人吉城 [2/4] 高石垣・中御門・埋御門など見どころ満載の二ノ丸へ。

人吉城 訪問記 – 其の二(全四回)。
Link: 其の一, 其の二, 其の三, 其の四.

[概要]
相良氏700年の居城 人吉城へ。有名な「武者返し」石垣のある球磨川沿いの外曲輪から、下御門跡を通って城内へ。この内側がいよいよ城内。


<訪問記>

hitoyoshi-3619下御門跡から城内へ。長い石段を上がると広大な場所へ出た。今居る場所と、正面に見えている手前の石垣の奥までが三ノ丸。奥の高い石垣の上(杉林になっているところ)がかつて御殿が建っていた二ノ丸になる。

hitoyoshi-3620三ノ丸から見る二ノ丸の様子。奥に巨大な石垣が見えているあたりが、二ノ丸へと繋がる「中御門」跡になる。三ノ丸はかなり巨大なので帰りにめぼしいところを見るとして、先に二ノ丸へ向かおう。

hitoyoshi-3620a-3702中御門跡へ。三ノ丸側から見た入口の姿。かなり巨大な門だったことが分かる。古絵図によると正面左側の石垣の上から右側の二ノ丸本体の石垣の上まで、巨大な櫓門が架かっていたようだ。

hitoyoshi-3620b-3708中御門跡は石垣の残りもよく、また草木が綺麗に伐採されているので非常に見やすい。一番の見どころポイントだろう。ということで多数の写真を撮りまくり。石段を上がっていく家臣の目線から。

hitoyoshi-3621中御門跡。道の両サイドには排水溝も設けられている。この高い石垣の上に更に櫓門が載っていた。

hitoyoshi-3623中御門跡。ちょうど門の前あたり。虎口(中御門内)に入らないと全く二ノ丸側が見渡せない作りになっている。

hitoyoshi-3625中御門跡。門自体は正面に見える平らな部分の上に建っていたのかもしれない。

hitoyoshi-3629中御門跡。ここまで来てもまだ二ノ丸内部は見えない。

hitoyoshi-3630中御門跡。虎口の内部には一部石積みで区切られた空間があった。中御門には番所があった、とパンフに記載があったので、ここにあったのかもしれない。あるいは虎口を出てすぐのところか。

hitoyoshi-3631a-3640二ノ丸へ。二ノ丸は完全に杉林と化しているが、以前は6棟の建物から成る「二ノ丸御殿」が建っていた。

hitoyoshi-3636二ノ丸側から中御門跡を見下ろす。

hitoyoshi-3639二ノ丸側から中御門跡を見下ろす。番所があったかもしれない、虎口内の角部の区切り。

hitoyoshi-3639a-3632では二ノ丸へ。御殿が建っていた二ノ丸中央部は、背の高い杉の木が立ち並ぶ。御殿には「御金ノ間(ごきんのま)」と呼ばれる、襖などに金箔が貼られた書院造りの建物もあったとか。

hitoyoshi-3641二ノ丸内部から三ノ丸・城下方面を見る。

hitoyoshi-3642二ノ丸の端っこの方に「二ノ丸跡」の石碑が建っていた。非常に読みづらいが、二の丸跡と彫ってある。

hitoyoshi-3644石碑の正面あたりに「二ノ丸跡」の説明パネルあり。右図の赤印のところ。ここから、中御門経由ではなく、ここから直接三ノ丸の西側へ降りることが出来る石段があるようだ(埋御門 [うずみごもん])。また説明文によるとここは江戸初期は「本城(本丸)」と呼ばれており、城主の住む御殿が建っていた。左の「高城二ノ丸御指図」によると、かなり巨大な御殿だったようだ。

hitoyoshi-3645二ノ丸から三ノ丸へ降りられる「埋御門(うずみごもん)」跡。下りの際はここを通って降りてみよう。今は上から見るだけ。

hitoyoshi-3650a-3648二ノ丸の北西端より、三ノ丸の西部を見下ろす。見えている上も下も分類上は同じ「三ノ丸」となっている。

hitoyoshi-3651では二ノ丸奥にある石段より、本丸へ上がってみよう。

hitoyoshi-3652本丸へ上がる石段。本丸は天守があるような戦略上の場所ではなく祈りのための場所だったようで、堅固な石段や門などは設けられていない。

hitoyoshi-3652a-3665s人吉城本丸 全景。山頂にある小さな曲輪という印象だ。

hitoyoshi-3655a-3658s本丸にはかつて「護摩堂(ごまどう)」や「御先祖堂」「山伏番所」など幾つかの建物があったという。これらはその礎石か、丸いものは碑などを囲う意味合い程度のものかもしれない。

hitoyoshi-3656「本丸跡」石碑。これも薄くなっていて読みづらい。

hitoyoshi-3657a-3653「本丸跡」説明パネル。上の石碑が建っている場所あたりが護摩堂跡のようだ。宗教的空間。

hitoyoshi-3669a-3650では本丸から下山していこう。先ほど見た二ノ丸から三ノ丸へ降りる「埋御門」より降りてみる。

hitoyoshi-3671埋御門。「埋門(うずみもん)」は多くの石垣造りの城でも見られる、石垣を一部くりぬいたりして作った小さな門のこと。勝手口だったり、非常時にカンタンに埋めてしまうことが出来たり、正門とは違う役割がある。

hitoyoshi-3672a-3670埋御門の石段の上から、三ノ丸西方を見る。二ノ丸の石垣は野面積みのかなり古いスタイルのようだ。

hitoyoshi-3673埋御門の石段の上から、中御門方面を見る。左に見えている鉄柵はかつて三ノ丸にあった井戸跡の一つ。

hitoyoshi-3674石段から、埋御門を見る。門の内部、石垣の上部が一部欠けているところがある。あそこに何か太い柱のようなものでも通していたのだろうか?ただ落ちただけだろうか?

hitoyoshi-3677s埋御門の石段の脇には、土塀がかつてあったのだろうか、石材にホゾ穴があけられていた。

hitoyoshi-3678埋御門 全景 三ノ丸側から。石段を通っている人が見えないぐらいの大きな土塀がぐるっと囲んでいた、のだろうか。

hitoyoshi-3679二ノ丸石垣。大きさがかなり不揃いで、やや緩やかな野面積みの石垣。パンフによると、中世山城だった人吉城が石垣造りに改修され始めたのは天正十七年(1589)のこと。そして関ヶ原後の慶長六年(1601)には二ノ丸までほぼ完成、とある。その後の改修等がなければ、石垣山城名護屋城などで僅かに見られる秀吉時代の石垣ということになろう。

hitoyoshi-3680埋御門跡 正面から。よく見ると二ノ丸石垣の下部と上部で石材の大きさが大きく異る。度重なる火事で燃え落ちた時に焼損し積み直したか、あるいは元々の高さから途中で積み上げたか。時期が異なるのは間違いないだろう。

hitoyoshi-3683三ノ丸から二ノ丸石垣全景を見る。壮観。人吉城で好きな構図の1つ。

続いては三ノ丸をもう少し散策後、城主館跡などを見て回ります。

>> 人吉城 [3/4] へ続く。<<

訪問時期:2015年9月
撮影機器:FUJIFILM X-M1 + XF14mm
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