都於郡城 [1/3] 日向 伊東氏の牙城は巨大堀切を持つ山城!

都於郡城(とのこおりじょう)は室町時代から戦国期にかけて日向を支配した戦国大名 伊東氏の拠点だった山城。足利尊氏の命により都於郡地区に入部した伊東祐持により築城された。崖に囲まれた尾根の先端に5つの曲輪を作り、各曲輪の間には深い堀切と迷路のように入り組んだ道を作ることで防御力を高めた、堅固な山城だった。伊東氏はこの城を拠点に日向一円で勢力を広げ、最盛期は48の支城を持つ程までになった。その後 伊東氏が没落すると島津氏の所領となる。再び伊東氏が日向に戻った際は飫肥が本城となり、古い山城である都於郡城は余り使われず、一国一城令の頃に廃城となった。天正遣欧使節の伊東マンショの生誕地としても有名。

<基本データ>
●名称:都於郡城 (Wikipedia)
●所在:宮崎県西都市 (マップ)
●築主:伊東祐持
●築城:正平元年(1346)
●遺構:堀切、土塁、曲輪


<訪問記>

tonokoori-6864都於郡城跡の立派なパンフレット。こちらに都於郡城の想像復元図が載っていてわかりやすいので確認しておこう。

tonokoori-mapパンフレットより、都於郡城 想像復元図。本丸・二ノ丸・三ノ丸・奥の城・西の城という5つの曲輪群が、大きな堀切で分断されている。駐車場は本丸の右下あたりに存在する。そこから、まずは本丸・二ノ丸の下に書かれた道を通って一番奥の三ノ丸まで行き、そこから戻るようなルートで散策をしよう。

tonokoori-3294散策開始地点、駐車場。

tonokoori-3293駐車場にあった、史跡都於郡城跡 マップ。現在地(赤い部分)の左上に5つの曲輪から成る都於郡城跡があり、その他にも支城が多く存在していたようだ。今回は時間の都合上、都於郡城のみ訪問。

tonokoori-3297同じく駐車場にあった「伊東氏四十八城」。真ん中の赤い凸マークが「牙城 都於郡城」。緑の凸マークが支城群。文字通り、都於郡城を中心に日向一円に勢力を広めていったことが分かる。

tonokoori-3304では駐車場から奥へ進み、散策を開始しよう。目の前に本丸や二ノ丸の巨大な曲輪群が見えてくるが、まずは一番奥の三ノ丸へ向かう。ひたすら奥へ。

tonokoori-3314一番奥の階段をあがる。この上が、三ノ丸。

tonokoori-3315三ノ丸。都於郡城の一番奥(西北端)にあり、崖に囲まれた物見的な位置づけにあたる。

tonokoori-3316「三ノ丸跡」説明板。各曲輪や見どころにはこのような説明板が建っていた。助かる。物見および城間通信のための狼煙台があった場所と想定されている。

tonokoori-3317三ノ丸 先端から見る眺望。崖の上に建っており、見晴らしが良い位置にあることはわかるが、手前下の樹木が生い茂り過ぎていて、眺望は良くないのが残念。

tonokoori-3318足元には巨大なタイルに描かれた「都於郡城跡からの展望図」という図面があった。木々がなければ、あるいはこの上に物見櫓でも建てれば、その上からはこのような眺望が見えるでしょう、という図だろうか。

tonokoori-3321では細長い三ノ丸の上を散策してみよう。二ノ丸方面に歩いて行ってみる。左端に説明板が見える。

tonokoori-3322「曲輪」説明板。分かりやすい。ちなみにこの曲輪説明板、同じものが本丸など別の場所にもあった。

tonokoori-3323三ノ丸の一番奥(二ノ丸側)までやってきた。二ノ丸との境目に当たる場所には土塁が積み上げられていることが分かる(写真では同化してしまって分かりづらい)。土塁そばまで行ってみよう。

tonokoori-3325三ノ丸 土塁越しに二ノ丸を見る。その間に造られた巨大堀切に驚く。これは、凄い!本来この2つの曲輪は自然地形ではつながっていたものを、ここまで掘り込んで完全に分離してしまった。

tonokoori-3327三ノ丸から見る、二ノ丸とその間の巨大堀切。堀切(堀底道)を通って二ノ丸の向こう側の奥にも行けそうだ。後で行ってみよう。

tonokoori-3329土塁越しに見る、二ノ丸と大堀切。手前は三ノ丸土塁。

tonokoori-3336三ノ丸から二ノ丸へは移動できない、というか、各曲輪同士がこうして大堀切で句切られているため、移動するためには毎回下に降りてまたそれぞれ登らなければならない構造になっている。まずは三ノ丸の下へ降りて、正面の「西の城跡」へ向かう。

tonokoori-3338「西の城跡」はこの階段の上。

tonokoori-3342西の城跡 到着。九州の山城では、曲輪のことを「城」と呼称するケースが多い。曲輪群が独立していることから、それぞれ別の武将(家臣)に防御を担当させていて、このような呼び名に成ったのかもしれないなあ、などと妄想しながら歩く。

tonokoori-3343「西の城跡」説明板。三ノ丸同様、こちらも崖の先端にあり、眺望が良いという。別名 斥候城(ものみじょう)。

tonokoori-3344西の城跡から、三ノ丸を見る。ここにも曲輪間には、この大堀切。

tonokoori-3346西の城跡 全景。右奥の方に、奥に行く道がありそうだ。

tonokoori-3347西の城跡 崖沿いに造られた道に沿って奥へ。なお左側の鉄柵の内側は何か施設が建っていて立入禁止だった。

tonokoori-3348西の城跡 一番奥へ。おお、ここは三ノ丸と違って眺望が良い!

tonokoori-3349西の城跡から見た眺望。山麓を流れる「三財川」のワインディング具合がよく見える。

tonokoori-3351西の城跡から見下ろした、二ノ丸方面。手前に見える小さな曲輪は三ノ丸に付随する小曲輪のようだ。冒頭のパンフレットの図面で言う「曲輪D」。

tonokoori-3353では西の城跡を降りて、西の城のすぐ下に設けられている曲輪群を散策してみよう。パンフレットの図面で言う「曲輪C・B」に当たる。

tonokoori-3354曲輪C。

tonokoori-3355一段あがったところが曲輪B。ここが一番はしっこ。削平地なだけで、特に遺構は無いが、散策できるようによく整備されていて好印象。

tonokoori-3357そして振り返ると西の城跡がこんもりと見える。真っすぐ行けば森の中の「西の城跡」へ辿り着けそうにも見えるが、パンフレットの図面にもあるように、曲輪C・B・西の城はそれぞれ一段ずつ高さが異なっていて、普通には移動できなくなっているようだ(C→Bのように階段があれば別)。なお曲輪AはこのBの更に奥の一段下にあたるが、斜面途中に造られた小さな曲輪のようなので訪問無し。

続いてPart2では巨大堀切を通って二ノ丸へと向かいます。

>> 都於郡城 [2/3] へ続く。<<

訪問時期:2015年9月
撮影機器:FUJIFILM X-M1 + XF14mm
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