鳥居平城 : 巨大な堀切と土塁が守る東近江屈指の山城

鳥居平城(とりいひらじょう)は、室町時代まで近隣を領していた近江小倉氏の城と想定されているが、文献史料が少なく不明な点が多い。遺構は丘陵尾根上に数百メートルに渡って堀切と土塁で守られた曲輪が連なる巨大なものとなっており、屈指の規模を持つ山城だったことが伺える。

<基本データ>
●名称:鳥居平城
●所在:滋賀県蒲生郡 (マップ)
●築主:近江小倉氏?
●築城:室町時代?
●遺構:堀切、土塁、曲輪


<訪問記>

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滋賀県蒲生郡日野町にある「願成寺」というお寺、あるいはその前にある「鳥居平会議所」を目指そう。その裏の小山が、鳥居平城跡。願成寺と鳥居平会議所の間の道には上記のような看板が立っている。

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看板に沿って山の方へ進む。昔からありそうな看板もあった。

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奥の木の手すりが付けられた道を上がっていくと、鳥居平城跡へ。

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坂道の奥が、東西に長い城跡の西の端に通じる。各曲輪は巨大な堀切によって分断されているので、次の曲輪(東隣)に行くには、またこの道を通って降りてこなければならない(堀切を直降はかなり難しい)。

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鳥居平城跡 最初の曲輪(西曲輪、縄張図のA)へ。ここは麓から訪れやすく、非常に綺麗に整備がなされている。ただし、見学しやすく整備されているのは、この曲輪だけ。

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休憩するほどの高さでも距離でも無かったが、大勢がゆっくり休憩できるような設備が設置されている。

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そして曲輪の周囲には土塁がぐるりと囲んでいる。

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先ほど上がってきたところ。土塁が削られ、虎口のようになっている。

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鳥居平城址 説明板。非常に横(東西)に長い城跡であることが分かる。またそれぞれの曲輪の間には巨大な堀切が掘られていて、簡単に曲輪間移動が出来ない構造になっている。

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東の曲輪群とを隔てる巨大な堀切の前には、土塁が築かれている。その前には小さな「土塁」の立て看板。手作り感が良い。ちなみに書いてあるのではなく、彫刻刀で文字の部分を彫りこんで、そこに色を塗った力作。

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西曲輪(A)の巨大堀切沿いに築かれた土塁。

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土塁の上から、西曲輪(A)と東曲輪群(B)とを遮る巨大堀切を見下ろす。写真では底が見えないほど深い、肉眼では底は見えるがとても降りれる高さと角度ではないことが見た瞬間に分かる。

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では東曲輪群へ向かおう。巨大堀切は降りられないので、ここまで戻ってきて、階段の先を「右」へ曲がる。ちなみに階段の正面あたりが巨大堀切の底。

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「右へ曲がる」といっても道はなく、こんな感じの竹やぶへ入っていく感じ。12月なので難なく入れたが、夏場はとても無理かもしれない。

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堀切の底へ。こちら側からは竹やぶと枯れ草で、堀切の巨大感は味わえない。

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西曲輪を見上げると、遥か上に西曲輪の土塁が見える。

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そして堀切の反対側へ。この辺りまで来ると竹やぶや枯れ草が減り、巨大堀切の角度や高さ感が十分に分かる。この堀切はぜひ奥から見たい。

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東曲輪(B)へは、堀切から上がる事ができる。目印は土塁の上のこの「切れ間(虎口か)」。ここに通じる細い道が作られている。写真では見づらいが、虎口から右下に斜めに伸びている筋が、そう。

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堀切の斜面を、細い山道を通って登る。幅は30cmほどだが、それ程の高さはないので大丈夫。

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東曲輪群(B)の虎口へ到着。

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東曲輪群の最初の曲輪(B)へ。ここも分厚い土塁が周りを囲んでいる。ただし西曲輪と違って草刈りや伐採などの整備はされていない印象。

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曲輪Bから更に東の方へ向かおう。やはり曲輪と曲輪は巨大な堀切が遮っており直接移動しづらいので、一旦降りて曲輪の周囲を移動する。移動中に「ぬかるみ」のような場所を発見。廃城後の田畑の跡、か。快晴でもこの周囲だけはズルズルなので要注意。

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曲輪Bの更に東側の堀切。ここもなかなか立派な薬研堀。

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堀底をそのまま奥へ進む。なんだかすごいことになっている木があった。立ち木に倒木が十字に重なり、そこに蔦(つた)のように絡まった木。なんだこれは。

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ここの堀は東側の曲輪に何とか上がれる場所があったので、そのまま東の曲輪へ。曲輪の上から堀底を見下ろす。

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曲輪Cの東側。幅は狭いが、そこそこの規模の土塁が周囲に築かれている。

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曲輪Cは、曲輪の中央付近に土塁を築いて区画を分けた構造をしている。敷居土塁、仕切り土塁、とでも言おうか。これまでの曲輪が巨大な堀切で区画されていたのとは全く異なる構造だ。

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曲輪Cの南側の下を覗き込むと、こちらも巨大な水場と、それらを仕切る土橋的な構造が見えた。しかし、やはり、これも後年の田畑地だろう。

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では曲輪Cから南下して、南に張り出した「主郭」(とされる場所)へ向かおう。曲輪Cを南側に降りて、そのまま奥へ進む。

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堀底道を奥へ進むと、「主郭」と書かれた手作り看板が現れる。この真上が主郭にあたる。しかしここからは主郭へは上がれず、さらに向かって左奥の堀切道を進んだ先に、登り口がある。

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こちらが主郭への入口。土塁の切れ口、虎口が形成されている。

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鳥居平城 主郭へ。整備されていないので枯れ草と倒木だらけだが、かなりの広さがあり、その周囲を土塁がぐるりと巻いていることが分かる。また、やや分かりづらいが、主郭虎口入ってすぐ右手側に50cmほど盛られた舞台のような場所がある。ここに主殿的な建物が建っていたのだろうか。写真はその盛り上がり部分を撮ったもので、中央付近が少しだけ盛り上がっていることが見て取れる。

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主郭周囲の土塁。なかなかの高さと厚さがある。

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主郭土塁。土塁に沿ってぐるっと回って東へ向かってみる。

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主郭土塁。

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主郭土塁の一番奥、北東端あたりには、一段と盛り上げられた「櫓台」的な場所があった。

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では主郭から再度戻り、もう少し東へ向かってみよう。曲輪Dの手前まで堀切道を進む。T字路になったところに「ダムへ →」と書かれた看板あり。砂防ダムがあるようだ。山城ファンではなく、砂防ダムファン(?)に向けた看板なのだろうか?

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曲輪Dの西側の堀切。

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曲輪の上には虎口らしい場所が見て取れたが、ここからは上がれそうにない。

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曲輪Dの東側の堀切。ここから曲輪Dへ上がってみよう。

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曲輪Dの東側には巨大な土塁が守っていた。曲輪間をこれだけの堀切と土塁で守っているということは、一つの城ではあるものの、家臣間の微妙な緊張関係(主従ではなく緩やかな同盟関係など)などがあったのかもしれないなあ、などと妄想しながら山城を歩いてみた。

史料が乏しく当時の様子は殆ど分かってはいないものの、モノ言わぬ良好な遺構が今も静かに山中に眠っている鳥居平城跡。山城ファンはゼヒ現地を訪れて歩いてその規模感を感じていただきたい。

訪問時期:2015年12月
撮影機器:FUJIFILM X-M1 + XF14mm

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