石垣山城 [3/5] 巨石が転がる東門跡から本丸、天守台へ。

石垣山城前回(part2)までの石垣山城訪問記。

山麓の早川駅から徒歩50分で山頂へ到着。大手門跡から二の丸側へ入り、展望台からの眺望、そして高石垣と”淀君化粧井戸”が残る井戸曲輪を散策。Part3ではいよいよ本丸へ。


<訪問記>

ishigakiyama-4961二の丸へ。広大な芝生公園となっている。以前はここに巨大な御殿などが建っていたのだろうか。奥の小山が本丸。

ishigakiyama-4962「二の丸跡」という石碑を発見。でも何だか変な場所に建っていてわかりづらい。

ishigakiyama-4963二の丸から本丸へとあがる「本丸登口」。石垣が崩れまくっているが、それでもなんとなく雰囲気が感じられる。当時は両側が立派な石垣に囲まれた立派な入口だったのだろうか。

ishigakiyama-4966二の丸から本丸へと続く「本丸登口」脇の石垣。石垣の跡、というべきか。

ishigakiyama-4967本丸登口入口あたりから、本丸周囲を見る。

ishigakiyama-4968少し引いて、本丸石垣全景。上の方は少し残っている部分もあるが、大部分が崩壊し、下に石が落ちて重なっている、という状況だ。

ishigakiyama-4971では本丸登口から本丸へ向かおう。道が先で逆L字に曲がっている。

ishigakiyama-4973道が逆L字に曲がったあたり。

ishigakiyama-4974本丸石垣跡。巨大な城だったことがよく分かる。

ishigakiyama-4981本丸への道を進んでいくと苔むした巨石がゴロゴロ転がっていた。更に道が左に折れ曲がり、本丸へと到達する。正面の土塁の上が本丸。折れ曲がる手前あたりに小さな看板が出ている(白い四角がそう)。見てみよう。

ishigakiyama-4982「桝形の鍵折れ」と書いてある。本丸へ入る最後の砦として枡形虎口が形成されていたようだ。入口でボランティアガイド氏が持っていた想像図にはここに巨大な櫓門が描かれていた。

ishigakiyama-4984本丸入口。この目の前に、巨大な櫓門が建っていたのだろうか。ここを「北門」とする資料もあった。

ishigakiyama-4986本丸入口(櫓門・北門)から桝形虎口を見返す。枡形ではあるがそれほど大きなものではない。搦手に当たる場所なのかもしれない。

ishigakiyama-4989本丸全景。かなり広い曲輪が形成されている。

ishigakiyama-4989a-4992「本丸跡」石碑。中央奥に見える小山が「天守台跡」。

ishigakiyama-4990本丸から見た眺望、北方向。今さっき登ってきた二の丸跡が眼下に広がる。正面奥の森の中に井戸曲輪があり、更にその奥まっすぐ行った先に「小田原城」がある。この構造には意味があり、小田原城に詰める敵方(北条氏)から見ると、井戸曲輪・二の丸・本丸の石垣が一直線上に重なって一つの巨大な石垣の壁にようにも見え(しかも当時は総石垣の城は関東にはまだ無かったことを付け加えておく)、さらにその上に何重もの櫓が重なった大天守がそびえており、まさに西から来た強大な豊臣軍の恐ろしさがひと目で分かる構造になっていたのだ。そして北条方は城の完成後まもなくして降伏開城した。

ishigakiyama-4994a-5023城の東側には展望台が築かれていた。説明板などもここにあるようだ。登ってみよう。

ishigakiyama-4994b展望台横にあった「史跡 石垣山」石碑。展望台ができる前から、ここは海が一望の絶好の眺望スポットだったのだろう。

ishigakiyama-4994c-5019展望台上の説明パネル。かなり横長なので左右を分けて掲載。まずは左半分。注目すべきは下部「一夜城からプレート境界を見る」。一夜城の目の前にはフィリピン海プレートと北米プレートのまさに境目がある。これが数千年にも渡る大噴火によって富士山を形成し、箱根を作り出し、そして関東大震災を引き起こした。

ishigakiyama-4994d-5020そして説明パネルの右側には小田原合戦攻防図。真ん中に色違いで書いてある「天下分け目(プレート境界)の戦い」という表現、ナイス。

ishigakiyama-4994e-5020-2小田原合戦攻防図部分をアップで。高土塁で城下町もろとも囲んだ堅固な惣構が健在とはいえ、まさに四面楚歌。そして西方の山上には総石垣の巨大城郭で日々大宴会。オワタ・・・。

ishigakiyama-4994f-5018本丸展望台からの眺望。左端の方に恐らく小田原城が当時も見えただろうが、今は背の高い樹木が茂っていて見えず。

ishigakiyama-4995では本丸内の他の場所を散策してみよう。中央部分に古い説明板が建っている。

ishigakiyama-4996「石垣山一夜城の構造」説明板。古いと思ったが平成の看板だった(それでも25歳)。約4万人が昼夜問わず約80日をかけて突貫工事で築かれた。

ishigakiyama-4997a-5014説明板の奥へ進むと、小山が見えてくる。天守台跡だ。遠目に見ても完全に土山と化している事がわかる。当時は巨大な天守を支えるため総石垣だったと思われる。

ishigakiyama-4997b-5118天守台。巨大な石材が転がっているが、それ以外は完全に土山状態。上に上がってみよう。

ishigakiyama-5003天守台跡。簡単な標柱が建つだけで、特に何もなし。

ishigakiyama-5005天守台上から西側を見下ろすと、天守台に積んであったと思われる石材が転がっているのが見えた。あれは本丸の周囲に築かれた細長い曲輪(帯曲輪)だろう。天守台横から直接降りることも出来るが、茶室を作り宴会を開いたと伝わる西曲輪からもつながっているので、西曲輪経由で後ほど訪問してみよう。

ishigakiyama-5007天守台脇に転がる巨石群。兵どもが夢の跡。

>> 石垣山城 [4/5] へ続く。<<

訪問時期:2015年10月
撮影機器:FUJIFILM X-M1 + XF14mm
– – – – – – – –
ブログ人気投票参加中. いつも投票アリガトウ(^-^)

投票するのも、順位を見るのも、上↑のアイコンを押してね!
ページの一番上に戻る

広告

コメントを残す

以下に詳細を記入するか、アイコンをクリックしてログインしてください。

WordPress.com ロゴ

WordPress.com アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

Twitter 画像

Twitter アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

Facebook の写真

Facebook アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

Google+ フォト

Google+ アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

%s と連携中