石垣山城 [5/5] 江戸城の石材工場の1つだった早川石丁場跡へ。

石垣山城前回(part4)までの石垣山城訪問記。

徒歩50分で山麓から城跡へ。本丸の奥に広がる帯曲輪には天守台の石垣と思われる石材が散乱しており、まさに兵どもが夢の跡という印象を与える。Part5では城内で最も美しく石垣が残る西曲輪外の石垣と、少し離れた場所で保存されている早川石丁場跡を見学します。


<訪問記>

本丸から南曲輪を経て下山。南曲輪の周囲に良好に残る石垣を見てみよう。

ishigakiyama-5173a-5179南曲輪の石垣。孕んで歪んで大変な状態ではあるが、何とか崩れ落ちず、隅部も良好に残っている。

ishigakiyama-5174隅部をアップ。完全な「算木積み」ではないが、発展の過渡期という雰囲気がよく分かる石垣。元禄関東地震(1703年)も大正関東地震(1923年)も乗り越えた石垣だ。

ishigakiyama-5181隅部の横へ回り込む。隅から見るとそうでもなかったが、横から見るとかなりズレまくっているのが分かる。かろうじて崩壊は免れたか。

ishigakiyama-5182奥を見ると、南曲輪〜西曲輪にかけての石垣がずーっと続いている。これはすごい。見に行ってみよう。ちなみにこの道は道ではなく巨大堀切跡。見切れているが左側には「出丸跡」と呼ばれる尾根の突端の曲輪があった。現在は私有地で立ち入りは出来ず、特に案内等も出ていない。

ishigakiyama-5185西曲輪下部の石垣。このあたりは堀切に面しているということもあってか、かなりガッチリと堅固に積み上げられていて、まったく崩れていない。この真上の天守台の石垣は盛大に壊れているので、揺れの向きの問題でも無さそうだ。緩やかな角度に時代を感じる。

ishigakiyama-5186しかし少し奥に行くとこのズレっぷり。少し揺れたら一気に崩壊が進みそうな印象。

ishigakiyama-5188西曲輪石垣、全景。比較的 状態の良いこのあたりの石垣の草を刈れば、当時の石垣山城を形成していた石垣の雰囲気が見られるかもしれない。

ishigakiyama-5191そして更に奥へ。このまま出丸の周囲をぐるっと回ろう・・・と思って進むも、途中で道が無くなる。地図には載ってたんだがなあ。仕方なく来た道を戻る。

ishigakiyama-5191a-5158sおまけ。せっかく来たので城跡の向かい側にある「平成の一夜城」の方も見てみる。人気スイーツ屋さん。ソフトクリーム頂きました。

ishigakiyama-5191a-5165こちらの敷地内にも遺構が展示されている。一見して石垣石だと分かるこの石群。残念ながら筆者以外の一夜城のお客さんはまったく目もくれていなかった・・・(そりゃそうか)。近寄って見よう。

ishigakiyama-5191a-5167ソフトクリーム片手に石垣石をガン見。矢穴で割った跡。石垣山城の石材ではなく、その後の江戸城築城時の石材(のうち江戸城に運ばれなかったもの)だろう。立て看板を見てみよう。

ishigakiyama-5191a-5168「移設された石垣用石材」説明板。石垣山 西側斜面の一帯には、江戸初期に江戸城築城のため石材を調達した石丁場があった。西側斜面は先ほど見た西曲輪下の石垣の更に奥、今回は訪れていないところだ。平成の市道建設に伴って発掘調査を行い、これらの石材が発見され、ここに移設展示されているという。先ほど見た矢穴だけでなく刻印もあるとか。

ishigakiyama-5191a-5169刻印発見。中央割れ目の下に、丸に十字の刻印が破線で彫られているのが見える。

ishigakiyama-5191a-5172一夜城駐車場に建てられていた、またまた「小田原合戦攻防図」。しかし数ある「小田原合戦攻防図」のうち、スイーツ屋さんの駐車場にあったこの図が、配置図を見るには一番分かりやすかったので掲載。石垣山城は一番左下の「豊臣秀吉」の場所。

ishigakiyama-5192では城跡を出て、山麓の駅を目指して下山。来た道を戻るのではなく、西から北へ抜けるルートを取る。というのも、そのルート上にもう1つの江戸城石丁場の跡である「早川石丁場」があるからだ。(参考:小田原市サイト国史跡化のニュース

ishigakiyama-5193道すがら、途中右側に封鎖された山道を発見。地図と照らし合わせると、先ほど奥から回り込もうとして途中で道が無くなっていた、あの山道は、本来ここにつながっていたようだ。封鎖しているということは、あそこはやはり道が無くなったということなのだろう。

ishigakiyama-5194車道をひたすら降りる。山麓の入生田駅まで2000m(!)。其の手前に、目指す「早川石丁場群」までは480mとある。

ishigakiyama-5196途中はただの車道で特に見るべきものもなく、淡々と下る。日も陰ってきた。この大きな橋まで来たら、あと一息。

ishigakiyama-5198橋を渡った先あたりに、車道の脇道が上に登っている場所が現れる。ここが早川石丁場への入口。左端にすごく小さくて分かりづらい案内板が出ている。分かりづらいが、脇道へ入れと言っているようだ。

ishigakiyama-5203脇道をしばらく登ると、山道へ入る直前に案内板を発見。ishigakiyama-5204「早川石丁場群 関白沢支群」説明板。切り出した石材だけでなく、それを運び出すための道だった「石曳道」も見つかったという。しかし、残念なことに、この説明板は「見つかったもの」を説明するだけで、それが現在地に対し「どこ」にあるのかが、書かれていない。

ishigakiyama-5205そして目の前にはこの分かれ道。うーむ。日もほとんど落ちていることから、右下へ進む。ちなみに後日わかったことは、左前の山道へ入ると石曳道や散乱する石材などが見られる「山の斜面」があるそうだ。日暮れじゃないタイミングで来られた方は是非山道へ。

ishigakiyama-5206そして石段を車道方面へ降りて行くと、橋の下へそのまま通じる石段を発見。その先には「早川石丁場跡 →」と書かれた、小さな看板が付けられている。まるで3Dマップのロールプレイングゲームな印象。こんなところに看板作っても、殆どの人が気づかないのでは・・・。

ishigakiyama-5208そして橋の下へと通じる石段を降りると、橋の下に、この遺跡!もう少し奥へ行ってみよう。

ishigakiyama-5210早川石丁場 全景。中には入れないが、よく見えるように下まで移動できるようになっている。説明板もあり。

ishigakiyama-5211「保存された石丁場」説明板。市道建設の際の発掘調査で発見され、神奈川県が計画を変更し「橋」化することで、このように橋の下に石丁場跡が保存されることになったという。割る直前の石、割る作業中の石、整形中の石、整形済みの石などが場所ごとに分かれて発見され、当時の作業工程を見ることができる貴重な場所だという。なお保存されているのはこの橋の下のみで、本来の石丁場はもっと大規模であったという。

ishigakiyama-5212割った石。

ishigakiyama-5215橋の下の奥の方にも、縦横に矢穴が並んだ「割石」がズラリ。一所懸命作業して石材を作ったのに、なぜか作業終了(普請終了?)になって、石をそのままにして石工たちは解散してしまった、ということだろうか。

ishigakiyama-5218石丁場から上がってきて橋を進む。橋の反対側(駅側)の端に「早川石丁場」の看板。しかし橋の下に降りるのはこちら側ではなく反対側の、奥の道が赤くなっているところあたり。なかなかに難易度が高い。2015年12月に国史跡となることが決定したので、これから色々整備されている可能性はある。

ishigakiyama-5223では駅に向かって下山。もう何も無いと思っていたが、道すがら色々あった。まずはこの巨石。

ishigakiyama-5224「運び出そうとした石垣用石材」説明板。さっきの早川石丁場で作った石垣用石材が、何故か沢の中に落ちていたとか。恐らく石材が完成し、江戸城へ運ぶ途中、ここで沢に落としてしまった、いわゆる「残念石」だったのではないかとのことだ。

ishigakiyama-5225沢に落ちていた石。四角に切り出し、よく見ると縦にハツリと呼ばれる文様まで彫られている作り込みっぷり。落とした人の青ざめっぷりは相当なものだっただろう。

ishigakiyama-5227s山麓の入生田駅までの道沿いにはさらに幾つかの石垣石やら見どころがあったが、似たような感じなので割愛。駅についたときにはすでにこの暗さ。おつかれさまでした。13時30分 早川駅 出発、17時30分 入生田駅 帰着の、4時間コースでした。

訪問時期:2015年10月
撮影機器:FUJIFILM X-M1 + XF14mm
– – – – – – – –
ブログ人気投票参加中. いつも投票アリガトウ(^-^)

投票するのも、順位を見るのも、上↑のアイコンを押してね!
ページの一番上に戻る

広告

石垣山城 [5/5] 江戸城の石材工場の1つだった早川石丁場跡へ。” への3件のフィードバック

  1. こんにちは。

    この石丁場のところの市道が工事中なのは数年前に情報を得ていましたが、その後の様子を追うのを忘れていました。こんな風に整備されていたんですね。元より交通の便の良くない所ですし、かなり興味がある人でないとわざわざ訪れないと見てそれほど手厚く誘導していないのかも知れませんね。

    急斜面に積まれた石垣だと経年で地盤そのものが動いたりして崩壊を避けられないのでしょうが、小田原市も今以上に復元を行う予定もなさそうですし、具体的な危険が明るみに出ないうちはこのままなのでしょうね。少しでも多く記録を残しておくしかなさそうです。

    1. kanageohis1964さん、いつもコメントありがとうございます。
      結構綺麗に整備はされているのですが、いかんせん分かりづらすぎて、とてももったいないなあという気がしました。城跡でもなく、石垣山城とも関係なく(江戸城の石丁場)、紹介しづらい場所なのかもしれませんね。
      また機会があれば山道の方も含めて、ぜひ訪れてみてください。

  2. 初めまして。私もお城大好きです。 ここの一夜城も行きましたので、楽しく読ませていただきました。
     今、皇居のブログ書いてます。

コメントを残す

以下に詳細を記入するか、アイコンをクリックしてログインしてください。

WordPress.com ロゴ

WordPress.com アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

Twitter 画像

Twitter アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

Facebook の写真

Facebook アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

Google+ フォト

Google+ アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

%s と連携中