」だ。おすすめ。

訪問時期:2015年9月
撮影機器:FUJIFILM X-M1 + XF14mm
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