佐賀城 [後編] かつて大天守を支えた天守台の無骨な石垣が大迫力!

sagajo_cover前回までの佐賀城 訪問記。

本丸入口にあたる現存 鯱ノ門から入城。幕末の状態まで木造復元された本丸御殿を見学した。後編ではかつて四層天守を支えた天守台を見学、御殿の周囲などを見て回る。


<訪問記>

sagajo-1653では本丸御殿の向かって右側の通路から、石垣に沿って奥へ。一旦本丸から外へ出る。城内に展示されていた築城時(1614年頃)の絵図には載っていない本丸西門。規模からして勝手口(搦手口)程度か。

sagajo-1654本丸西門の外から中を見る。現在は佐賀城本丸歴史館の西門として柱と木戸だけの簡易な門が設置されていた。

sagajo-1655本丸西門から、本丸西側の石垣を見る。石垣の外側には犬走りのような広い道が設置されている。江戸中期以降の古絵図を見ると、この道の外側に本丸堀があったようだ。写真の右端、落ち込んでいるところからが本丸堀跡か。

sagajo-1656付近の石垣をよく見てみると、四角に中棒が1本入った刻印が数多く記されていた。どの家臣が用意した石かが分かるようにつけたものだろう。

sagajo-1657では西門からぐるっと本丸外周に沿って進み、天守台へ向かおう。なんと、天守台へは本丸の外側から上がるルートが設置されている。なお天守台の上に天守が載っていたのは最初の火災が起きるまでの江戸前期のみ、この石垣は二度の火災からの復興の際に改修を受けているだろうから、もはやあまり意味はなかったのかもしれない。

sagajo-1657a-1659本丸天守台の石垣。隅部は流石に美しく整えてある。中央部は打込みはぎ。天守再建はされなかったことから、これは藩祖 鍋島直茂の頃の石垣のままか。

sagajo-1658天守台へ登るには、この間の道から奥へと進む。ちなみに今この写真を撮っている場所あたりは当時の内堀。つまり天守へは石垣に張り付くような形で細い犬走り(本丸石垣と内堀との間の道)を通らなければならなかったようだ。

sagajo-1660角度を変えて、ぐるっと石垣の間の道を回り込む形で奥へ。天守現存時は厳重な櫓門が封鎖していたことだろう。

sagajo-1661内側の階段を通って奥へ。天守台の石垣に比べて、このあたりのいわゆる内側の石垣は野面積みのままだ。

sagajo-1662天守台へ登る石段とその周囲の石垣。隅部もそれほど加工がされていないようにも見えるが、これはもしかすると天守炎上時の炎に拠る破損の可能性もあるか。大阪城や江戸城などで、火災により石材の角が焼けて割れて丸くなっている姿をあちこちで見ることが出来る。

sagajo-1663石段を上がって、天守台へと続く「付櫓(つけやぐら)」台の上へ。ところどころ、付櫓の礎石が顔を出している。そして奥の石段の上が、天守台。ちなみに奥の石段は後世のもの。

sagajo-1664先ほど登ってきた石段を見返す。石段の向こう側は「続櫓(つづきやぐら)」跡。

sagajo-1665付櫓跡から、本丸側を見下ろす。本丸の周囲を囲んでいる石垣の内側は、全体的に斜めの土塁になっているようだ。

sagajo-1666付櫓跡から、本丸御殿方面を見る。復元された御殿は極一部だが、ほとんどの建物はこちらから見て向こう側にあり、この御殿裏側にはあと少し建物が続いていた程度。左端の石垣は天守台。

sagajo-1667では天守台の上へ。礎石などは埋められていて見られず、石碑などが幾つか並んでいる。

sagajo-1669まずは「佐賀城天守台」説明碑。ここにも本丸からは天守台に上がれず、二ノ丸から犬走りを通って入る、とある。不思議な構造だ。二ノ丸よりも先に本丸が落ちる可能性があることを想定したのか、あるいは、敵が本丸を落としてから、おっと天守はこっちじゃないのかよ!と驚かせるスタイルなのか。。。また川を一部せき止めると本丸と天守以外が水没する構造にもなっていて、佐賀城の別名が「沈み城」と呼ばれる由来とも書かれている。

sagajo-1670天守台 全景を反対の角から。奥に茶色の背の高い石碑が見える。

sagajo-1670a-1668天守台の隅にある古い石碑。「佐賀城天守台址」と、達筆で書いてある。

sagajo-1671では天守台から降りて、本丸御殿裏へ向かおう。天守付櫓跡から石段を降りてきたところ。巨石の壁に囲まれる。

sagajo-1672天守台石垣を見上げる。佐賀城の石垣は、川上と呼ばれる地域の石切場から運びだされたという。

sagajo-1674天守台石垣を、鯱ノ門前から。確かに、鯱ノ門側から見ると、天守への入口が二ノ丸の外側にあるとは、この角度から見ただけでは気付かない。

sagajo-1683sでは再度本丸へ入り、本丸御殿の裏側を散策してみよう。本丸御殿入口の向かって左奥(「御納戸」の脇)から、建物の裏側に回る。

sagajo-1684本丸御殿の裏側へ。建物の周囲の広い場所にも、当時はずらりと建物が続いていた。

sagajo-1685a-1690本丸御殿の復元に関する説明パネルあり。御殿奥に移築された現存「御座間」の脇にこのパネルがある。本丸の中は左上部(南西部)以外はほとんど建物で埋め尽くされていたようだ。ちなみに、赤い部分が現存「御座間・堪忍所」、太枠のところが平成の復元御殿。かなり大きい復元御殿だが、それでも復元されたのは全体のわずか2割程度だということか。それでも他の部分は細かくゴチャゴチャ描かれているので、「主要部分を復元した」というのはこういうことなのだろう。

sagajo-1690復元御殿部分。確かに御殿手前側の大きな部屋の部分が復元されているようだ。現在は、その大きな部屋を利用して、ほぼ佐賀城に関する展示ルームに使われていた。

sagajo-1685b-1691s復元御殿の「御料理間」および奥の「御納戸」を裏側から。

sagajo-1688移築現存の「御座間・堪忍所」を、南側から。堪忍所(右側)の壁に戸がないのは、ここには以前は別の建物が接続されていたから。移築の時に設置された壁か。屋根瓦が、端っこだけ新しいのに吹き替えられていて、中央は古いままだった。

sagajo-1692御座所と堪忍所を北側から。木戸の上の造りや、縁側の段差などから、2つの建物の境目が分かる。

sagajo-1693a-1686本丸周囲の土塁。元々こうだったのか、公園化する際にこうしたのかは、不明。どちらにしてもすぐ草ぼうぼうになる土塁をキレイに整備し続けていることは間違いない。おつかれさまです。

sagajo-1702最後に、御殿裏側全景を超広角で1枚。地面に書かれた部屋割りの白線で、如何に御殿が大きかったかを実感できる。

復元御殿で有名な佐賀城跡。失礼ながら、現地に行くまでは復元御殿があることぐらいしか知らず、影の薄い城跡という印象だった。しかしいざ行ってみると、復元御殿は相当に立派で、本丸内の整備も行き届いており、現存の立派な櫓門があり、立派な天守台や状態の良い石垣も見応えがある。更に街中には巨大な堀跡がかなり残っているとのこと(未訪)。北九州エリアに残る近代城郭跡の中でも屈指の立派さではないだろうか。今回はツアーの一環で短時間寄っただけだったので、今度はちゃんと佐賀城跡の遺構探索を目的にしっかり訪問したい。そんな風に思った佐賀城でした。オススメ。

訪問時期:2014年10月
撮影機器:FUJIFILM X-M1 + XF14mm
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