人吉城 [3/4] 於津賀社跡から見上げる城内全景がオススメ。

人吉城 訪問記 – 其ノ三(全四回)。
Link: 其の一, 其の二, 其の三, 其の四.

[概要]
相良氏700年の居城 人吉城へ。武者返しを見ながら堀合門、下御門を経て三ノ丸へ。中御門から二ノ丸〜本丸を散策後、埋御門から三ノ丸へ降りてきた。其の三では三ノ丸から御館跡、西外曲輪の散策へ向かいます。


<訪問記>

埋御門跡から三ノ丸へ降りてきたところからスタート。

hitoyoshi-3685三ノ丸の西側(西ノ丸の真西)にも広場がある。数段の石段の上にあるので、少し行ってみよう。

hitoyoshi-3687石段を上がってみると、かなり広い芝生広場。パンフによると特にここには何も無かったようで、いざというときの武者溜まりか、火災で延焼するのを防ぐためのスペースか。

hitoyoshi-3688二ノ丸の石垣の脇にひっそりと「三ノ丸跡」の石碑があった。奥の石垣には二ノ丸からの排水溝の跡も見える。排水溝からは今も水が流れているのか、排水溝の下だけやたら草が生えている。

hitoyoshi-3689三ノ丸西曲輪から、三ノ丸北西曲輪へ降りよう。ややこしい。三ノ丸内部にはエリアを区切るためか低い石垣が築かれている。

hitoyoshi-3691三ノ丸北西部より、二ノ丸石垣全景を見る。ここの眺めも素晴らしい。杉林のところは以前は御殿が建っていた。御殿を見渡す絶好の場所だったかもしれない。通常の広角レンズでは端から端まで写しきれないので魚眼レンズにて撮影。

hitoyoshi-3705魚眼レンズを出してきたので、ついでに中御門跡も撮影。この石垣の上にドドーンと櫓門が乗っかっていたと思うと其の巨大さに驚かされる。

hitoyoshi-3714三ノ丸の中央を貫く低い石垣。それを降りて北側から二ノ丸を見る。当時は小さな木戸程度の門があったかもしれない雰囲気の場所。

hitoyoshi-3716三ノ丸中央部を横断する低い石垣。はらみまくっている。

hitoyoshi-3718三ノ丸 最北の曲輪。眺めが良い場所なので、現在は東屋が建っている。

hitoyoshi-3720かつてここは「於津賀社(おつがしゃ)」という小さな神社があったという。現在は其の礎石らしき石が並ぶのみ。

hitoyoshi-3721「於津賀社跡」石碑。鎌倉初期に相良氏が入国する前に当地を治めていた平氏代官の矢瀬主馬祐(やぜしゅめのすけ)を祀る霊社とのこと。

hitoyoshi-3724於津賀社跡あたりから見る三ノ丸と二ノ丸の様子。

hitoyoshi-3727三ノ丸を横断する石垣を隅部から。崩れる寸前という雰囲気がある。

hitoyoshi-3731さて三ノ丸から南側に下山して、城主の館跡へと行ってみよう。本来はここには降り口は無かったのだが、見学用に三ノ丸から直接 城主館跡へ降りる階段が作られている。

hitoyoshi-3734階段を降りて、城跡の南側の通りへ。このあたりは武家屋敷群だったようだ。

hitoyoshi-3735大きな水堀とその周囲の石垣、そして石橋が見える。

hitoyoshi-3736石碑には「原城門跡・原城跡 →」とある。近世城郭である人吉城の奥(東側)に、その前の中世城郭時代の山城跡「上原城」「中原城」があり、その入口に「原城門」がある。両「原城」跡には堀切跡や空堀跡が残るという。今回は時間の都合上、原城側はパス。

hitoyoshi-3737先ほど通ってきた道を見返すと、道の下部も石垣で固めてあり、上にも石垣の城壁が造られている。ちなみにこの水堀は「城主の館」の水堀に当たる。

hitoyoshi-3739先ほど見えた、水堀を渡る石橋の前へ。

hitoyoshi-3740a-3738「御館入口」説明パネル。代々の城主が居住した場所で、ここが正門。先ほど見た水堀は「溜池」と書かれている。石橋の先にはかつて御門と番所があった。

hitoyoshi-3741石橋を渡って城主館跡へ。現在は護国神社となっており、御門の代わりに石の鳥居が建つ。

hitoyoshi-3742「相良護国神社」の社号標。

hitoyoshi-3745城主の館跡らしく、入ってすぐの場所には日本庭園があった。池を中心に橋などを渡してぐるぐる廻って色んな角度から楽しむ、池泉廻遊式庭園。

hitoyoshi-3746a-3744「御館跡庭園」説明板。水の流れの先には中世相良氏の居城だった原城跡がうまく配置され、一族の由緒を辿る祖先敬慕の遥拝庭園。歴史ある相良氏ならではの名園だそうだ。なるほど。

hitoyoshi-3748相良護国神社(相良神社)拝殿。お参りしていこう。

hitoyoshi-3749三ノ丸の西側斜面の下、相良護国神社がある一帯はすべて城主の御館だったようだ。周りは石垣で区画されている。内側から見ると石垣はそれ程の高さは無いが、外側から見ると結構高い。最初に見た「武者返し」のある石垣も、ここ御館の石垣。

hitoyoshi-3750西側に石垣の切れ目があり、武家屋敷群のある西外曲輪へ降りる事ができる。ここから西外曲輪へ出よう。

hitoyoshi-3752s御館跡 西側出口。先ほどの水堀の石橋が正面、堀合門が搦手口とすると、ここは西外曲輪(武家屋敷群)へ繋がる勝手口というところか。

hitoyoshi-3753御館跡の西側石垣と西側出入口跡。

hitoyoshi-3756御館跡の西側は武家屋敷などが建ち並んでいた「西外曲輪」で、現在はいくつか建物(資料館など)が建つだけの広大な土地になっているようだ。説明パネルもあちこちに配置されている。

hitoyoshi-3757a-3755「大台所跡・御厩跡」説明パネル。後口馬場とは、西外曲輪の中央あたりを横断する道路のこと。井戸があると書いてある。

hitoyoshi-3760周りを見てみると丸く繰り抜かれた巨石が置かれていた。

hitoyoshi-3760a-3759「後口馬場の井戸跡」説明パネル。他の井戸よりかなり巨大だが、江戸初期には埋められたようだ。

hitoyoshi-3763武家屋敷跡。奥に見える櫓は復元された大手門多聞櫓。後ほど訪れよう。

hitoyoshi-3764穴蔵跡。

hitoyoshi-3765武家屋敷跡の礎石。整然と並んでいる。井戸も見える。

続いて、大手門から復元櫓群を見て回ります。

>> 人吉城 [4/4] へ続く。<<

訪問時期:2015年9月
撮影機器:FUJIFILM X-M1 + XF14mm
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