石垣山城 [4/5] 西曲輪奥には天守台から落下した巨石群が残る。

石垣山城前回(part3)までの石垣山城訪問記。

早川駅から50分かけて登城。大手門前から二の丸〜井戸曲輪〜本丸〜天守台と廻る。壊れたままの石垣の痕跡が生々しい。以前はお城から小田原城が見えただろうが現在は樹木が生い茂り見えなかった。Part4では本丸から西側へ降りて西曲輪方面へ。


<訪問記>

ishigakiyama-5025では本丸展望台の脇にある、本丸正面(東側)の降り口から下の曲輪へ向かおう。今は曲がりくねった小道のような様相だが、以前はこの土塁に囲まれた一帯が「巨大な枡形」だったとされている。入口で見た復元想像図では、今いるあたりに巨大な櫓門が描かれており「東門」と名付けられていた。

ishigakiyama-5027本丸東門を降っていくと、石畳と思われる坂道を下る。大手道から直接本丸へ続く、重要な道だったということが、この石畳からも分かる。とはいえかなり石も抜かれている場所があるので、興奮して転けないよう足元注意。

ishigakiyama-5029石畳部分を降りきって、振り返る。下から見ると石畳というより石段だが、この石段部分の上が、先ほど見た「石畳エリア」だった。右側には石垣の跡らしき石積みも見える。当時は石垣の壁に挟まれた石段だったのだろうか。

ishigakiyama-5030今は本丸と南曲輪の間の「帯曲輪」エリアに居る。標柱によると、まっすぐ行くと「西曲輪」、戻ると「二の丸」のようだ。西曲輪へ行く前に、本丸周囲の石垣を二の丸側から再度ぐるっと見てみよう。

ishigakiyama-5031本丸に沿って北(二の丸方面)へと進む。本丸周囲は草に覆われているが、ところどころ石垣と、そこから落下した石材とが、顔を出している。当時は本丸全体が石垣で巻かれていたのだろう。

ishigakiyama-5035本丸下の帯曲輪(東側)を、北へ進む。奥の明るくなっている場所あたりが二の丸。

ishigakiyama-5038やや良好に残っている部分。草を刈ればもう少しよく見えるかもしれないが、更に崩壊が進む恐れもある。石垣部分については、どこまで整備(草木伐採)すべきか難しいところ。

ishigakiyama-5041二の丸の入口、本丸の隅部までやってきた。隅部は比較的石垣が残っている印象だったが、近くで見るとそうでもなかった。転がっている石も巨石なことから、時代的に未だ算木積みは完成していないものの、隅部には巨大な石が積み上げられていたことが伺える。

ishigakiyama-5044本丸隅部(北東端)を中心に、全景を見る。

ishigakiyama-5051そのまま南へ戻り、本丸東面の全景を見る。北面に比べ、東面は崩壊が激しいのか、あまり石垣が残っていないことが分かる。本丸の端から端まで写っていてそれ程広く無さそうに一見みえてしまうが、この写真は魚眼レンズで撮っているので本当は結構広い。

ishigakiyama-5058再び本丸東門下の石段前まで戻ってきた。まっすぐいくと、西曲輪。左へ進むと南曲輪、とある。南は帰りに寄ることとして、まずは西曲輪へ。

ishigakiyama-5060西曲輪入口あたりには、石垣の残骸が残っていた。この位置に石垣を備えた大きな門が建っていたのだろうということが分かる遺構。

ishigakiyama-5061「門の基台跡」と書かれた小さな看板と、その前に埋め込まれた礎石らしき平石。

ishigakiyama-5062西曲輪、入口。右側の石積みはかなり奥まで続いている。左側には櫓台なのか盛り土がある。

ishigakiyama-5064門跡を超えて西曲輪へ。奥の森が本丸の南西面に当たる。

ishigakiyama-5065本丸跡や二の丸跡でも見かけたものと同じシリーズの「西曲輪跡」石碑。

ishigakiyama-5066その西曲輪の本丸沿いには、天守台から転がり落ちてきたと思われる巨石がゴロゴロそのままになっていた。

ishigakiyama-5067天守台に沿ってぐるっと回り込み、西側の帯曲輪へ向かう。曲輪の内部は礎石等が見つかっているのかもしれないが、全体的に芝生となっていて、特に見所はない。西曲輪にはかつて千利休や淀殿を呼んでの茶会が開かれた場所と伝わっている。

ishigakiyama-5073西の帯曲輪へ。更に巨大な石がゴロゴロ転がり、帯曲輪全体に広がっている。

ishigakiyama-5075うーん、この廃城感。

ishigakiyama-5077どこまでが積んであったもので、どこまでが落ちてきたものか、それすらわかりづらい状態でまさに「とっちらかっている」感じ。どんどん奥へ行ってみよう。

ishigakiyama-5086時折、一段と大きな石も見られる。隅石だったのか、天守台石垣の大事なところに設置されていたのか、詳細は不明だがかなりの巨石だ。このあたりが一番 石材が多く残っているところ。

ishigakiyama-5110更に奥へ進むと、元々の石垣だったかのような二段三段程度の石積みも見られる。

ishigakiyama-5117そしてそのまま坂道となり、本丸上、天守台の脇へと続く。

ishigakiyama-5121天守台の周囲を一周して戻ってきた。本丸説明板と展望台前。再度、東門跡から下へ降りて、今度は大手門と本丸の間にある「南曲輪」へ行ってみよう。

ishigakiyama-5124「南曲輪」へ到着。大手門と本丸との間を守る曲輪だ。復元想像図では隅櫓や櫓門などが描かれていた。

ishigakiyama-5126巨大な城門が建っていたのかなあ、と思わせる土塁と石積み。右奥が本丸、左奥は西曲輪。

ishigakiyama-5130南曲輪から大手門方面へと抜けることができる。写真右奥へと続く細い道へ。

ishigakiyama-5133南曲輪から大手門方面へ。元々細い道で、左右には高石垣が築かれた堅固な城道だったのだろうか。

ishigakiyama-5135まさに道いっぱいに石材がゴロゴロしている。石の上を登ったり降りたりしながら、降りていく。

ishigakiyama-5139下の方はまさにこんな感じ。旧大手道。

ishigakiyama-5141このあたりが旧大手門あたりか。一層の巨石が転がる。

ishigakiyama-5151そして旧大手門あたりから脇を見ると、先ほど居た南曲輪の巨大な石垣が見える。ここは本丸付近等々と比較してもかなり美しく残っている場所だ。

Part5ではこの南曲輪周辺の状態の良い現存石垣を見て行こう。

>> 石垣山城 [5/5] へ続く。<<

訪問時期:2015年10月
撮影機器:FUJIFILM X-M1 + XF14mm
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