石垣山城 [2/5] 野面積みの高石垣が良好に残る「井戸曲輪」へ。

石垣山城前回(part1)までの石垣山城訪問記。

東の山麓にあるJR早川駅より徒歩で登城開始。山頂の石垣山一夜城歴史公園までは約2.3km。道沿いに設置された参陣武将の看板を見ながら、約50分の道のりを経て、山頂へ到着した。


<訪問記>

ishigakiyama-4904石垣山一夜城歴史公園 石碑。この奥に城跡への入口がある。

ishigakiyama-4904a-4905sこの石段が、石垣山城跡への入口。椅子やら机やらいろいろ置いてあって何だか落ち着かない。ボランティアの説明員の方がいろいろと説明されていた。正面にあるスイーツのお店の客が多いのだろう、かなり基本的なところから説明をしていた。衝撃だったのは看板のところに居た若いカップルの会話、男「一夜城って元々はこっち(城跡を指さしながら)がホントらしいぜ」女「へー(興味なさげ)」。最初 会話の意味がわからなかったが、要は彼らにとって「一夜城」とはスイーツのお店(店名が一夜城ヨロイヅカファーム)のことで、実際にお店に来てみたら、店の前にかつてホントに一夜城があって驚いたということだろう。

ishigakiyama-4905a-4908では城跡へ入る前に縄張りのおさらい。青いモコモコが木々、赤い点線が階段、白い点々が石垣を指しているものと思われる。いろいろルートがあるようだが、まずはいきなり本丸へは行かず、二の丸〜井戸曲輪方面へ行き、そこから南西の本丸〜西曲輪方面へと回るルートを取ろう。

ishigakiyama-4905b-4911ボランティアガイドさんが持っていた「石垣山一夜城(イメージ図)」。かなりいい感じで描かれている。これを看板にすればいいのに!と思った。

ishigakiyama-4906入口の脇には、巨大な割石が置かれていた。矢穴で割った跡があるので、時代的に石垣山城のものではない(石垣山城は野面積み)。説明板を見てみよう。

ishigakiyama-4907「移設された石垣用石材」説明板。江戸城築城のために石垣用石材を調達した石丁場が、石垣山西側斜面一帯にあったという。平成の発掘調査で多くの石材が発見され、そのうちの2つがここに展示されているそうだ。刻印もあるそうで、確かに1つ前の写真を見ると、左側の石材の前面に「ハ」の字が見える。

ishigakiyama-4910a-5155では城内へ入ろう。「旧城道 東登口」とある。この先がかつて大手門があった場所とされている。

ishigakiyama-4913石段を上がっていく。左側に巨大な石垣が見えてきた!

ishigakiyama-4914入口入ってすぐ、左側に見える巨大な石垣。これは南曲輪の南面石垣で、この向こう側に続いてずーっと石垣が残っている。そちらに行ってしまうと城外へ出てしまうことから、ここは最後戻ってきた時に見に行くことにしよう。まずは城内へ。

ishigakiyama-4915a-5148しばらく進み、階段が終わったあたりが、かつて大手門があったとされる場所だ。少し広くなっていて、正面には石垣が盛大に壊れた様子が伺える。右側に説明板がある。まずはそれを読んでみよう。

ishigakiyama-4916「国指定史跡 石垣山一夜城」説明板。関東で造られた最初の総石垣の城だ。江戸時代は小田原藩の管理下に置かれたこともあり、城跡が良好に残っている(石垣はその後の関東大震災で崩壊したが)。

ishigakiyama-4917看板に掲載されていた詳細マップ。黄色は現在の見学路、赤は想定される当時の城道。

ishigakiyama-4918では大手門から本丸方面へは向かわず、まずは向かって右へ曲がって、二の丸方面を目指そう。

ishigakiyama-4919s二の丸下の石垣に沿って、東へ。斜面に石垣が見えてきた。なお道は坂道になっていて石垣の中に突入していく形になっているが、当時は向こうまでずっと石垣が続いていて、このルートでの入城は出来なかった模様。右奥に見える道が当時の石垣沿いの道かもしれないが、今回は未訪問。

ishigakiyama-4922sでは石垣を突き抜けて二の丸へ直行する道へ。途中までは石垣が残っていて、このように隅部らしき石垣と、崩壊しっぱなしの石垣が、散乱している印象だ。

ishigakiyama-4924巨木の根っ子の下に良好な石垣。この木のおかげでこの部分は壊れなかったのかもしれない。逆に考えると往時はこういった感じの石垣がずーっと奥まで続いていたのだろう。

ishigakiyama-4925坂道をあがって、二の丸へ。植木で柵が設けられている。中が二の丸にあたる。

ishigakiyama-4926石垣山一夜城二の丸(馬屋曲輪)説明板。江戸時代の古絵図では二の丸と書かれていたが、伝承ではここに馬屋が置かれ、馬洗場と呼ばれた湧水もあったとか。櫓台跡も残っているという。

ishigakiyama-4929こちらが先ほど説明板に書かれていた「櫓台」。石も崩れ、形も丸くなり、芝生が植えられ、もはやただの丘と化している。丘の上に建っている石碑は「櫓台跡」と書かれていた。

ishigakiyama-4932s櫓台跡から更に奥へ進むと、二の丸の北側に突出した長方形の曲輪へ。この先には「展望台」そして右側に進むと「井戸曲輪」がある、と左の石碑に書かれている。石碑の上には秀吉のトレードマークであるヒョウタンが置かれている。

ishigakiyama-4933ではまず長方形の曲輪の奥にあるという「展望台」へ向かってみよう。先ほどの復元絵図を見返すと、この先は石垣で囲まれた物見櫓的な場所があったようなので、眺望も良さそうだ。

ishigakiyama-4933a-4938こちらが二の丸北曲輪の一番奥に設置された、展望台。

ishigakiyama-4934展望台から見た眺望。西方面。こちらは山しか見えない。説明板によると向かいの山には「長興山のしだれ桜」という、江戸時代の小田原城主 稲葉氏が植えた名木があるという。

ishigakiyama-4936展望台から北側を見る。手すりに「小田原城址 ↑」と書かれていたが、矢印の指す方面は木々が生い茂りすぎていて、小田原城は見えなかった。こっちにあるよということか。当時はここから見えていたのだろう。

ishigakiyama-4939では展望台を出て、二の丸の東側に広がる「井戸曲輪」へ向かおう。井戸曲輪は高い石垣で囲まれた一段低い場所になっていて、巨大な石垣で有名だという。この階段を降りる。

ishigakiyama-4941斜面に作られた細い階段をぐるっと回りながら下へ。左奥に、何やら巨大な石垣が見えてきた!

ishigakiyama-4943こちらが、井戸曲輪の大石垣。井戸は石垣の下の中央にある巨大なくぼみで、その周りを取り囲むように高石垣が建設されていることが分かる。

ishigakiyama-4946「井戸曲輪跡」説明板。もともと沢の地形を利用して石垣の壁で囲んで造られたという。井戸は先ほど居た二の丸から25mも下にあり、今でも水が湧き出ているとか。別名「淀君化粧井戸」。

ishigakiyama-4947そしてこちらが、井戸曲輪の命名の元となった「淀君化粧井戸」。巨大な穴の中に更に石垣が組まれていることが分かる。中まで入って井戸を覗きこみたかったが、訪問時(2015.10)は井戸曲輪内は立ち入り禁止だったのでここまで。

ishigakiyama-4951井戸曲輪全景。中央の井戸の周りを高石垣がぐるっと取り囲んでいることがよく分かる。見学道は更に下まで伸びているが、訪問時はここに通行止めの柵が設けてあり、ここまでの見学だった。過去は下まで降りられたようで、残念。

ishigakiyama-4953では井戸曲輪から二の丸へ戻ろう。とその途中に、井戸曲輪の周囲を囲む石垣の中に赤い超巨石が埋め込まれている部分を発見。元々ここにあったのか、秀吉がここに運ばせたのか。

Part3では二の丸から本丸へと向かいます。

>> 石垣山城 [3/5] へ続く。<<

訪問時期:2015年10月
撮影機器:FUJIFILM X-M1 + XF14mm
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